アビリタ解放 3
「……公爵…様」
現れた初老の男は、蓮姫が王都に居た際に世話になっていたヴェルト公爵だった。
「お久しぶりです。弐の姫様」
「何故…公爵様がアビリタに?」
「この禁所は我がヴェルト家の者が女王陛下より管理を命じられた土地ですので。弐の姫様こそ何故禁所に?それにその者が抱えている娘は…」
「公爵様、少しお話したい事があります。…二人で」
「そのようですな。…村人達を頼む」
「了解致しました。公爵様」
ヴェルト公爵は軍服を着た若者へと声をかけると、森からさらに数人の軍人が現れ村人達を村へと誘導しだした。
中には暴れる者や抗議を口にする者もいたが軍人達が武器を手にすると、渋々と従いだす。
大婆だけは最後まで金切り声をあげていたが…。
「ジーン、ノア。少しここで待て。私は公爵様と話がある」
「わかりました。しかし俺とノアの目の届く所でお願いします」
「わかってる」
蓮姫に命じられたユージーンは、うやうやしく腰を折る。
公爵は見慣れない不審な男を、疑いに染る目でジッ…と見つめる。
しかし蓮姫に声を掛けられると彼女と共にスタスタと森の手前へと歩いて行った。
「ヴェルト公爵つったら女王陛下の直系で大貴族じゃんか。そーいや弐の姫の後見人がヴェルト公爵だっつー話を…聞いたよーな…。いいのかい?旦那」
「あ?何がだよ」
「公爵が姫さんを王都に連れ戻すかもしんないぜ。勝手に陛下のキメラ殺した上に禁所まで解放しちまったんだ。そんな姫さんの後見人なんざ自分の身が危ねぇし。姫さんとの関わりを消すように陛下に進言しちまうかもよ」
「………それは無いだろ」
ユージーンが知る(蓮姫の記憶の中でしか知らないが)ヴェルト公爵は、自分の保身の為に蓮姫を見限るような人物ではない。
蓮姫と公爵の会話はこちらにはほとんど聞こえないが、ユージーンは二人の唇の動きで内容を把握した。
そして目線は蓮姫達から外さずに、火狼と残された軍人ではないもう一人の若者へと声をかける。
「で?そっちのアンタは?まぁ…予想はついてますけどね」
「さっすが旦那。なんもかんもお見通しってやつ~?」
ニヤニヤと口元に笑みを浮かべながら話す火狼に、若者はため息を吐いた。
「はぁ……。相変わらずお前は軽口ばかりみたいだな。朱雀」
「それが俺の魅力だかんな。久しぶりじゃん、青葉」
青葉と呼ばれた青年…どうやら火狼とは顔見知りのようだ。
「どうして朱雀が弐の姫と一緒に禁所に居るんだ?」
「お仕事中で。内容は秘密」
「この犬は姫様の命を何度も狙ってきて惨敗してるんですよ」
「秘密って言ったそばからバラすとか酷くね?」
「弐の姫暗殺?そんな事がバレたら一族取り潰しも有り得るだろ。朱雀はそこまで馬鹿じゃない。そもそも、さっきから俺の友人を馬鹿にしているアンタの方こそ何者だ?」
「姫様の忠実なる僕ですよ。青龍の若者君」
ユージーンの言葉に青葉はピクリと眉を動かす。
火狼はそんな二人を見ながらニヤニヤと口元に笑みを浮かべていた。
「朱雀…こいつは?」
「あ~……積もる話もあんだけどさぁ…あんまり深くは言えねぇのよ。お仕事柄ね。まぁ、旦那は今言った通り姫さんのヴァル…いやヴァル候補なわけ。しかもめっちゃ強いから喧嘩とか売るなよ」
「その上、頭も切れるみたいだな。直ぐに俺が青龍だと気づいたんだから」
「アビリタの者達の話を聞いてれば嫌でも予想はつきますからね。青龍特有の鱗は…その右手の包帯の下ですか?」
四大ギルドの一族には、その種族だけの特徴がある。
朱雀の一族には炎の模様のような赤い痣(火狼は胸元にこの痣がある)。
この青葉と呼ばれる青年…青龍の一族には、身体の一部分に青い鱗があるのが特徴だ。
「青龍の人間が来るのはアビリタへの物資を支給する為。公爵は定期視察。軍はその護衛…か」
「その通り。弐の姫とその従者が禁所に居る理由よりは正当だ」
「姫様の場合は事故だ。…ノア、警戒してるなら丁度いい。変な真似したら犬共々喰らいつけ」
ユージーンに声をかけられたノアールは唸りながら、青葉を威嚇する。
サタナガットに敵意を剥き出しにされ、青葉は自分の言葉の失言さを知る。
この男とサタナガットは弐の姫に対してのみ従順で、弐の姫に悪意ある者は許さないのだ、と。
「旦那~。あんま俺のダチを苛めんでくれよ。あ、青葉。俺が禁所に居た事は他言無用でな」
「それはかまわないが…朱雀、ヴェルト公爵との面識は?」
「今の公爵は朱雀に依頼なんてした事ないぜ。面識は無し。多分俺が朱雀だって事は気づいてねぇだろ。軍の中にも知ってる奴はいなかったし、そこは大丈夫」
