間章 3
【公爵邸】
公爵邸の応接室。
豪華な暖炉の前に置かれた広く座り心地の良いソファには、ここの主でもある公爵が項垂れるように腰を下ろしていた。
普段から礼節を重んじる公爵からは想像がつかない座り方だ。
リラックスしている……というよりは疲れきっている。
その姿は初老の公爵を更に年老いて見せた。
「……陛下の命ならば…従うのみ。……しかし…今の弐の姫様に…あやつは…」
公爵は誰に言うでもなくポツリと呟く。
その声にも疲弊がこもっていた。
当然だろう。
女王陛下から代々管理を任されていた禁所アビリタの解放。
女王陛下が自ら実験を進言していたキメラの死亡と死体の紛失。
しかも、これらには自分が後見を勤める弐の姫が関わっており……むしろ彼女こそが首謀者だ。
そして久々に再会した弐の姫の豹変。
頭を抱えずにはいられない事態ばかり。
ただでさえ厄介な事が山積みだというのに、今日女王から城に呼ばれた公爵はその場で下された女王の勅命に卒倒しそうになった。
コンコン
「……はぁ………入れ」
扉をノックする音に公爵はため息をつくと、ソファへと背筋を伸ばした姿勢で座り直し相手を促した。
「失礼致します。おかえりなさいませ、父上」
扉を開けたのは公爵の息子であり、弐の姫蓮姫の婚約者レオナルド。
公爵本人が城から戻った際『応接室へ来るように』とメイドへ伝えていたのだ。
「お待たせして申し訳ありません」
「構わん。私のいない間の執務は全てお前に任せていたのだからな。次期公爵たる者、父よりも公爵としての執務を優先せねばなるまい。しかし…最近は以前よりも執務や勉学に打ち込んでいるようだな」
「未だ父上には遠く及びませんが……蓮姫が王都へと戻った際、私が彼女の支えとなれるようにと」
息子の一途な想いを聞き、表情には全く出さないが公爵は更に頭を抱えたくなった。
息子が婚約者である弐の姫を愛しく想うのは、親として嬉しい事であり同じ男として誇らしい。
だが、純粋過ぎる息子の愛情こそが彼を悩ませる原因の一つでもあった。
「父上。わざわざ応接室で人払いをしてまでのご要件は…一体?」
「ふむ。まぁ、座れ」
「失礼致します」
公爵に促され、初めて公爵と向かい合うように腰を下ろすレオナルド。
親子二人が話す、という和やかさはない。
それは呼び出された時点でレオナルドも気づいていた。
自室ではなくわざわざ応接室、それも人払いをしてまでの内容とは一体なんなのか?と。
「私が先日…禁所に視察へ行った事は覚えているな?」
「はい。父上は定期的に禁所へと赴かれていましたが…今回の視察で何か?もしや…トラブルでも?」
「…禁所にて……弐の姫様にお会いした」
「っ!!?蓮姫に!?何故禁所に!?蓮姫は今も禁所にいるのですか!?」
レオナルドはガタッ!と大きな音を立ててソファから立ち上がると、片手をテーブルにつきながら父へと問い詰めた。
「いや、今はおらぬ。私と会った後に玉華へと向かわれた」
「玉華!?何故玉華なんです!蓮姫は息災でしたか!?何故王都へと戻った際に教えて下さらなかったんですか!?いえ!そもそも何故父上は蓮姫を王都へと連れ戻さなかったのですかっ!?」
