玉華の領主 6
「蓮様。あまり離れませんよう、お気をつけ下さい」
「はい。領主様」
あれから数分後、大牙は侍女と兵士を数人連れて蓮姫達の部屋へと戻ってきた。
約束通り街へと出かける事となったのだが、やはり自由気ままに物見遊山とはいかない。
蓮姫達の周りには侍女と兵士が二人づついるだけだが、他にも兵士が数人、物陰に隠れながら付いてきている。
当然の如く警戒は怠らない体制だが、それは蓮姫にとって有り難くも窮屈だった。
しかし、それは大牙とてわかっている。
そして大牙がそうしなくてはいけない理由……弐の姫とはいえ姫を危険に晒してはいけないのだと、蓮姫も理解している。
ちなみに、大牙が蓮姫を『蓮様』と呼んでいるのは、周りに彼女が弐の姫とバレない為だ。
玉華の民はともかく、反乱軍ならば蓮姫の名を知っていてもおかしくはない。
「なぁなぁ、俺トイレ行ってきてもいい?」
「火狼殿。先程行かれたのではなかったか?」
「いや~……あんな監視付いてるトコじゃ、出るもんも出ないっしょ~」
「それは申し訳ない。しかし蓮様の従者に何かあっては、領主の私は勿論、彩家の者は女王陛下に二度と顔向け出来ません。御容赦頂きたい」
「……さいですか」
当初の『火狼が一人離れ狼化し街を探る』計画は早々に潰れた。
それ程までに警戒は厳重。
秘密裏とはいえ、女王から『玉華にいる間、弐の姫の身を保証しろ』との勅命が下っているのだから無理もない。
そしてソレは蓮姫だけではなく、従者も含まれる。
「……行かれぬのですか?火狼殿」
「…なんか……引っ込んだからいいっス」
ガックリと肩を落とす火狼。
火狼だけではない、ユージーンも自由に動く事が出来ない現状に気落ち……いや、イライラしていた。
(くそ……当然っちゃあ当然だな。俺達だけで好きに動ける訳ねぇか。しかし…隙を見て抜けようにも……流石は玉華。武芸に秀でた彩家が治める土地なだけあんな。一見すると和かな街……だが兵士一人一人のレベルはかなり高い。小さな街だってのに王都の軍と同じくらい統制が取れてる)
玉華の兵達の士気の高さにはユージーンも感服する程だ。
味方ならば相当心強いだろう。
しかし今ばかりは無能でいてほしかった、とユージーンは心の中でのみ悪態をつく。
そんなユージーンの心境など知らない大牙は、蓮姫へと声をかける。
「いかがですかな、蓮様。この玉華という街は」
「民に活気が溢れていますね。民同士の貧富の差も大きくない。和かな気候、山々に囲まれ恵も多い。部屋の窓から眺めていましたが…実際に街へ出て再度感じました。玉華はとても良い土地です」
「……そう思われますか?」
「はい。…しかし……やはり民達の顔に翳りが見えますね。怯えや恐れといった。これは本来の玉華の姿ではない。……そう思います」
「弐の……いえ、蓮様のおっしゃる通りです。反乱軍の噂で民は不安を感じております」
街並み……行き交う民達を見ながら大牙は眉間に皺を寄せながら告げた。
領主として彼も、この現状を打破したい。
蓮姫も大牙と同じように民を見て、ゆっくりと告げる。
「何とかしなくてはいけない……いえ、必ず何とかします」
「……蓮様?」
「玉華の民が反乱軍に怯えず暮らせるよう、私達が反乱軍を退けます。必ず」
振り向いた蓮姫の表情に、大牙は息を呑む。
見かけは華奢な娘だというのに、蓮姫の瞳は歴戦の将のように強い光を帯びていた。
大牙にとっては、自分が嫌う父と同じくらいに強い瞳。
それでも、大牙は蓮姫の瞳に嫌悪は抱けなかった。
(この方は……本当に弐の姫か?女王となるに相応しくない、争いの元だと?噂は当てにならぬ、とは言うが……。これ程までに…強い意志と民を思いやる心を持った方が…何故…)
蓮姫の嘘偽り無い本心を真っ直ぐに向けられた大牙は、彼女の人となり…姫としての素質について思いを馳せる。
もはや大牙の中には『力なく遊び呆ける弐の姫』のイメージは消えていた。
そんな時、通りの奥から中年の女性が走ってくる姿が見え、大牙の意識はそちらへと向かう。
必死な形相で真っ直ぐこちらへと向かってくる女性に、すかさずユージーンと火狼、兵士が構えるが、大牙はそれを腕で制して前へと出た。
「あの者は大丈夫だ。昨日、報告も受けている」
「報告…ですか?領主様、あの人は一体?」
蓮姫の問いに大牙が答える前に、女性は蓮姫達の目の前までやって来た。
「領主様ぁ!!」
「うむ。報告は昨日聞いている。娘の容態はどうだ?」
「ハァ、ハァ……。変わりません。ずっと寝たきりで…息をするのもしんどいのか……ろくに食事もとれなくて……」
息を切らしながら、そして涙ながらに告げる女性。
どうやら娘が病気らしい。
しかし、ソレを何故領主である大牙が知っているのか?
報告とは何のことか?
