再会 1
時は三日程前に遡る。
まだ朝日が完全に昇るきる前、王都では飛龍元帥率いる少数部隊とレオナルドが天馬を引き連れ、王都の正面にある大きな門の前に集まっていた。
レオナルドは自分が乗る天馬を不安気な表情で撫でている。
そんな彼に飛龍元帥は声をかけた。
「レオナルド様。乗馬の御経験はいかがですか?」
「普通の馬には慣れています。しかし……天馬は気性も荒く、扱いも難しい。この度は玉華までなので…なんとかなるとは思いますが」
「レオナルド様がお乗りになるこやつは、軍の馬の中でも穏やかで良い天馬です。もし御心配でしたら、私の後ろに乗られますか?黒天ならば二人乗ってもそれ程速度も変わりませんので」
「いえ。お心遣いには感謝しますが、次期公爵として、女王陛下の使者として……なにより弐の姫の婚約者としてその様な真似は出来ません」
「…………お辛い立場ですな。レオナルド様」
飛龍元帥は表情を曇らせながら呟く。
彼もまた、蓮姫の禁所解放の件や今回の使者としてレオナルドが選ばれた理由を知る者だ。
当然、女王の勅命もある為、本当の理由を知るのは元帥、公爵、レオナルド、そして女王本人の麗華と彼女に忠実なサフィールのみ。
元帥に同行する軍人達にも『弐の姫が玉華に向かっているので女王陛下が婚約者と会わせてやろうと粋な計らいをして下さった』としか伝わっておらず、また弐の姫が玉華に行く事は他言無用と元帥から仰せつかっていた。
彼等は飛龍元帥の信頼する部下なので、他者にその事が漏れる心配はない。
「辛くなどありません。どのような理由であれ、蓮姫を連れ戻せるのであれば」
「連れ戻す……ですか?しかし陛下は」
「『弐の姫を監視しろ』との命は受けております。公爵家の者として陛下の御命令に背くつもりもありません。ですが、蓮姫は監視するまでもなく、聡明で優しく、弱い女です。陛下も元帥もご存知のはず。これ以上危険な目に合わぬよう、必ず玉華から王都へと連れ戻します」
元帥の瞳をしっかりと見据えながら、レオナルドはハッキリとした口調で伝える。
そこにはもはや先程までの不安な表情は無く、強い意志と確固たる決意を秘めた瞳があった。
「それが……レオナルド様のお考えなのですか?」
「はい。勿論、陛下の御命令通り蓮姫の監視は行いますが…そもそも姫が供も連れずに王都の外へ出た事が間違い。蓮姫もそれに気づいていることでしょう」
飛龍元帥は、ふぅ…と深く息を吐き出す。
この青年は自分の気持ちや婚約者に真っ直ぐで、正直なのだと。
そしてそれが、若さゆえの過ちや取り返しのつかない事態へと繋がらないように願った。
「レオナルド様のお気持はわかりました。しかし、少しでも陛下の御命令に背くような素振りが見られれば、私も黙っている訳には参りません。御容赦下さい」
「……それは…元帥ならば当然のことです。貴方こそ御子息が心配でしょうに……元帥の優しさに感謝致します」
レオナルドは元帥へと深く頭を下げる。
だがレオナルドも気づいていた。
もし蓮姫が…弐の姫が女王陛下に害をなすと判断されれば、この優しい男は女王の為に躊躇いながらも、後悔することがあっても、蓮姫を斬るだろうと。
頭を下げていたので誰も気づいてはいないが、視線の先にある元帥の爪先をレオナルドは睨んでいた。
「頭をお上げください、レオナルド様。では、そろそろ出発致しましょう」
元帥が黒天へと飛び乗ったのを合図に、その場にいた者も全員天馬へと跨る。
レオナルドも彼等にならい、天馬へと飛び乗り強く轡を握った。
レオナルドと飛龍元帥が視線を合わせ、お互い頷くと彼等は一斉に空へと飛び立つ。