「弐の姫が公爵に話したらどうする気だ?」
「そこはもっと大丈夫だろ。姫さんは優しいかんな。頭の回転も早ぇし、馬鹿正直にポンポン喋る女じゃねぇよ」
そう話す火狼には自信があった。
三日しか蓮姫達との付き合いがない火狼だが、充分に彼女の事は理解している。
火狼の事や朱雀が弐の姫暗殺について動いている事を公爵に話せば、女王にも全てが伝わるだろう。
それは朱雀の取り潰しへと繋がる。
命を狙われているのだから、自分を守る為にはソレが最善の策だ。
しかし蓮姫はソレをしない。
彼女の性格上、火狼や他の者達の事を考えて行動するはずだ、と。
「ホント姫さんっていい女だわ~」
「朱雀…弐の姫側につくのか?既に青龍も白虎も、壱の姫へと仕える方向に話を進めているぞ」
「青葉や今の青龍さんにも教えてやりたいぜ。知っちまえば姫さんの事を蔑ろになんて出来なくなる…てな」
「……どうでもいいが、朱雀って単語が入るとお前らの会話はワケわからん」
「旦那は理解してっしょ~。ちゃんと姫さんから目を離さないで俺達の会話聞いてんだからよ。…で?姫さんは何を話してん?」
「残念な事にお前の正体は話してない。アーシェやキメラ…アビリタの事だ」
火狼に嫌味で返すユージーンだが、その表情は言葉とは真逆だった。
公爵相手に堂々と振舞う蓮姫を見て、ユージーンは自然と口元に笑みが浮かぶ。
女王直系の子孫であり自分の後見すら務める公爵に、蓮姫は自分の思いを全てぶつけていた。
(姫様。キメラにビビってた貴女からは想像もつきませんね。そうやって進化し続ける…貴女は俺の予想以上の方だ)
蓮姫の変わりように戸惑っていたユージーン。
しかしそれが、彼の心に変化をもたらす事となる。
「では、弐の姫様…説明して頂けますか」
ユージーン達から少し離れた場所、森の手前。
ヴェルト公爵は重々しい雰囲気で蓮姫へと問い掛ける。
「何故弐の姫様が禁所におられるのか?あの魔獣や男達は何者なのか?フィーネの娘が何故息絶えているのか?アーチが何故消えたか……お話下さいますな」
「……………」
「……いえ、まずはその腕の手当が先でしょう。誰かを」
「ご心配には及びません、公爵様」
公爵が軍の者達へと目を向けた瞬間、蓮姫は遮るように言葉を発した。
公爵に問いかけられた時は黙り込んでいた蓮姫。
この人もキメラに関わっていたのか、と少なからず公爵に失望していたからだ。
「しかし弐の姫様」
「目障りな姿でしょうが、私の事などお気になさらないで下さい」
「……弐の姫様?」
王都に居た頃の蓮姫とはまるで違う。
話し方も表情も、その身に纏う雰囲気すら。
こんな蓮姫を、ヴェルト公爵は知らない。
「順を追って説明します。私が禁所にいるのは偶然。森を通る際に迷い込みました。アルシェン=フィーネを抱えていたのはユージーン。魔獣はサタナガットのノアール。どちらも私の従者です。もう一人の男は私達と同時期に禁所へと迷い込んだので、行動を共にしていました」
淡々と語る蓮姫からは表情など読み取れない。
だが、徐々にその黒い瞳へ怒りの色が浮かんでくる。
「ここが何故禁所となったのか、アビリタに住む者達は何者なのか、キメラの事、全て知っています。アルシェンがキメラの一部であった事も。私は弐の姫である事からキメラに命を狙われ、この腕はその際に。そして私がキメラを…アルシェンをこの手で殺しました」
「っ!!?なんと…弐の姫様が…キメラを!?」
「そしてこの禁所から出る為に、アーチを消しました」
ヴェルト公爵は口を開いたまま固まってしまった。
アーチを消した事はわかる。
想造力を使った事も結果として予測は出来た。
しかしあの弐の姫が、ヴェルト公爵の知る蓮姫がキメラを殺したなど信じられなかった。
「弐の姫様……誰かを庇い、偽りを?キメラを殺すなど…並大抵の者では出来ません。力の無い弐の姫様になど」
「力の無い弐の姫?それは矛盾しています。私は弐の姫。つまり姫と女王のみが使える力…想造力を扱えるのですから」
「想造力を……自在に…自分の意思で、扱えるようになられたのですか?」
「…疑われますか?」
「…………いえ……想造力が使えるのでしたら…全てに説明がつきましょう」
公爵は深く息を吐いた。
今、自分が居合わせている事態は想像以上に厄介だと。
だが蓮姫は、そんな公爵に構う事なく、今度は逆に公爵へと問い掛ける。
「今度は私の方から…公爵様へとお聞きしたい事があります。お答え下さい」
「……なんなりと」
「公爵様……そして御子息も…キメラの実験に関わっておられたのですか?」