玉華の領主 13
「…珍しい」
「ん?何がだ」
「若様が……その赤い花以外気に入るの」
先程の店には若様の着物の柄にもある赤い曼珠沙華も置いていた。
それは若様の一番好きな花で、彼のトレードマークとも化している。
花の好きな若様だが、曼珠沙華への思い入れは特別らしく他の花よりも優先して持ち歩いていた。
若様は当然いつものようにあの真っ赤な花を買うだろうと思っていた為、別の花を買った事が青年には意外だったらしい。
「まぁ…蓮は好きな花言葉が多いしな。それに『救って下さい』なんて……今の玉華にピッタリだ」
「……はす?」
「この花の名前だよ。そして俺の好きなこの花の名は『曼珠沙華』。花言葉は………『あきらめ』だ」
自嘲気味に呟く若様に再び青年は首を傾げる。
彼には若様の言葉が理解出来ないから。
言葉にこめられた意味だけでなく、花を愛でる事もわからない青年に、若様は先程と同じ言葉をかけた。
「いずれお前にもわかる時が来る……必ずな。だからこそ……無茶はするなよ」
「無茶?」
「そうだ。俺の言葉の意味……わかったらちゃんと俺に伝えろ。約束だ」
「…約束?……命令じゃない?」
「あぁ。命令じゃない。約束だ」
「…………若様の言葉……やっぱりわからない」
真っ直ぐに自分を見つめる青年に苦笑しながら、若様は再び歩み始める。
青年もそれからは一言も発せずに、ただ若様の後へと続いた。
だが暫く歩いた所で急に若様が立ち止まり、青年も歩みを止める。
若様はゆっくりと、そして今までの青年との会話とは全く違う冷たい声を発した。
「…………なんだ」
それは自分の後ろを歩く青年に向けた言葉ではない。
青年もその意味はわかったのか、何もせずに右側の建物へと目を向ける。
そこには建物の影に隠れた一人の男の姿。
玉華の民と同じ服装をしているが、纏っている空気はただの庶民ではない。
二人の周りを歩く玉華の民が誰も気づかないのは、影で見えないだけだなく、男が気配をほとんど感じさせないからだ。
むしろ気配を完全に消していたが、若様に気づかせる為にわざと気を緩めたのだろう。
若様に問いかけられた男は二人にしか聞こえない、か細い声で要件を伝える。
「若様。至急お戻り下さい。首領がお呼びです」
「俺を呼びつけるとは……奴も偉くなったものだな」
「状況が変わりました。呪詛を治す女の魔導士が玉華に現れたとのこと。更に飛龍元帥も玉華に戻ったと報告も受けております。ただちにお戻り下さい」
「…………はぁ……わかった」
深くため息を吐きながらも若様は了承する。
自分には選択肢など無いのだと、わかっているから。
若様の返事に頭を下げた男は護衛の青年にも声をかける。
「首領はお前もお呼びだ。若様をお連れして直ぐに戻れ。13」
「……わかった」
男はその後、若様に再度一礼すると影の中へと消えていった。
完全に男の気配が消えると二人は再び歩き出す。
男が伝えた場所へ戻るために。
(俺達の呪詛を消せる程の魔力を持った女の魔導士…か。この玉華を救うつもりなのか?)
若様は口に出す事はせず、一輪の蓮へと心の中でのみ問いかけた。
「はぁ、はぁ、はぁ………はぁ~、やっと追いついた。そんなに走ってどうしたの?ノア」
蓮姫は息を切らしながらノアを抱きかかえる。
ノアールは蓮姫の手をペロペロと舐めながら、主の顔を見上げている。
まるで……何かを心配しているかのようだ。
「ノア?……ホントにどうしたの?」
「どうしたの?は、俺の台詞ですよ」
「はぁ、はぁっ………旦那…脚も早ぇな…」
「っ!?ジーン!狼!」
聞き慣れた声に蓮姫が振り向くと、そこには涼しい顔で佇むユージーンと、息を切らして肩を上下に動かす火狼の姿。
どうやら2人もあの喧騒から抜け出し、蓮姫達を追ってきたようだ。
「ジーン。今のどういう意味?」
「……いえ。なんでもありません。姫様がご無事でなによりです」
「???意味がわからない。こんな街中で危険なんて無いでしょ。ジーンは心配しすぎ。過保護だよ」
「…………姫さん?」
「えぇ。過保護ですよ。なんたって俺は姫様のヴァルなんですから」
火狼が何か口にする前に、ユージーンはニッコリと微笑みながら蓮姫へと声をかける。
火狼に「余計な事は言うな」とチラリと目線で合図しながら。
その意図がわかった火狼は、言おうと思った言葉を飲み込む。
そしてユージーンの肩に手を回しながら、いつもの軽い口調でおどけるように別の言葉を紡いだ。
「いや~、姫さん聞いてよ。姫さんいなくなった後、俺達は姫さん達を追いかけたんだけどよ。旦那ったら俺おいてピューッ!って先に行っちまうんだぜ。酷くね」
「何処が酷いんだ。そもそも足が遅ぇんだよ。犬のくせに」
「今は人間ですぅ!」
「はいはい。コントしてる馬鹿2人は放っておこうか。ねぇノア~」
ニコニコとノアールを撫でながら話しかける蓮姫。
そんな彼女に聞こえないように男達は小声で話す。
「姫さん、やっぱおかしいな。どしたんよ?」
「わからん。だが……今の状態の玉華に、今の状況の姫様は…確実に良くない」