はずだったのだが…………。
「待って下さい!お兄様ぁ!!」
それは一人の少女の叫び声により止められた。
その場にいた全員が少女の声に振り向く。
そして誰よりも早く振り向き、またその声の主を良く知るレオナルドはその場に現れた少女に驚きを隠せなかった。
「ソフィア!!?」
「はぁ、はぁ…はぁ……ま、間に合いました」
レオナルドに名を呼ばれたソフィアは、余程急いできたのだろう…肩を上下に動かして息を切らしながら呟く。
レオナルドは慌てたように天馬から飛び降りると、ソフィアへと駆け寄った。
元帥は同じく天馬から降りようとした部下達を手で制し、自分だけ愛馬の黒天から降りる。
「ソフィア!何故ここにいる!?」
「そ、そんなの……決まっ…決まっているでは……はぁ、はぁ」
「ソフィア様。落ち着いてからで大丈夫です。ゆっくりと深呼吸を繰り返して下さい」
元帥に促されソフィアは胸に手を当てながら深呼吸を繰り返した。
始めは短かった呼吸だが、繰り返すうちに段々とその感覚は長くなる。
「ふぅ~……。もう大丈夫です。飛龍元帥、ありがとうございます」
「何が大丈夫だと言うんだ!侯爵家の令嬢がこんな時間に供も付けずフラフラと!一体何を考えている!?」
呼吸を整えたソフィアはニッコリと幼さの残る笑みを元帥へと向けたが、従兄弟であるレオナルドは笑えるはずもない。
しかしソフィアも、この従兄弟に怒られるのはいつもの事だと思い、また自分に非があるとも思っていない。
むしろソフィアはレオナルドに怒りすら感じていたのだ。
「まったく。叔母上や叔父上になんと弁解するつもりか知らんが…とりあえず邸へ戻るぞ。すみませんが元帥、ソフィアを送って来ますので少々お時間を頂きたい」
「それは勿論構いません。私もお二人の護衛として参りましょう」
「っ!?待って下さい!お兄様!元帥!」
自分をおいて勝手に話を進めるレオナルドと元帥に、遂に我慢が出来なくなったソフィアは叫んだ。
その様子に一瞬固まるレオナルドだが、直ぐに眉間に皺を寄せる。
「いいや。待たない。お転婆も大概にするんだソフィア。それにこんな時間にこのような場所で大声を出すなど…はしたない。お前には明日、いや今日からみっちりと淑女とは何なのか、徹底的に学んでもらうように叔母上達に頼むからな」
「嫌です!」
「だからワガママを言うなと」
「私も玉華へ行きます!お姉様に会うために!!」
レオナルドの言葉を遮って告げたソフィアのその言葉に、この場にいる全員が息を飲んだ。
ソフィアは今『玉華』そして『お姉様』とハッキリと告げた。
つまり限られた人間しか知らない『玉華に弐の姫が来る』という極秘の情報を知っているのだ。
「お前っ!?何故その事を!」
「玉華に行く事を許して下されば、お話致します」
驚くレオナルドとは逆にソフィアは優雅に微笑みながら、ドレスの裾をつまんで礼をする。
その仕草は今の今までレオナルドに窘められた淑女の所作。
つまりは嫌味も込めて返したのだ。
「馬鹿な事を言うなっ!そのような事!許せるはずないだろう!」
「レオナルド様。どうぞ気持ちをお静め下さい。ソフィア様、今回の件は女王陛下の御勅命、そして最重要機密事項として扱われております。ソフィア様が弐の姫様を想う気持ちはわかりますが……こればかりは陛下の御許可が必要となります」
頭に血が上りそうなレオナルドを落ち着かせるよう諭すと、またこの小さなお嬢様をも優しく諭す飛龍元帥。
だが穏便に済ませたい大人の事情など、子供は知る由もない。
