再会 5
場面は戻り【玉華・領主の邸】
「あぁっ!お姉様!」
「ど、どうしたの?急に?」
「またそのような簡素な格好をなさっていたのですか!?」
門を潜り敷地内に入った蓮姫達だったが、入った途端ソフィアは蓮姫を引いていた手を離し、両手で自分の頬をおさえながら叫ぶ。
ソフィアの叫び声を間近で受けた蓮姫は、耳を塞ぐのを我慢して目をパチクリさせながら聞き返すが、返ってきたのは王都にいた頃も散々彼女に問われた言葉。
そして当時と変わらぬ答えを蓮姫も返す。
「いや…だって…動きやすいから、ね」
「もうっ!お姉様ったら!元帥!!宴の前にお姉様と私はお着替えに参ります!よろしいですね!」
もはや蓮姫の言葉など聞く耳持たないソフィア。
グイグイと手を引いて邸の中へと入ろうとする。
「ちょ、ちょっと待ってソフィ!」
「ソフィア様」
ユージーンはサッ!と蓮姫とソフィアの前に立ち、胸に手を当てながら頭を下げる。
ソフィアはユージーンが目の前に来た事に再び顔を赤らめた。
「は、はい。ユージーン」
「失礼ながら……姫様は少々お疲れなのです。お邸に戻れた後は、食事までの間お部屋で休まれたいと仰っておりました」
ソフィアにそう告げると、ユージーンは蓮姫に向かってウィンクする。
彼の意図に気づいた蓮姫も小さく頷き、ソフィアの両肩に手を置いて優しく告げた。
「ごめんねソフィ。ちょっと疲れてるんだ。また後で…ご飯の時に会おう」
「……は~い。お姉様がお疲れなのでしたら……我慢します。折角お姉様に似合う着物やアクセサリーを吟味したかったのに」
ソフィアのその言葉に蓮姫は苦笑し、心の中でユージーンの機転に感謝した。
恐らくソフィアと一緒に着替えなどしたら一着二着では済まなかっただろう。
「蓮姫、疲れているのか?何故……いや。俺も共に行こう」
珍しく表立って蓮姫を気にかけるレオナルド。
いつもの小言が出そうになるが、さすがに心配の方が勝ったらしい。
しかしレオナルドが素直になると蓮姫の方が素直に甘える事が出来なくなる。
この二人はどうもお互いにのみ、歩み寄るのが下手だ。
「平気。一人でちゃんとお部屋に戻れるから」
「しかし、疲れた婚約者を一人で寝所まで行かせる訳には」
「レオナルド様。それでしたら私どもが姫様を寝所までお連れ致します。ノア、火狼、行くぞ」
レオナルドの言葉を遮り、ユージーンは蓮姫の隣に立ち満面の笑みで告げた。
勿論、わざとだ。
ユージーンに呼ばれノアールは『にゃあー!』と鳴くと蓮姫の足元に擦り寄る。
ノアールを抱き上げてヨシヨシと撫でる蓮姫の姿をソフィアは羨ましそうに眺めていた。
ちなみに『喋るな』と言われた火狼は、恭しく一礼するとユージーンとは逆の蓮姫の隣に立つ。
本当に矛盾だらけの男だ、とユージーンは火狼を睨むが直ぐに蓮姫へと視線を戻す。
「姫様、参りましょうか」
「うん。それじゃあね、ソフィ。……レオ」
蓮姫やユージーンの間にある、自分には向けられない……向けられたら事の無い信頼にレオナルドは胸がザワつくのを感じた。
何か言葉を発しようとしても……それを戸惑わせる何かが……蓮姫を取り巻く彼等や空気にある。
レオナルドが口ごもっていると、別の人間が蓮姫達へと声をかけた。
「弐の姫様。私の判断はやはり過ちでした。弐の姫様に御無理をさせるなど…」
「領主様のせいではありません。宴にもちゃんと出ます。今は……ちょっとお部屋で休ませてもらいますが……」
蓮姫が左手をノアールから離し自分の右肩を軽くたたきながら話すと、大牙も彼女やユージーンの意図に気づいた。
ソフィアは蓮姫の右肩や背中に火傷や傷がある事を知っている。
それでも……彼女はやはり他人に傷を見せる事に抵抗があった。
大牙に見せた時のように手段の一つとして見せる事は出来ても……何気ない着替えの場で見せる事は出来ないのだ。
「宴の用意が出来ましたら、迎えを送ります。それまでの間、どうぞごゆるりと……」
胸に手を当て深々と蓮姫達に頭を下げる大牙からは、先程父親である元帥に向けていたような悪意は感じられない。