「あんなに心配してた元帥の息子の病気忘れたり、『 危険が無い』とか言ったり…それになんか……今の姫さん普通の女の子みたいだぜ」
「あぁ。アレは友人の前だったり警戒してない時の姫様だ。姫様は玉華に来てから、反乱軍の事で気持ちを張り詰めてたが…今は警戒すらしてない」
「それって……一体姫さんに何が起こってんだよ」
「……俺が一番聞きてぇよ」
玉華に来た最初の日、末息子が病気だと飛龍元帥の妻である小夜から聞いた蓮姫は、その息子と母である小夜をとても心配していた。
領主である大牙に軟禁されていた為に部屋から出られなかったが、彼女はその末息子をなんとか助けられないか?せめて見舞いに行けないものか?と二人に話していた。
また反乱軍がこの玉華にいると聞いたその時から、蓮姫の心には復讐の炎が宿り眼光は日々鋭くなっていた。
玉華に着く前からも……あのアビリタでキメラとなったアルシェンを殺したあの時から、蓮姫は何処か他人を寄せ付けないような雰囲気を出していた。
だというのに……今の蓮姫は何事も無かったかのように、呑気に猫と戯れている。
ふと男達の方を振り返る蓮姫。
二人は怪しまれないように、ニッコリと同時に笑顔を見せた。
が、逆にそれが怪しかった。
「……な、なに?二人揃って笑って…肩まで組んで……変。そんなに仲良かったっけ?」
「え~、俺と旦那はいっつも仲良しじゃん!なぁ旦…ぐぇっ!!?」
おちゃらける火狼の鳩尾に、綺麗に、そしてかなりの力で肘鉄を食らわせるユージーン。
そしてゲホゲホと咳き込む火狼を、汚物でも見るかのように見下ろしながら口を開いた。
「今すぐ離れろ。今すぐ消えろ。今すぐに死ね」
「ちょっ!?酷くねぇ!?」
「あ、大丈夫だね。通常通りだったわ」
二人のやりとりを見て、納得したように蓮姫は呟く。
しかし男二人の蓮姫への謎は解けないままだ。
「さて、姫様。いつまでもここでこうしている訳にはいきません。また馬鹿共に取り囲まれる前に早く参りましょう」
「え?何処に?」
「……領主様のお邸、飛龍元帥のお家ですよ」
蓮姫を責める事はせず、また彼女が不安にならないように、ユージーンは優しく教える。
今の彼女を責めても何も解決しない。
むしろ蓮姫を傷つける可能性がある、とユージーンは判断したのだ。
「飛龍元帥?蒼牙さんは大将軍でしょ?」
「飛龍大将軍は最近、レムスノアや王都に来た反乱軍を討伐したんさ。ついでに今までの功績も認められて軍の最高指導者、元帥の地位を陛下に与えられたんだぜ」
ユージーンと同じように蓮姫へと説明する火狼。
実は火狼が蓮姫に飛龍元帥の昇進の件を伝えるのはこれで二度目だった。
玉華についた際、領主の邸で使用人達に聞いた話を彼は蓮姫とユージーンに伝えていたのだ。
全く同じ説明に蓮姫は初めて聞いた時以上に驚いている。
「そうだったんだ!蒼牙さんに会ったら『おめでとうございます』ってちゃんと伝えなきゃね」
「……そうですね。では姫様、参りましょう」
ユージーンも火狼もそれ以上は何も口にせず、またノアールは心配そうなまま蓮姫を見上げ、三人は領主の邸へと足を進めた。
「見えましたよ。姫様、あそこが領主様の邸です」
「ありゃ?なんかめっちゃ人がいるぜ」
蓮姫達が領主の邸へと近づくと、門の周りには大勢の人が立っていた。
それは宿屋の時のように群がっている訳ではなく、全員が整列して門の外……蓮姫達のいる街の方を見ている。
そしてその中に……蓮姫は見知った顔を二つ見つけた。
一つはこの玉華を統べる領主大牙の父であり、女王陛下からの信頼厚い飛龍元帥、蒼牙。
そしてもう一人は……。
「……っ!?……どうして……ここに……」
「…………ちっ……厄介な奴が来やがったな」
その姿……彼の姿に驚きを隠せず言葉を失う蓮姫。
蓮姫の記憶を見たユージーンは、そこにいる男が誰なのか、何故ここにいるのかを直ぐに理解し蓮姫に聞こえないよう舌打ちをする。
「なんで……レオが…」
「姫さん?どしたんよ?」
「あ…ご、ごめん。狼」
蓮姫が慌てて火狼の方を向き、困ったように眉根を下げて謝る。
蓮姫は何も悪くはない。
そして火狼も悪い訳ではないが、彼を見た事で蓮姫の中には罪悪感のような物が生まれた。
それは今までの事、そして彼以外の男と常に一緒にいた事か?
それとも彼を想う蓮姫の気持ちが、自然と謝罪を口にさせたのか?
だがそんな蓮姫の心情など知る由もない一人の少女は、蓮姫が彼や飛龍元帥から顔を背けた瞬間、人混みから飛び出す。
奥にいた為に蓮姫もユージーンも彼女の存在に気がつかなかった。
最初に気づいたユージーンはギョッと目を丸め、自分が思った以上にこの厄介事が面倒な事だと知った。
「お姉様っ!!」
少女は一直線に、全力で蓮姫へと駆け寄る。
蓮姫は聞き慣れた声と呼び方に驚いて火狼から、声の方へと振り向く。
彼女を…蓮姫をこう呼ぶ少女は、一人しかいない。
少女は蓮姫へと抱きつき、きつくその体を抱きしめた。
「やっとお会い出来ました!!お姉様ぁっ!」
「…………ソフィ?」
蓮姫は困惑しながら少女の、ソフィアの愛称を呼び、そっと彼女を抱きしめ返す事しか出来なかった。