蓮姫が口を開く前に、大牙は蓮姫達へと答えた。
「この者の娘は反乱軍の流した毒に体を侵されているのです」
「っ!?それは…確かですか?」
「はい。玉華では最近、病に倒れる者が増えています。それも老人や子供ばかりです」
大牙の話に驚く蓮姫だが、ユージーンと火狼はどこか納得しているような表情だった。
「老人や子供は健康な大人に対して、毒に対する免疫力や抵抗力が少ないですからね」
「川とかに流された毒が何かは知んねぇけど…老人、子供、病人に影響が出やすいのは当然の話だな。毒の種類がハッキリすれば、解毒剤も作れんじゃねぇの?」
火狼の言葉に大牙は首を振りながら答えた。
「既に川や井戸から毒物を検出し、それに対する解毒剤も各家に配っている。……だが、成果はあまり出ていない」
「成果が出ていない……ですか。それは気になりますね」
大牙の言葉にユージーンも首を傾げ る。
普通の毒ならば解毒剤を出せば、直ぐではなくとも回復の兆しが見えるだろう。
しかし、大牙の口ぶりからして……濁してはいたが、恐らく全く効果が見られないのだとユージーンは気づく。
(もしかして……毒じゃない?ロゼリアの時みたいに…噂されるモノとは全くの別物なんじゃ?)
ロゼリアの時は人々が『人魚病』にかかったと噂されていた。
しかし真相は『リスクの一族』の血によって出来た毒が原因。
人々の間に広まった噂、ソレを思い込む心が、真実を上手く隠していた事件だった。
「領主様!うちの娘はこれからどうなるんでしょう!?まさか……このまま……」
「心配するな。反乱軍の事は我々が、彩一族が必ずかたをつける。毒に侵された者も必ず救うと約束する。今しばらくの辛抱だ」
泣き崩れそうな母親の肩に手を置き、優しく声をかける大牙。
それは蓮姫達が昨日まで感じていた傲慢な男ではなく、民を案じる領主そのものだった。
そんな大牙の姿、娘を案じる母親の姿を見て、蓮姫は口を開く。
蓮姫はこういう状況を目の当たりにして、黙っていられるような姫ではない。
「あの、差し出がましいようですが、娘さんに会わせて頂けませんか?」
蓮姫はにっこりと母親に微笑みながら優しく声をかけた。
領主である大牙と一緒にいるとはいえ、見ず知らずの女に声をかけられた母親は軽く困惑して蓮姫へと向く。
「……えと………貴女は一体?」
「私は蓮と申します。縁あってこの玉華へと参り、領主様にお世話になっている者です。多少は回復の魔術を心得ておりますので、どうぞ娘さんのご容態を見せて頂けませんか?」
「蓮様…しかし」
蓮姫の言葉に困惑したのは母親だけではない。
大牙も蓮姫の自由な発言に眉を寄せる。
まるで『勝手な真似は困る』と言いたげだ。
それは当然のこと。
弐の姫の身に何かあっては、困るのは領主である大牙やその一族だけではないのだから。
しかしそんな大牙の言葉を遮るように、目の前の母親はパァッ!と顔を輝かせ、蓮姫の手をとる。
「そうだったのですか!?領主様のお客様なら、さぞ御立派な魔導士の方なんでしょう!魔導士の方に診て頂けるなんて!こちらこそ願ったりです!どうぞ娘を助けて下さい!」
「はい。私に出来る事でしたら、何でも致します」
興奮気味に話し力強く自分の手を握りしめる母親に、蓮姫は快く了承した。
それは大牙やユージーン達が口を挟む間もないほどに。
今更『無理です』とは言えない。
大牙は困ったように蓮姫へと目を向けるが、彼女は笑みを崩さずに大牙へと声をかける。
「差し出がましい……勝手な真似をしてしまい申し訳ありません、領主様。ですが…病に苦しむ民を放っておく事は出来ません」
「……はぁ。わかりました。しかし、何処に反乱軍がいるかはわかりません。我々も共に参ります。そして、蓮様もご無理はなさらないで下さい」
「はい。約束は守ります」
蓮姫は微笑みながら了承すると、母親に促されるまま足を進めた。
ため息をつく大牙に、火狼がポンと肩に手を置く。
「姫さん。ああ見えて凄ぇ頑固だかんな。仕方ないっしょ」
「……蓮様の従者のわりに随分と呑気だな。あの方に仕える身ならば止めるべきだろう。火狼殿。そして……ユージーン殿」
一切話に入ってこない、いや入ろうともしないユージーンに、大牙は睨みながら声をかけた。
「そこの犬も言っていたでしょう。姫様は頑固なんです。その上、本物の猪も驚くほどの猪突猛進タイプ。更に言えば、先に断りを入れたらダメだと言われる事を瞬時に理解して、自分だけで先手を打ち行動する聡明な方です」
「従者の言葉とは思えんな。お主達はあの方の従者として相応しくはない」
「そうでしょうか?犬はともかく、俺…いえ私ほど姫様を理解している者はいません。私はあの方の想い、理想を妨げる事は一切しません。その結果、姫様が危険に合おうとも全力でお守りすればいい。それが姫様の望む従者の在り方ですから」
主と同じように、にっこりと微笑みながら告げると、ユージーンは蓮姫の側へと行くため足早に去っていった。
「なんという従者だ。主を危険に晒しても良いなど……噂によく聞く愚か者は従者の方だったか」
「あらら~。領主様もけっこう辛辣だねぇ。ま、当然だな。でもさ……あんな姫さんだから俺達は側にいてぇのよ。仕えたい、って本気で思うんだわ。むしろあの旦那を従わせてる時点で凄ぇって」
「ふむ。……そういえば火狼殿。ユージーン殿はお主を『犬』と呼ぶが…何か理由があるのか?」
「…………ごめん領主様。ソレ聞かないで」
大牙の問いに、火狼はガックリとうなだれながら小さく呟いた。