間章1
ヴェルト公爵が王都に戻り、女王にことの次第を全て報告した日。
この世界の現女王である麗華は、王都から北にある森へと足を運んでいた。
そこはあのユージーンが水晶に封じられていた、先代女王の作り出した禁所。
既にユージーンが解放され、壁に埋め込まれたただの水晶の前に立つ麗華。
鬱蒼とした暗い森の中心、唯一陽の光が当たる広場にいる麗華は、まるで地に降り立った女神のようだ。
彼女は腰をおり、地面に砕け散った水晶の欠片を1つ手に取ると、フゥ、とため息をついた。
「妾に靡かなかった男。妾が心から欲しかった……この世で最も美しい男。…まさか……弐の姫の物となるなど…誰が予想できようか」
両手で包み込むように持つ水晶の欠片を見ながら、悲しげに話す麗華の姿はとても美しい。
憂いをおびた様子が、更にその美しさを強調させ、見る物全てを魅了しそうなほどだ。
「蓮姫。妾はそなたが好きじゃ。強い目をして、強い意志を胸に抱くそなたが。妾の愛しい息子達を愛してくれるそなたが…とても眩しく…とても愛おしい。……そして…」
麗華はギュッ!と力強く水晶の欠片を握りしめると、振りかぶり欠片を水晶の塊へと力いっぱい投げつけた。
ガツン!!
欠片がぶつかった岩壁は、ガラガラと音を立てて崩れ出す。
美しかった広場には土砂が崩れ、地面に咲く花も草も土砂へと埋もれる。
鳥はギャアギャアと鳴き声を上げて飛び出し、近くにいた獣たちも慌ててその場から離れて行った。
そんな異様な光景の中、麗華は既に崩れた元の岩壁……土砂の塊に向かって声を荒らげる。
「妾の物を奪うそなたが!今とても憎いのじゃ!妾はそなたが憎くてたまらぬのじゃ!蓮姫ぃ!」
狂ったように笑いながら叫ぶ麗華。
こんな女王の姿など…誰も知らないだろう。
「妾の女王という座を奪おうとしておるくせに!そのうえ妾の愛しい男を!妾のペットを奪うとは!弐の姫ごとき小娘が!」
麗華は叫びながらも大きく手を左右に振った。
彼女が右手を振れば麗華から右側の木々が音を立てて倒れ、左手を振れば麗華から左側の草木が瞬く間に枯れていく。
「フフフフフ…ハハハハハハ!!なんとおかしな事か!弐の姫のような哀れな者に!妾のペットが殺された!?妾を恐れぬ、妾を愛さぬ所業を蓮姫がするとはっ!ハハハハハハハ!!」
狂ったかのように周りを想造力で破滅に導く麗華。
いや、これこそがユージーンの言っていた麗華の本性なのかもしれない。
「ユリウスとチェーザレを愛しいと想いながら!ユリウスとチェーザレの為に生かしておいたペットを殺した蓮姫よ!そなたは何を考えておるのだ!」
あのキメラを…アルシェンや能力者が犠牲となったキメラをペットと呼ぶ麗華。
彼女がキメラや息子達以外の能力者をどう思っていたのかがわかる。
この世界を治める女王は麗華。
麗華が治めるこの世界は、彼女に愛された者だけが幸福となれる。
それが蓮姫がアビリタで知った、この世界の現実なのだ。
麗華はひとしきり大笑いした後、ふぅ…と息を吐く。
「じゃがの蓮姫……そなたを愛しいと思うも妾の本心…愛しくて憎らしい…可愛らしい弐の姫よ。そなたは…この世界をどうしようというのか」
そう呟く麗華は笑みを浮かべている。
先程までの狂気に満ちた笑みではない。
しかしその笑みは…何かを含んだような笑顔。
「あやつを手に入れ、キメラを倒し、禁所まで解放しおって……。全く…蓮姫は妾を退屈させぬ姫よの。フフ…前代未聞の姫じゃ」
そんな麗華の耳に何者かの足音が届く。
麗華は、誰が来たのか?と疑問に思う事もなく、いつもの美しい笑みを口元に浮かべ、足音の方へと目を向けた。
「陛下」
「よう来たの。サフィ」
現れたのはサフィール。
麗華のヴァルの一人であり、この世界の宰相。
また彼女の情夫でもある。
サフィールは麗華の周りの風景に眉を潜めたが、その惨状について麗華を咎める事はしない。
「陛下。陛下がこちらへ足を運ばれた際、私も他の者も、一切お供をする事は叶いませんでしたね」
「そうじゃ。ここは先代女王が作りし禁所の1つ。女王と姫以外の者はここに足を踏み入れる事は叶わぬからの」
「しかし…今、私はこうして陛下のお側へと進む事が出来ました」
「フフフ。この禁所が隠しておった宝物が無くなったからじゃ」
麗華は口元に手を当てながら優雅に微笑んだ。
それとは対象的に、サフィールは眉間のしわを深くする。