泣きそうな程に必死な形相をする息子を見て、公爵はため息をつくのを我慢した。
息子がこうなるとわかっていたから、公爵はあえて話さなかった。
勿論、理由はそれだけではないが意図して蓮姫の事は黙っていたのだ。
弐の姫を深く愛する息子が彼女の話を聞けば、次期公爵としての勤めも全て放り出し、そのまま玉華へと向かったかもしれない。
女王から授けらた役職の放棄……それは即ち女王への反逆ともとられる。
「落ち着け。今回の件は公爵如きが、息子とはいえ軽々しく他人に話せる案件ではなかった。王都へとお連れしなかったのは弐の姫様よりの強いご要望があったからこそ。私とて弐の姫様にはお戻り頂きたかった」
自分の心の動揺や疲弊は一切出さず、淡々と告げる公爵。
だがその姿は今のレオナルドには逆効果でもあった。
「っ!!何故父上はそんなに冷静でいられるのですか!?蓮姫が王都を出た時も追いかけようとはせずに!蓮姫が弐の姫だからと軽んじているのですか!?」
「いつ如何なる時も我等が仕えるは女王陛下。弐の姫様を軽んじている訳ではない」
「ならば何故っ!?」
「レオナルド……お前には今から話さねばならん事がある。心して聞け」
本当は話したくなどない。
いずれは知る事だろうが……話さねばならない。
自分達が王都で、この公爵邸で共に過ごした蓮姫と今の蓮姫は違う事を。
弐の姫であり、また息子の婚約者でもある彼女が犯した大罪を。
公爵は重い口を開き、ゆっくりと話し出す。
「……そんな…蓮姫が…」
父から告げられた禁所の本当の意味、長年行われていた非道な行為、作り出されたキメラ、そして蓮姫が禁所で行った事…全てを聞き終えたレオナルド。
話の最中から段々とレオナルドの顔から血の気が引いていった。
既に彼の視線は父親である公爵ではなく、膝で組んだ両手へと向き俯いている。
その顔は真っ青となり、「信じられない」と全身から伝わる。
何が信じられないのか?
ソレはこの世界での絶対的存在であり自分達の始祖、女王の本性。
そして蓮姫が想造力を操りキメラを殺した、という事。
「蓮姫にキメラを殺すなど……蓮姫はか弱く…聡明で……優しい娘です。想造力を使えるからといって…簡単に命を奪えるような者ではありません。父上だって…ご存知ではありませんか」
「そうだ。だがそれは……私達の知る弐の姫様。王都を出られてから…弐の姫様に何があったかはわからん。しかし…弐の姫様は変わられた」
「…父上。…陛下は……蓮姫をどうなさるおつもりですか?」
公爵が今日、城へと呼ばれた理由はそれだろう、とレオナルドは悟る。
王都から出た蓮姫を知る唯一の証人として、蓮姫の後見人として、彼女の今後を伝える為に女王は父を呼んだのだと。
「…それは……弐の姫様次第だ…」
しばしの沈黙の後、重い口調で公爵が告げる。
女王が蓮姫にどのような罰を与えるかは女王ではなく蓮姫次第……とはどういう意味なのか?
レオナルドが再び自分の疑問を告げようとしたが、その前に公爵が口を開く。
「…レオナルド……私が陛下へと呼ばれた理由は……陛下からお前への勅命を伝える為だ」
「私に…陛下からの御勅命…ですか?」
何故公爵である父ではなく自分に?