玉華の民を苦しめる原因が呪詛であることを突き止め、また呪詛をかけられた者達を救ったことで、蓮姫は……弐の姫は玉華領主に認められたのだ。
そう……蓮姫は認められた。
彼が快く思っていない人物は……ただ一人。
自分の意図を汲み取ってくれた大牙に笑みで返すと、蓮姫は大牙達に背を向け自分達にあてがわれた別館へと進む。
ユージーンが別館の扉に手をかけた……その時。
「旦那様!!」
必死に叫ぶ小夜の声が門から邸までの広場に響き渡る。
その声に蓮姫が振り向くと、両手で口元をおおい黒い瞳に涙を溜めた小夜の姿が。
「……小夜。遅くなってすまない。今、戻った」
「……お帰りなさいませ。旦那様」
小夜はよろよろと元帥へと歩み寄ると、頭を下げる。
そのせいで涙が零れ地面を濡らしていた。
「……お前には心苦しい思いをさせたな。一人で背負わせてしまった。……銀牙の様子はどうなのだ?」
「今日は……一度も目を覚ましてくれないのです。旦那様!お疲れとは思いますが!どうか!どうかあの子の傍に」
「勿論だ。俺はその為に……家族と故郷の為に帰ってきたのだからな」
元帥の言葉に頭を上げる小夜だが、バシン!という音が響く。
先程の小夜の声よりは小さいが、その音が聞こえた方に全員が視線を向けた。
「…………さて、元帥は我が母と話がおありのようだ。お客人方は先におくつろぎ下さい。ただ今ご案内させて頂きますので」
元帥と再会した時のようにニッコリと悪意を感じる笑顔で、大牙はレオナルド達へと告げる。
あの大きな音は羽扇を自分の手に打った音だったようだ。
大牙は羽扇の羽部分を握りしめ、それが笑顔とは逆の不機嫌さを表している。
自分の家だというのに、ここに居たくもないようだ。
レオナルド達を促しておきながら、大牙本人は傍にいた兵士や使用人達に部屋と宴の準備を伝えると、そそくさと奥へと消えて行く。
「大牙!父上様にきちんと御挨拶なさったのですか!?大牙!」
「よい。小夜、気にするな」
「ですが旦那様!あの子は…父である旦那様を軽んじております!銀牙が倒れた時も、旦那様には知らせる必要は無いとまで!」
「……全ては俺が到らぬ故だ。父として…当主として……お前達に何も出来ぬ俺の不甲斐なさ故なのだ。あやつを責めるな、小夜」
「…旦那様……到らぬは私の方でございます。旦那様の御留守を……お守り出来ませんでした。大牙の事も……銀牙の事もそうです」
「大牙の事も銀牙の事も……お前のせいではない。さぁ、銀牙の元へ行こう。父と母…共に」
小夜の背を支えながらゆっくりと進む元帥を見つめる蓮姫。
彼等の姿が扉の奥に消えるのを確認すると、蓮姫は口を開いた。
「ねぇ」
「ダメです」
が、言葉として紡がれる前にユージーンに止められる。
「……まだ何も言ってない」
「どうせ『私の想造力で元帥の息子さんを治せないかな?』とかおっしゃるんでしょう。前にもやりましたよね?このやり取り。誰のために芝居を打ったと思ってんですか?自分で俺の芝居に乗られたんですから、我慢して下さい」
「でも」
「でも、じゃありません」
言い淀む蓮姫を珍しくピシャリと窘めるユージーン。
蓮姫の主張は全く聞かないし、聞く気もないらしい。
蓮姫は頬を膨らませるが、ユージーンも首を縦に振ることはない。
「まぁまぁ。姫さんさっきも休んだけどさ、休み過ぎって事も無ぇだろうし。今は旦那の言う通り休もうぜ。次期当主も目は覚めてないし、元帥も奥さんと水入らずしたいでしょ?」
「次期当主……?」
「およ?姫さん知らない?彩一族は」
「まずは部屋に戻りましょう姫様。お話はそこでしっかりと」
「……むぅ。わかったよ」
蓮姫は頬を膨らませながら扉の奥へと進む。
続くノアールと火狼。
ユージーンは今までのやり取り……恐らく声までは聞こえていないだろうが……見つめていたレオナルドへ一礼してから蓮姫を追った。
その様子を見ていたレオナルドが、自分の拳を強く握りしめている事も予感して。
【領主の邸・別館、蓮姫の部屋】
「え?次期当主には名前に色が無いとダメなの?」
部屋に戻りベッドへと腰掛けた蓮姫は、膝の上で丸くなったノアールを撫でながらユージーンと火狼の言葉を反芻する。
二人も椅子へ腰掛け、言葉を続けた。