それどころか、ソフィアはさらなる問題発言をくり出した。
「陛下の御許可でしたら、とっくに頂いております!ですから私も連れて行って下さいませ!」
「っ!?な、なんだと!?」
「っ!!ソフィア様……それは本当ですか?」
女王陛下から下された極秘任務。
それを貴族とはいえ、まだ成人していない一人の少女に教え、尚且つ許可を出すなど信じられるはずもない。
しかしソフィアは、その反応を予測していた。
「本当です。順を追って説明致します」
さらに一日前のこと。
昨日の昼過ぎ、ソフィアは自宅である侯爵邸の広い庭で花を詰んでいた。
そんな彼女の様子を見て、二人のメイドがソフィアへと近づく。
「お嬢様。そろそろ風が出て冷えてまいりました。お部屋に戻りませんと」
「もう少し待って。あと薔薇も詰みたいの。お兄様に差し上げたいから」
「レオナルド様に?」
「ええ。お兄様はいつもお姉様や女王陛下の為に頑張っているのだもの。でも働いてばかりではお身体を壊すかもしれないでしょ?だからお花を見て心を休ませて頂きたいの」
今まで詰んでいた花の束を『ほらっ!綺麗でしょ!』と満足気にメイド達へ見せるソフィア。
メイドの一人はそんなソフィアの様子に笑顔で応えるが、もう一人は苦い顔をしている。
「レオナルド様に…。ですがレオナルド様は明朝玉華へと旅立たれるので、本日はその準備でお忙しいのではないでしょうか?」
「えっ!?お兄様が玉華に?昨日お会いした時は何も言ってなかったのに……どうして?急に決まったの?」
「はい。なんでも弐の姫様と会う為に玉華に向かわれるとか。公爵邸のメイドが話しておりましたから」
「その話なら私も聞きました。女王陛下の御命令だと」
顔を向かい合わせながら話すメイド達に、ソフィアは食い入るように尋ねる。
持っていた花束が地面にバラバラと落ちてしまったが、そんな事を気にする余裕はない。
「陛下の御命令!?どうして!?本当にお姉様が玉華におられるの!?」
「申し訳ございません、お嬢様。私共も詳しい訳ではないのです」
「もし気になるようでしたら……陛下に直接お聞きになるしか……」
「っ!?陛下に至急謁見を願い出て!直ぐにでも城に伺うわ!」
「はい。お嬢様」
「直ぐに準備を致します」
ソフィアは直ぐに自室へ戻り、メイドの一人を使って女王へ謁見する正装用のドレスへと着替えた。
彼女の身支度が終わると扉を叩く音が聞こえ、もう一人のメイドが現れた。
「お嬢様。陛下より謁見の御許可がおりました」
「もう?随分と早いのね?急に願い出たのに……」
「きっと弐の姫様を想うお嬢様のお気持が、陛下へと通じたのですね」
「そうですわ。参りましょう、お嬢様」
「えぇ!貴女達ありがとう!二人には褒美をとらせるよう、お父様には言っておくわ」
「とんでもございません。私達はお嬢様のお世話をするのが仕事でございます」
「勿論。このまま王宮へとお供させて頂きます」
「何からなにまでありがとう!それじゃあ行きましょう!!」
ソフィアは喜々として自室を出た。
そんな彼女の様子にメイド達は顔を合わせてニヤリと笑う。
何かの思惑が上手くいったかのように。
しかしそんな様子は見ていないソフィア。
ソフィアは気づいていない。
侯爵家の箱入りお嬢様が、メイド一人一人の顔など覚えているはずがないのだ。
この二人のメイドが、今朝まで侯爵邸にいなかった事すらソフィアは気づいていなかった。
メイド達は恭しく頭を下げて、ソフィアの後ろを歩く。
その姿に他のメイドや使用人達も疑問を持たず、ただ通り過ぎていった。