「陛下が長年望んでいたという男…ですね。まさか……弐の姫が?」
「そうじゃ。蓮姫が連れ出したのじゃ。妾に露ほどもなびかなかった…あの美しき男を」
麗華は頬に片手を当てながら、フゥとため息をつく。
麗華は美しい者が好きだ。
彼女自身も美しいが、彼女の息子達も美形ぞろい。
つまり夫となった男達も美しい者達ばかりだった、ということ。
サフィールは中指で眼鏡をカチャリ、と正しながら麗華へと声をかける。
「陛下のモノを奪い、陛下のモノを殺し、陛下のモノを勝手に解放するなど…弐の姫とはいえ万死に値する蛮行愚行です」
先程の麗華と同じ様な事を口にするサフィール。
しかし、麗華以上に棘のある言い方だ。
このサフィールという男…ユージーンによく似ている。
自分の主にだけは従順で、他人には全く興味も配慮も無いところが。
「陛下。今回の弐の姫への処罰…どうなさるおつもりですか?以前、蘇芳殿にされたような寛大な処置など、貴族達の反対は目に見えております」
「そうじゃな。蓮姫はそれだけの事をしたのじゃから。妾とて今回の事は……そう簡単に許せる事ではない」
麗華はチラリ、とユージーンの封じられていた壁があった土の塊へと目を向けた。
水晶が混じり、陽の光が反射してあちこちがキラキラと光っている。
「蓮姫は今、玉華に居る…とクラウスは言うておったな」
「はい。ヴェルト公爵が王都へと連れ戻そうとしましたが……それすらも拒否したとか。弐の姫が聞いて呆れますね」
そう呟くサフィールの表情からは「呆れ」というよりも「怒り」が見える。
女王にのみ従順なサフィールだが、蓮姫に対しては特に辛辣だ。
「サフィ…。そなたはどうも…蓮姫の事が気に食わんようじゃな」
「気に食わないですね。弐の姫風情が陛下を煩わせたのですよ?陛下の御命令あらば、直ぐにでも私が弐の姫を連れ戻しに参ります」
自分の主…女王に逆らう者はたとえ姫でも許さない。
いや、姫だからこそ余計に許せないのだろう。
サフィールは本気で蓮姫の待つ玉華へ行き、彼女に嫌味の1つどころか再起不能なまでに罵詈暴言を吐きたいと考えていた。
「待つのじゃ。蓮姫の処罰も、玉華への使者も既に考えておる。そなたが行く必要は無い」
「しかし…陛下」
「そなたは妾の傍にいておくれ。妾の傍で、妾に忠誠を尽くしておくれ。よいな?サフィ」
「………陛下にそう言われ、私が拒絶するわけがありません。陛下の御命令、しかと」
胸に手を当てて深く頭を下げるサフィール。
蓮姫への怒りが収まったわけではないが、自分を必要とする女王の言葉に喜びを感じていた。
彼女の掌で転がされていると、都合の良い言葉を並べられているとわかっている。
それでも麗華を愛するサフィールは、彼女の言葉に従い彼女の命令を己の至福として受け止める。
「それでよい。ではサフィ、早速じゃが妾の為に1つ仕事をしてほしい」
「陛下の為ならばなんなりと」
「この森を燃やしておくれ。跡形も無くの」
「陛下?」
麗華の命令にサフィールは顔を上げ、彼女の表情に目を向ける。
サフィールが見た麗華は優雅に微笑みながらも、その瞳は怒りの色が滲んでいた。
「ここは妾にとって最高の逢瀬の場じゃった。しかし…妾の欲しい男はもう居らぬ」
「弐の姫が陛下より奪ったから…ですね」
「ふふふ。もうこの手に入らぬのならば……思い出深きこの場も忌々しいだけじゃ。更地に変えた方が妾の気持ちは余程軽くなる」
なんとも理不尽な理由で森一つ燃やせという麗華。
だが、この世界には彼女を咎める者などいない。
女王である彼女に意見できるのは彼女の実子くらいなものだが……彼等は此処にはいない。
サフィールは麗華の命令を喜んで受け入れる。
「陛下の御命令、しかと。この森全て…木々は勿論の事、全てを燃やし尽くしましょう」
森に生える木々や美しい花々、森に住む獣や鳥達…一切を燃やし尽くす。
麗華の理不尽な思いつき、考えで森一つを消す事にサフィールは何も抵抗を感じない。
麗華はサフィールの返事が当然と思いながらも、嬉しそうに少女の如く笑顔を浮かべた。
麗華は満足そうに振り返ると、数人の伴をつけ城へと戻っていく。
後ろで炎の魔術を放つサフィール。
逃げ惑う獣達の声や、勢い良く燃え盛る木々を1度も振り返ることなく。
罪悪感も無く、ただニコニコと笑顔を浮かべながら城へと戻って行った。