玉華の領主 12
一人呟く火狼だったが声にした事で誰にも聞かれない虚しさが更に強まり、慌てたように蓮姫達を追った。
だが部屋を出て直ぐに彼女達の姿は火狼の目に映る。
蓮姫達は廊下の端にある階段を下りると、先には進まずその場に留まっていた。
なんだかんだ言って自分を待っていてくれたのか、と火狼は顔をほころばせるが彼女達の表情から違うとわかる。
階下にいる彼女達の視線の先、宿屋の外が何やら騒がしい。
火狼は階段を下りながら蓮姫達へと声をかけるた。
「どしたん?」
「詳しくはわからない。だけど領主様や兵士達が今は出るな、と」
眉根を下げ困ったように答える蓮姫。
一方ユージーンは耳をすまし外の喧騒…騒いでいる人々の声へと意識を集中する。
「…これは……姫様、俺達の側から離れないで下さい」
「どういう意味?ジ」
バンッ!!
蓮姫の言葉が終わらぬ間に勢いよく宿屋の扉が開かれ、大勢の玉華の民が宿屋へとなだれ込んでくる。
ユージーンは咄嗟に蓮姫の前へ立ち彼女を庇おうとするが、あっという間に蓮姫達は民に取り囲まれてしまった。
「ああ!!貴女が魔導士様ですか!」
「ありがたい!これで玉華は安心だ!」
「先程妻を治して頂いた者です!是非お礼をさせて下さいませ!」
「魔導士様!お願いします!家の子供も呪詛にかかってるのか今朝から水しか口にしていないんです!家の子も治して下さい!」
「いえ!私も何日も前から体が怠くて仕方ないんです!これは反乱軍のせいに決まってます!魔導士様!治して下さい!」
「魔導士様!!是非私の家にも!」
「魔導士様!」
どうやら彼等は蓮姫に治してもらった者、もしくは噂を聞きつけた野次馬らしい。
家族を治してもらい礼をしたい者や呪詛の影響が軽度の者ならまだしも、呪詛かどうかもわからない体の不調を訴える者までいる。
蓮姫が口をはさむ暇もなく民達は我先にと自分の主張を口にする。
さすがのユージーンも鬱陶しくなり蓮姫の怒りを買う事も覚悟で民に怒鳴ろうとしたが、それよりも先に口を開いた者がいた。
「っ!お前達!下がらぬか!蓮様はお疲れなのだ!」
「領主様!」
大声で叫びながら人混みを掻き分けるように領主である大牙は蓮姫へと近づこうとする。
だが集まった民の思いや力は相当で、蓮姫へと近づく事が中々出来ない。
「お前達!退かぬかっ!このっ!蓮様!!この者達は我等に任せ先に我が邸へとお戻り下さい!皆の者!静まれ!静まらぬかっ!」
「姫様っ!一先ず領主様の言葉に従いましょう!」
「わ、わかった!!」
「お待ち下さい魔導士様!」
「魔導士様ぁ!!」
「す、すみません!皆さん通して下さ……うわっ!?」
何とか人混みから離れようとする蓮姫だが、そんな彼女達の都合など構わず民達は蓮姫へと詰め寄る。
「クソッ!おい!退いてくれ!姫様…とりあえず姫様だけでも外に!」
「うにゃあっ!」
ユージーンが蓮姫へと声をかけ後ろを振り向くが、そこにはノアールを抱えた火狼のみで蓮姫の姿は何処にもない。
火狼は青くなるユージーンの顔を見ながらも、しどろもどろに答える。
この後、自分も同じように顔色が青くなり、逆にユージーンの顔が烈火に染まる事も予想していたが。
「…えと……もみくちゃにされて吹っ飛んだ猫は引っ捕まえたんだけど……姫さんは……わかんねぇや」
「っ!!?この……役立たずのクソ犬っ!!」
一方、蓮姫は人混みに押され続け、幸か不幸かユージーンの望み通り運良く宿屋の外へと放り出されていた。
「とっ、ととっ……ぅわぷっ!!?」
「っ!?……なんだ?」
勢いよく宿屋から飛び出てきた蓮姫を、宿屋の外を歩いていた男が偶然抱きとめる。
「っ!ご、ごめんなさいっ!急にぶつかってしまって!」
「………………」
蓮姫は慌てて男から体を離すと、頭を下げる。
しかし男の方は一言も発せずに蓮姫をただ見下ろしていた。
何の反応も示さない男に恐る恐る蓮姫は頭を上げる。
ユージーン程ではないが綺麗な顔をした青年。
まだ幼さの残る顔を見て、蓮姫はぼんやりと自分と同じ年頃だろうか、と思った。
格好は周りを歩く玉華の民と同じように簡素で地味だが、緩く三つ編みにしている薄紫の髪が何処か違和感を持たせる。
瞳は色素の薄い髪によく映える、深い海のような蒼。
お互い何も発さない二人の間にはただ沈黙が流れた。
「……???…あの………っ…もしかして!何処か怪我を!?」
「…いや………別に…」
端的に告げる青年だが、その蒼い瞳は蓮姫から逸らされる事はない。
彼が怪我をしていない事に安堵した蓮姫だが、青年は変わらず蓮姫を無言で見つめ続ける。
青年の視線が気になった蓮姫が再度声をかけようとすると……
「うにゃっ!にゃにゃにゃっ!」
「え?ノアっ!?」
鳴き声に振り向く蓮姫の目の前には必死に主人を呼ぶノアールの姿が。
どうやら火狼の腕、そして人混みから抜け出し蓮姫を追ってきたようだ。
主人が自分に気づいたとわかると、ノアールは蓮姫とは逆の方へと駆け出して行った。