民の事でも領土の事でも、女王から勅命を受けるのはいつも現公爵である父だった。
何故まだ何の爵位も持たない自分に?とレオナルドは考えを巡らせるが、答えが出るはずもない。
そして父が告げた内容にレオナルドは驚愕と歓喜に包まれる。
「『明朝玉華へと旅立て。弐の姫様の婚約者として弐の姫が成す事を見届け、嘘偽りなく報告せよ』との仰せだ」
「っ!!?俺が……玉華に…蓮姫に会いに行っても……良いのですか?」
レオナルドは驚きのあまり、父の前だというのに素の口調へと戻っていた。
小刻みに震える程に感激している息子を見て公爵もそれについては何も言わない。
いや、それどころではないのだ。
レオナルドは、蓮姫に会える、という事だけに意識し喜んでいるがコレはただの逢瀬ではない。
「レオナルド。飛龍元帥が…一時的に玉華へと戻る事を知っているな」
「……え?………あ…は、はい。『玉華に反乱軍の影あり』との噂があったとか。また末の御子息が病床についた、と奥方から文が送られて来たと。反乱軍の噂の真偽を確かめる為、そして御子息の見舞いの為に玉華へ兵を引き連れ戻られると」
あまりの嬉しさに父の言葉を理解するのに時間がかかったレオナルドだが、つい先日知った件を思い出す。
玉華に反乱軍の影あり……との噂が王都には広まっている。
しかしその噂はどれも信憑性の無いものばかり。
またその噂が出たのは公爵が王都に戻る前日からであり、あの飛龍大将軍が元帥にまで昇進した日からだ。
公爵は王都に戻るまでその噂を知らなかったし、蒼牙の昇進をやっかんだ貴族達が流したデマの可能性も高い。
蒼牙自身も故郷が気になっていたが、王都を……女王の側を離れる理由が曖昧な噂では動けなかった。
それが妻直筆の便りに末の息子の件が書かれており、玉華への一時的帰還となったのだ。
この帰還には蓮姫が玉華に滞在しているのも理由に含まれている。
だからこそ女王も認め、蒼牙自身も快く受けたのだから。
「飛龍元帥の件と蓮姫と……何か関わりがあるというのですか?」
「明朝王都を発つ飛龍元帥の一行にお前も同行させてもらえるよう、陛下から元帥へと話はついている。飛龍元帥は玉華にて弐の姫様の想造力を、女王としての資質を見極めるおつもりだ」
「っ!ならば…私は何を?」
飛龍元帥が女王の命令で蓮姫を試すというのなら、自分は彼女の助けとなるよう動けばいい。
どのように彼女へと助力すれば良いのか?
そう思ったレオナルドだが、公爵はゆっくりと首を左右に振る。
「何もするな。お前がすべき事は一つ。弐の姫様の監視。それだけだ」
「なっ!!?何故俺が!蓮姫を監視などしなくてはならないのですか!?」
「先程の陛下からの言葉にもあっただろう。『弐の姫が成す事を見届け、嘘偽りなく報告せよ』と。婚約者であるお前が行く事で…弐の姫様の人間性を測るおつもりなのだ、陛下は」
婚約者であるレオナルドが傍にいれば簡単に尻尾を振るのではないか?
甘えが出るのではないか?
今の立場から逃げ出そうとするのではないか?
そしてレオナルド同様、蒼牙も蓮姫の監視役を女王から受けている。
つまりレオナルドは、蓮姫がボロを出しやすくするためのエサだ。
二人の関係を知っている者ならば、蓮姫がレオナルドに縋ったりなどしないと見当もつく。
だが、人とは自分を助けてくれる者に甘えてしまう。
だがらこそ婚約者のレオナルドを監視につけようと女王は考えた。
公爵の地位を利用して自分を助けられないか。
自分の今の立場を理解して王位継承権を放棄し王都に戻りたい等、彼女から弱音が出るのでは?と。
なんとも汚いやり口に思える。
だが、そんな女王の思惑を知っても公爵家の者達が出す結論は変わらない。
「……陛下の命に従い私は玉華へと向かいます。…婚約者として蓮姫の元へと」
しっかりと父の目を見つめながら、自分の想いを口にするレオナルド。
蓮姫の婚約者として、という部分を強調していたのは女王の駒として玉華へ行くという意味ではない。
蓮姫を愛おしいと想うからこそ、婚約者として彼女の側にいたいのだ。
息子の想いを誰よりも理解している公爵は、何も言わずに頷く。
レオナルドは立ち上がり父へ一礼すると、足早に応接室を後にした。
一人残された公爵はソファの背もたれへと体を沈める。
その様子は息子が応接室へと来る前と同じ様にぐったりと疲れきっていた。
「……レオナルド…お前は…今回の事を何もわかっていない…」
ポツリと呟く公爵の言葉は誰にも届かない。
それをわかっているからこそ公爵は言葉を続けた。