「そうです。それが彩一族のしきたり。『当主には色のつく名を与えること』」
「飛龍元帥の名前は『蒼牙』。女王陛下に仕えて王都にいっから、領主は息子に任せてるけど実際の当主は元帥ってわけ。で、次期当主も末の坊ちゃんだから領主様はあくまで『当主代理』なんさ」
「そうだったんだ。でも……領主様、なんか変だったけど蒼牙さんと何かあったのかな?」
今朝の大牙と小夜の会話から、大牙が元帥を憎んでいる事はわかる。
普段の蓮姫なら気づきそうなものだが、今の蓮姫には出来ないようだ。
「おいおい姫さん。ホントにしっかりしてくれよ。領主様は」
「領主様は父であり当主である元帥が、あのブスに仕えているのが我慢ならないのですよ。王都にて女王を守っているクセに自分達家族や故郷を捨てた、とね。あの様子では父とすら思っていないでしょう」
火狼が蓮姫を責めるような物言いをする前に、ユージーンが言葉を遮った。
蓮姫への説明の後しっかりと睨むオマケつきで。
「でも……蒼牙さんは飛龍大将軍っていう五将軍の中でも一番上の立場だった。今じゃ元帥になって軍の最高司令官でしょ。陛下から信頼も厚いし家族としては良い事なのに。蒼牙さんなら家族を捨てたりなんか絶対にしない。陛下も王都も…遠く離れた家族も故郷も守る。そういう人だよ」
「それは姫様の中の元帥です。領主様の中の元帥は『自分や家族を捨てた男』でしかないんですよ。姫様……下手な事を領主様に言ったりしないで下さいね。折角得た信頼を失いかけません」
「わ、わかってる」
ユージーンの言葉に納得がいかない蓮姫だったが、彼からの威圧にそれ以上は何も言えなかった。
シュンとする蓮姫だがユージーンは言葉を止めない。
「それと元帥の末息子……銀牙殿を想造力で治す事も賛成できません」
「な、なんで!?だって玉華の人達だって治したし!もし呪詛だったら!」
「もし原因が呪詛だとして……いえほぼそうだとは思います。それでも次期当主である銀牙殿を治してしまえば……姫様が彩一族を味方として取り込むつもりだ、とあのブスは思うでしょう」
「取り込むなんて!私そんなつもりない!」
「姫様の気持ちもわかります。ですが、あのブスはそう思いません。ええ。絶対に思わないでしょう」
女王への嫌悪を含んだ声色で告げるユージーン。
蓮姫の主張を尊重したい気持ちもあるが……弐の姫である彼女に必要以上の敵を与えたくないのだ。
「あ、でもさ!奥方様や元帥から頼まれりゃ大丈夫じゃね?そしたら責任を彩一族に押し付けられっし」
「…そういうやり方…好きじゃない」
「好きでも嫌いでも我慢なさって下さい。銀牙殿を見舞う事までは止めませんが……治す事は元帥も止める可能性がありますよ。玉華にも呪詛を解ける魔導士はいるんですから。そちらに任せて下さい」
蓮姫は返事もせずにただ俯き手に力を込める。
そのせいでノアールの毛を毟りそうになり、ノアールは『ぎにゃっ!!?』と飛び跳ねてユージーンの方へと逃げてしまった。
重い空気が部屋中に立ち込める。
その空気に我慢出来なくなったのは、やはり蓮姫でもユージーンでもなかった。
「あ~……っ!そういやさ!末の坊ちゃんが次期当主って決まった理由!魔力があったらしいぜ!」
「…………魔力が…当主の証なの?」
慌てたように告げる火狼の言葉に蓮姫は顔をゆっくりと上げて、尋ね返す。
その様子に安堵した火狼は、いつもの調子を取り戻して言葉を続けた。
「魔力が当主の証って訳じゃねぇぜ。元帥も使えねぇらしいしな。でも玉華は魔力を持つ人間が希少な土地。だからさ」
「魔力を持って産まれた子を特別視して次期当主にしたのか。突然変異だろうが…重宝するのは当然だな」
またもや火狼の言葉を遮るユージーン。
その様子に火狼は蓮姫の方を向くが、彼女の方はもうユージーンを、気にしていないようだ。
「蒼牙さんには三人の息子がいるって聞いた事があるよ。長男が領主様で次男が私と同じ歳。その銀牙くんは何歳くらいなの?」
「確か今年で……13歳だったはずだぜ」
「まだ………子供なんだね…」
そう呟く蓮姫の脳裏には、王都で失った小さな友人の姿が浮かんだ。