それは主人を早くこの場から離そうというノアールの意思の表れだった。
そしてノアールの思惑通り蓮姫は慌てて自分の愛猫を追いかける。
「ちょっ!ちょっとノア!待って!!あの!ホントにすみませんでした!!」
再度青年に頭を下げると踵を返し蓮姫は行ってしまった。
「…………今の………確か…弐の姫」
誰にも気づかれない程に小さく呟いた青年の声。
蓮姫の正体を知る青年は、蓮姫を追いかけるでもなくただ彼女が去った方を見つめていた。
「どうした?」
「…それ…俺のセリフ……何処に行ってた?」
青年が声のする方を振り返ると、そこには黒地の裾に赤い曼珠沙華が一輪だけ大きく描かれた、上等な絹の着物に身を包む男が佇んでいた。
瞳の色は紫、腰まである長い銀髪を背中で緩く一つに纏めている。
着物とは真逆に儚げな雰囲気を纏うその男は三つ編みの青年よりも年上に見える。
「玉華に来るのは初めてだったからな。少し露店を見てた」
遠くの露店を指差しながら答える男に、三つ編みの青年はため息をつく。
「……勝手な行動は…困る。…今の…俺の任務……若様の護衛。…離れるな」
「そうだったな。悪かったよ」
男は苦笑を浮べながら謝罪を口にする。
青年が若様と呼び護衛と言った事、そして絹の着物を着ている事から…この男は地位の高い者らしい。
「しかし……玉華はいい町だ。こんな形で来る事になって残念だな」
「……残念?……どうして?」
「今の玉華は本来の玉華じゃないからだ。街ゆく者が皆そう言っている。彩一族が治めていなければこんな事にはならなかっただろう。いや、彩一族が治めたからこそ良い土地になったのか。……まぁ、どちらにしろ…俺達が言えた義理じゃないか」
「……???……よく…わからない。首領のする事……若様は反対…なのか?」
「……いや。それも俺が言えた義理じゃない」
目を伏せながら答える若様に、青年はただ首を傾げた。
そんな青年の様子を見ながら、若様は「なんでもない」と苦笑いで答えた。
「そういえば、玉華当主飛龍元帥の末息子も標的……いや、犠牲者だったな」
「……そう聞いてる」
「我が子が苦しむ姿を見るしか出来ない母とは……奥方の悲しみや心痛は相当なものだろう」
「……どうして…母親?…辛いの…子供なのに」
その言葉の意味が本当にわからないのか、青年は先程以上に理解が出来ないという表情で聞く。
「……ん?そうか。お前に親はいなかったな」
「……うん。…母親…………わからない 」
「まぁ俺の親でしか説明出来ないが……子供を大切に思い、守る存在さ。特に母親はな」
と微笑みながら教える若様だが、やはり青年には理解が出来ないようだ。
彼は『母親』『大切』『守る』……そういった言葉とは無縁に生きてきたのだ。
「…母親は……子供が大切?………守る……?」
「あぁ。母さんってのはあったかくて、優しいもんさ」
「………あったかくて……優しい………母さん…」
俯きながら考える青年の頭に、若様はポン、と自分の手をおく。
「いずれ…お前にもわかる時が来るさ。さて、あいつらをいつまでも待たせる訳にもいかん。そろそろ戻るぞ」
「…………うん」
自分のせいでその誰かを待たせていたというのに、若様は振り返ると歩き出した。
青年は暖かさが離れた頭を片手で撫でながら「…あったかい……これ?」と見当違いの事を考えて若様の後を追う。
が、しばらくした所で若様は再び足を止めた。
そこはとある店の前。
店の中には所狭しと花が飾られている。
「花屋……か。少し見ていくか」
「…若様。……さっき『戻るぞ』って」
「少し見るだけだ」
手短に答えると若様は店中の花々を目で追っていく。
その目はとても穏やかで、彼が本当に花が好きだとわかる。
「おや?こりゃまた見事な装いのお客さんだね」
「あぁ。俺は行商人でね。玉華には絹を売りに来たんだ」
「その上等な生地を見る限り…結構稼いでんだねぇ。お付きの者までいるなんてさ」
「はは。それなりに偉いからな」
店主の女に話しかけられ、ニコやかに答える若様。
青年は二人の会話に一切口を挟まないが、店主を探る様に見る。
だが直ぐにその視線は逸らされ、若様へと戻された。
青年はこの女店主が若様に害がないかを見ていたのだ。
そして一切の危険がない、ただの一般人だと一瞬で判断した。
そんな護衛の仕事ぶりに若様は満足気に微笑みながら、店主へと声をかける。
「そうだな…………右端にある蓮の…薄桃色をくれ。その一輪でいい」
「おや?一輪なんてしみったれてるねぇ。稼いでんなら鉢ごと買っとくれよ」
「いや。花は鉢ごとよりも切り花一輪の方がいいんだ。それに今は持ち歩きたい気分だしな」
それは若様の持論なのだろうが女店主は納得がいかずに、ブツブツと小声で文句を言いながら蓮の花をとる。
だが若様が一鉢買っても余る程の金を渡すとニコニコと頭を下げた。
受け取った一輪の蓮を機嫌良さそうに見ながら再び歩き出す若様に、青年は声をかけながら少し後ろを歩く。