玉華の領主 3
自分の言葉を遮られた小夜は、バッ!と体を反転し、扉の方を向く。
蓮姫は小夜がその声に一瞬、ビクリと震えていたように見えた。
そして小夜の背中越しに、蓮姫も扉へと……いや、その場にいた全員が扉の方に目を向ける。
扉に立っていたのは一人の男。
「私に断りもなく勝手にこちらへ参るとは……領主の母ともあろう方が、その領主が定めた事を破らないで頂きたい。お客人にも無礼でしょう。そうは思いませんか?弐の姫様」
「……領主様」
彼は飛龍元帥と小夜の長男であり、この玉華の現領主。
彩 大牙
父親譲りの筋肉質な体格、薄茶色の髪、低い声。
飛龍元帥の息子……というからには、蓮姫は父同様の武人のような男を想像していた。
だが、体格とは別に大牙が纏う雰囲気は父とは真逆のもの。
(なんか軍師みたいな格好……孔明みたい)
蓮姫の彼の第一印象はまさに『軍師』だった。
大牙の格好は着物の上に袖の無い羽織りを重ね、髪を頭上の金具で一つにまとめている。
口元と顎に髭を生やし、常に羽扇を携える姿。
蓮姫が想造世界で見た、昔の中国に出てくる軍師のような格好だ。
そして父、飛龍元帥とは決定的に違う点がもう一つ。
「母は直ぐに下がらせます。弐の姫様はお気になさらず、父が帰るまでの間、どうぞこちらにてお休み下さい」
それは母の無礼を詫び、弐の姫である蓮姫を労る言葉のように聞こえる。
だが彼は常に、蓮姫やユージーン達を見下すような視線、軽蔑するような態度を崩さない。
今の言葉も労るのではなく『勝手に部屋を、この館を出るな』と釘を刺しているのだから。
大牙は弐の姫である蓮姫を軽んじている。
それだけではなく、弐の姫である蓮姫に嫌悪感すら抱いていると感じていた。
飛龍元帥と決定的に違う点とはここだ。
父は蓮姫に、弐の姫である事など関係なく良くしてくれた。
一方息子は、弐の姫というだけで蓮姫を毛嫌いしている。
それは誰が見ても一目瞭然だ。
(……無礼なのはどっちだ。母親よりもテメェの方が、よっぽど無礼だろうがよ。このクソガキ)
( 旦那、抑えて抑えて。気持ちはわかるけど、相手は俺や姫さんより年上だろ?歳知らんけど見た感じね。だから全然大人だぜ)
(俺にしちゃ全員が年下だ。ガキだ)
(いや…そりゃ旦那より年上とか…いないっしょ)
誰にも気づかれぬように唇を動かすだけで不満を吐き出すユージーン。
それに唯一気づいた火狼が、どうどう、と手を振りながら宥めるも、主を嫌悪する存在は全て忌々しいユージーンには効果が全くない。
そんな従者達のやりとりを知らぬ蓮姫は、自分に一礼し去ろうとする小夜の姿を見て領主へと言葉を返す。
「領主様。私が勝手に引き止めていたのです。小夜殿は私を気づかって来られただけ。どうか咎めないで下さい」
「気づかうとは?聞き捨てなりませんね。弐の姫様には不自由なきよう、この館を丸ごと差し出し、使用人達も日に何度も通わせております。衣服も食も寝所も御用意させて頂いたというのに。その上で…何か不満がおありでしょうか?」
嫌味を返す領主に『この軟禁状態が不満でしかない』と返したいユージーンだが、先に言葉を発したのは小夜だった。
「大牙!弐の姫様になんという事を!?」
「母上は早くお下がり下さい」
「いいえ!そもそも弐の姫様に対し、このような無礼!父上様がご帰還された時、どれほどお嘆きになることか!」
「……父上…元帥の事ですか?母上」
激高する母を大牙はギロリと睨みつける。
その視線に小夜は大きく体をビクッ!と震わせた。
「元帥がなんだと言うのです?あの男は一族の当主でありながら、玉華の領主の任を捨てた方だ。この玉華の領主は私。元帥ではなく私が領主です。元帥など関係ありません」
「た、大牙……」
実の母を睨みつける大牙。
その瞳には強い怒りが見える。
だが、その怒りは小夜に向いている訳ではない。
話の渦中、父に対して湧き上がる怒りだろう。
(あ~らら。父親に恨みでもあんのかねぇ。他人事に感じねぇわ。ま、他人事だけど)
火狼はこの大牙という男に、一方的ではあるが親近感を覚える。
勿論、それに気づく者などいないが。
大牙は言い過ぎた……いや、母親を脅えさせたと気づいたのか、バツが悪そうに『申し訳ありません、母上』と謝罪だけすると、再び扉の方へと足を向けた。
「では弐の姫様、我々はこれにて失礼を」
「お待ち下さい。領主様」
こちらに目も向けず足早に去ろうとする大牙を、蓮姫は呼び止める。
まるで『弐の姫と一緒の空間などさっさと立ち去りたい』とでもいう姿勢の大牙だが、蓮姫だってそれは良くわかっていた。
悲しい事だが、蓮姫は人に嫌われる事に慣れている。
自分を嫌う者など、視線を交わすばかりか、相手の発した一声でも気づいてしまうのだ。
それでも、彼女はそんな相手に怯むことなく、堂々と対峙する。
「……なんでしょうか?」
「少しばかりお話したい事があります」
「申し訳ありませんが、領主というのは暇ではございません。まだまだ執務がございますので、早々に失礼しなくては」
「ですが『不満がありますか?』とお聞きになられたのは領主様です。私はまだそれについてお答えしておりません」
「…………つまり…弐の姫様は我々の待遇に不満がおありだ、と?」
「それについては一度、領主様とはお話をしたいと思っておりました。先程も言いましたが、領主様の方からお聞きになられたのです。これを機に、どうぞ私の戯れに御付き合い下さい」
