アビリタ解放 6
「うっわ…姫さんそこまで考えてたんだ。俺結構ビックリよ」
緊迫した空気の中、火狼はいつものように軽く話す。
だが、表情には出さないだけで、彼は蓮姫の考えに心の底から感心していた。
「彼の実力は私も見た。その上でジーンが負けるはずないと思う。それでも……本気で殺し合えば…苦労する相手だとジーンが1番感じているはず」
「……姫様。コイツが姫様の命を狙わない保証はありません。殺さないのは承諾しても…仲間にするのは納得できませんよ、俺は」
「危険人物なのはわかっている。いつ命を狙われるかわからない。だが……いざとなったら、お前が私を守るでしょう」
「姫様?」
蓮姫は真っ直ぐにユージーンを見据える。
その瞳には信頼と、ユージーンならば自分を必ず守るという確信が現れていた。
「ジーン。もし火狼が…いや、私を殺そうとする者がいたら…お前がその身を犠牲にしてでも私を守れ。何度でも」
非情で傲慢極まりない蓮姫の物言い。
だが、ユージーンは知っている。
彼女がそのような態度を示すのは自分に対してだけだと。
他人から見れば威張りちらした小娘とその従者だが、二人の間には確固たる絆が既に築いている。
ユージーンを深く信頼しているからこそ出た、ユージーンにしか出来ない命令。
蓮姫の言葉に深く頭を下げ跪くと、ユージーンは答える。
「はい、姫様。その御命令、しかとこのユージーン承りました。一生涯、姫様の為に命を捨て、姫様を守り抜きましょう」
そう告げた瞬間、森の中をザア…と風が吹き抜ける。
黒い髪をなびかせながら跪く男を見下ろす蓮姫。
サラサラと銀髪を揺らしながら、満足気に笑みを浮かべるユージーン。
側で見守る大きな魔獣の姿をしたノアール。
それはまさに一枚の絵のように美しい光景。
火狼はあまりの神々しさにゴクリと息を飲んでしまう。
ユージーンは立ち上がると、今まで浮かべていた笑顔を一切消し、火狼へと顔を向ける。
蓮姫と自分では随分と扱いが違う…と少し前なら悪態をついただろう。
だが火狼は、この二人の絆を垣間見てしまった今は、それが当然だと感じた。
自分が主の命を狙うからではない。
主である蓮姫以外は、ユージーンにとっては意味の無いものだとわかったから。
「あ、改めてよろしくな~…旦那」
「下手な事をしたら直ぐに股間の物を使い物にならなくしてやる」
「やめて!それだけはやめて!後生だからやめて下さい!マジで!」
「ったく、お前みたいな胡散臭い得体の知れない奴…姫様の命令が無かったら」
「得体の知れなさは旦那の方が上だろ」
「………凍らせて砕くぞ?」
何を…とはあえて言わないユージーン。
火狼はブルリと寒気を感じた。
そんな二人のやりとりを止めるでもなく、蓮姫はノアールへと近づく。
「ごめんノア。大変だろうけど……森を抜けるまで頑張って」
「グルルルルル…」
蓮姫は左手でノアールの頭を何度も撫でてやった。
彼女の右腕は未だ手当をしていない。
常人なら泣き叫ぶ程の傷だというのに、痛みを感じさせない蓮姫の表情からは『痛覚が麻痺したのでは?』と錯覚しそうになる。
「姫様、一度休んで腕の手当を」
「いいえ。アーシェを森の外に連れて、埋葬するのが先だ」
「連れて……?」
蓮姫はアルシェンの遺体を消した時『別の場所へ飛ばした』と話していたが…連れて行くとはどういう意味なのか?
「アビリタから離れて随分たつし…ここなら問題無いか」
ユージーンの疑問に答えるかのように蓮姫はノアールの背に手をかざす。
スッ…と彼女が空気を払うように手を動かすと、ノアールの背に乗るアルシェンの遺体が姿を表した。
「っ!?遠くに飛ばしたんじゃなかったのかよ」
「私は、別の場所としか言っていない。姿を消した後、ジーンの手からノアの背に飛ばしただけ。公爵様にも嘘はついていない」
驚く火狼に蓮姫は淡々と話した。
自分の後見でもある公爵を結果として騙したが、確かに嘘はついていない。
公爵の前でノアールに告げた事も嘘ではなく、またノアールを労る言葉をかけたのも彼女の人となりだ。
そして今日の蓮姫は、短時間に想造力を立て続けに発動させた。
遠くに飛ばす事も不可能ではなかったし、ロゼリアの時よりも疲労は貯まっていない。
だが、離れた場所に飛ばすのなら彼女自身に負荷がかかるのも事実。
何より蓮姫は、アルシェンの遺体を地面に放置など出来なかった。
「森の外……と、おっしゃいましだが…遺体を禁所の外へ出すおつもりですか?」
「アーシェを…………殺した時、彼女の中にいるキメラ達の想いが伝わってきた。『こんな狭い世界から出たい』『自分達を苦しめるだけだった禁域から解放されたい』という想いが。せめて…禁所の外で眠らせてやりたい」
殺した…という単語を口にした時だけ、蓮姫の顔に憂いがかげる。
ユージーンも火狼も当然気づいたが、あえてふれる事なく蓮姫の言葉に頷いた。
「わかりました。姫様のお望みの通りに」
「考えてみりゃ…キメラは被害者だもんな。禁所っていう閉鎖された空間の中で、利用された命だ。死んだ後くらいは外の世界でゆっくりと眠らせてやりてぇか」
「 あぁ、よく考えりゃお前にピッタリの初仕事だな。犬らしく穴掘りしろ」
「だから犬じゃねぇってば…」
火狼はガックリと項垂れるように力なく答えた。
「こんなもんですかね」
ユージーンは出来たばかりの墓の前で、ふぅ、とため息を吐きながら呟いた。
それは墓と言うには簡素過ぎるもの。
深く掘った穴(言われた通り火狼が掘った)に遺体を埋め、盛り上がった土の上に大きめの石をのせた、墓標も無く誰が眠っているのかもわからない。
そもそも墓だと認識するのは難しいだろう。
禁所のある森から数歩しか離れていない木の根元に、アルシェンは今眠っている。
蓮姫は墓の前にしゃがみこむと、ユージーン達に背を向けて、祈るように左手を胸へと当てながら頭を下げた。
本当ならば手を合わせたいところだろうが、右手は使い物にならず、だらんと下がっているのみ。
何を思うのか、何を考えているのか?
今の蓮姫からはユージーンもノアールも、火狼も何一つわからない。
「今日はここで野宿でもしますか。おい犬、森から枯れ枝でも拾ってこい」
「なんで俺!?まぁ…いいけどよぉ。おい猫、お前も行くか?」
「うにゃ?」
ユージーンに命令された火狼は自分に指をさし、大げさに驚く。
小さい仔猫に戻りペロペロと体を舐めていたノアールは、火狼の言葉にその手を休め彼を見上げた。
「ノア、お前もついていけ。変な事したら喰っていいぞ」
「いや!よくねぇよ!!しかし旦那のお許しは出たし…ほら!行くぞ猫っ!」
「うにゃ!?うにゃにゃにゃにゃ!!」
火狼に首根っこを捕まれ持ち上げられたノアールは、ジタバタと嫌がり暴れるが火狼は楽しげに「んな喜ぶなよ~」と、森の中へと戻っていく。
残された蓮姫とユージーン。
蓮姫は今までのやりとりにも全く反応せず、俯いたままだ。
やがてゆっくりと立ち上がる蓮姫だが、ユージーンの方を振り向こうとはしない。
「姫様、そろそろこちらで休んで下さい。今は周りに誰もいないようですし、今度こそ右腕をちゃんと治療しないと」
「……………」
「俺は回復系の魔術は苦手ですが、他ならぬ姫様の体です。右腕の損傷は激しいですが、範囲が狭いので時間をかければ完治させる事もできるでしょう」
「……………」
「………姫様?」
ユージーンの問いかけに全く反応しない蓮姫。
先程から……アルシェンを手にかけた時からそうだったが、今の彼女には違和感がある。
友を殺した事で変わってしまったのか?
(姫様らしくねぇな。もしかしてアーシェを殺した事なんて何も思ってねぇのか?それはそれで俺としては面倒じゃねぇからありがたいんだけど)
「姫様?いつまでもソコで突っ立ってる訳にもいきませんよ」
「……………」
「……姫様?………姫様ってば!」
あまりにも自分を無視する蓮姫に苛立ちを感じたユージーンは、グイッ!と蓮姫の肩を掴んで無理矢理自分の方を向かせる。
そして後悔した。
「っ!!?………姫…様…」
振り向かせた蓮姫は
顔を歪ませて、止めどなく涙を流していた。