威圧的な大牙の態度に、蓮姫は全く怯まずに同じように返す。
先に折れたのは大牙の方だった。
「…フッ…フフ……ハハハハハ!!なるほど。随分と図々しい事をおっしゃいます!流石は弐の姫様!権力を振りかざし横暴な振る舞い!絵に書いたよう、とはこの事だ!見事過ぎて言葉も出ませんな!」
あまりの無礼な態度に小夜もユージーンも黙っていられず、口を挟もうとしたが、蓮姫はユージーンを手で、小夜には笑顔でそれを止めた。
「小夜殿、お気になさらず。少しの間ご子息とはお話をするだけですから」
「弐の姫様……ですが…」
「私は大丈夫です。小夜殿が気にかけて下さり、私は本当に嬉しかった。ありがとうございます」
微笑みながら告げる蓮姫に、小夜はそれ以上何も言えず、深くお辞儀をして去っていった。
「では、領主様。そちらへお座り下さい。ジーン、領主様にお茶を」
「…………。はい、姫様」
ユージーンはこんな男にお茶なんぞ出したくない。
(毒でも盛ってやろうか?むしろ頭からぶっかけるか、この髭ヅラ)
だがソレを実行してしまえば、一番被害をこうむるのは蓮姫。
ユージーンは苦々しく頷くと、大牙の分の茶を淹れ始めた。
大牙は小夜の座っていた席にドカッ!と腰を下ろすとパタパタと羽扇で顔を扇ぐ。
「さて、弐の姫様。我々にはどのような不備がございましたでしょうか?当然、私の納得いくお話でしょう」
ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべながら話す大牙に、ユージーンは乱暴にガチャ!とお茶を出す。
「どうぞ。領主様」
ニッコリと微笑むユージーン。
それは男である大牙も一瞬見とれる程の美しさだったが、背後にはドス黒く恐ろしいオーラが見える。
「う、うむ」
たかが従者に脅える訳にもいかない大牙は、冷や汗をかきながらもお茶を一口含む。
若干先程よりも羽扇を激しく扇ぐその仕草に、火狼も少しスッキリしていた。
「して……弐の姫様の…不」
「単刀直入に申し上げます。不満はございません」
「満とは…………は?」
大牙が話し終わる前……むしろ言葉を紡いでいる最中に蓮姫はキッパリと告げた。
大牙は勿論のこと、ユージーンも火狼も『は?』と呆気にとられている。
驚く男達を放っておくのはいつもの事だ、と蓮姫はそのまま言葉を続けた。
「領主様は禁所から歩きづめだった私達に暖かいお食事、暖かい寝所を用意して下さいました。この館を丸々私達に当てがい、上等の服まで。また私が玉華へと足を踏み入れた際、騒ぎにならぬように直ぐ馬車へと乗せ、こちらへご案内して頂きました。不満どころか感謝ばかりです。本当にありがとうございます。従者共々、礼を申し上げます」
蓮姫はスッ…と立ち上がると、大牙へと深く頭を下げる。
主である蓮姫が頭を下げたのだ。
ユージーンも火狼も……嫌々ながら大牙へと跪き、頭を下げる。
そんな蓮姫の態度に、大牙は面食らったように固まっていた。
このような展開はまるで予想していなかったようだ。
だが、蓮姫は頭を上げ座り直すと、本題へと切り出す。
「不満はありません。それは本心です。私がお話したいのは不満などではなく、領主様にお願いしたい事があるからです」
「……は?……あ、あぁ。御要望ですか?」
我に帰ったように聞き返す大牙は、もう一度湯呑みに口をつける。
「街へ出たいのです」
「ブッ!!?」
蓮姫の発した言葉に大牙は飲んでいたお茶を吹き出し、激しくムセる。
大牙もその話には予測がついていた。
だがソレは『館から出してもらえないから不満だ!』という前フリがあってこそ。
蓮姫の口から『不満が無い』と聞いた時に、そんな考えは打ち消された。
もしくはココまでハッキリくるとは思っていなかったのだろう。
「ゲホッ!ゲホッ!!に、弐の姫様……外に出たいですと?不満は無かったのでは?」
「不満はありません。この館にも。領主様や使用人の皆さんにも」
「では、出る必要など」
「いいえ。あります。私は弐の姫です。だからこそ、街へ出る理由があるんです」
しっかりと大牙の黒い瞳を見据えて告げる蓮姫。
あまりの堂々とした振る舞い、自分の意思をハッキリと告げる態度……自分が聞いていた弐の姫とは全く違うその姿に大牙は少し困惑した。
一方蓮姫は『あ、飛龍元帥は茶色い目だったけど、この人は黒だ。目の色は小夜殿に似たのか』と場違いな事を思っていたが。
「弐の姫だから街へ出たい、ですか」
ゆっくりと重い口を開いた大牙。
そこにはもう、弐の姫だからと蓮姫を見下すような空気は無い。
一人の領主として、一人の客人と向き合う。
そういう空気が彼の周りには感じられた。
だが、それでも蓮姫が弐の姫である事は変わりない。
「先に申し上げますと…貴女様が弐の姫だからこそ、街へは出ないで頂きたいのです。万が一、弐の姫様の正体がバレれば民の混乱や反発など容易に想像できますからな。私……いや、我が一族全てでも抑えられるかどうか」
「正体がバレるような事は決してしない、とお約束します。監視を付けて下さっても構いません」
「……何故、それほどまでに街へ出たいのです?街の様子がそれほど気になりますかな」
「……正確には、街の様子ではなく、反乱軍の様子を知りたいのです」
「っ!!?な、なんですと!?」