婚約者 1
一目惚れだった。
父に突然『弐の姫の婚約者となった』と言われた時は、正直面倒なことになったとしか思わなかった。
何故次期女王と謳われる壱の姫ではなく、弐の姫なのか、と。
しかもあの忌み子達と親しい間柄らしく、一つ屋根の下ならぬ一つ塔の中で暮らしていたらしい。
別に壱の姫に特別な感情がある訳でも、天馬将軍のようにあの二人に恨みがあるわけでもないが……。
抗議したくとも女王陛下直々の命令ならば断れる筈もない。
そこに俺の意思や弐の姫の意思など必要なかった。
必要なのは弐の姫と女王直系の次期公爵との婚約、という事実だけ。
弐の姫が女王となるか?
壱の姫に敗れ想造世界に強制送還されるか?
そんな未来は関係なく、また俺自身興味はない。
女王陛下の勅命だから諦めるしかない。
コレは簡潔に言うなら政略結婚………いや政略婚約なのだから。
弐の姫も甘い関係など望んでいないだろうし、俺もそんな下らない関係はごめんだ。
淡白で素っ気ない関係でいい。
そう思いながら父に連れられ、会いに行った彼女に………
蓮姫に一目で心奪われた。
彼女の為に生きたい。
形だけの婚約者ではなく、彼女を支えたいと思った。
想造世界になんて帰らないでほしい。
この命尽きる迄ずっと共に生きていきたい。
婚約の話を聞いた時は面倒だと、仕方ないと、軽く恨みそうだった父と女王陛下に
彼女に………蓮姫に会った途端、俺は心の中で深く感謝した。
そんな婚約者の心境など知る由もない蓮姫は……
「はぁ~………今日も駄目…か」
落ち込んでいた。
ちなみに今日も、である。
公爵家に引き取られ数日が経つが、蓮姫は息の詰まりそうな毎日を送っていた。
弐の姫として、次期女王としての帝王学、政治、情勢、この世界の歴史等の勉学。
淑女としてのマナー作法に加え芸術面、ダンス、裁縫のレッスン。
どんな時でも侍女や使用人に囲まれ、見張られる毎日。
入浴すら一人でさせてもらえず、食事は毒味の為にいつも冷めきっている。
気楽に話す相手もろくにいない。
婚約者はいつも執務で忙しく、顔を合わせても素っ気無い。
そんな中でも周りは弐の姫として……次期女王として成長する事を過度に期待する。
期待されている割には上手くことが運ぶと驚愕されるし、失敗すると当然かと納得される。
ハッキリと口にされたわけではないが……蓮姫はそう感じていた。
居心地が悪い。
だからと言ってここから逃げ出したい訳ではないが、愚痴の一つも言いたくなる。
しかし愚痴を……いや本音を言える相手など蓮姫にとって二人しかいない。
その友人達とも今は離れ離れで、一緒に過ごすどころか会うことすら出来ない。
そんな中でまともな結果が出るわけもなく、蓮姫は3=7の割合で勉学その他で失敗していた。
そして冒頭の蓮姫の言葉に戻る。
「今頃…何してるかな?私が悪いのに…やっぱり会いたい…」
蓮姫は広い庭で一人空を見上げた。
庭には一人だが、少し離れた回廊の近くには何人もの侍女が控えている。
一人きりで物思いにふける事も許されない。
彼女にできるのは誰にも聞こえないように、小声で一人呟くくらいのものだった。
本当に毎日が辛く退屈な日々。
せめて婚約者の彼がもう少し愛想が良く、気楽に話せるような人だったら良かったのだろうが……。
蓮姫の婚約者の印象。
無愛想で生真面目で辛辣で、他人にも自分にも厳しい少年。
彼の笑顔など、ここに来てから一度も向けられたことがない。
蘇芳のこともあり蓮姫は若い男に警戒心を持っていたが、婚約者の方が自分に対して警戒心が強いと感じていた。
その為、ユリウスやチェーザレ程ではないが怯えや緊張は無く普通に接することが出来る。
が、それだけだ。
婚約者と言っても名ばかりで、一緒に過ごすことなど殆ど無い。
「親しくなりたいとか……恋人同士みたいになりたい訳じゃないけど………あんまりにも蔑ろにされるのもな…」
蓮姫は今日何度目かわからないため息をついた。
「お姉様~~~っ!!」
遠くから自分を呼ぶ声が聞こえ、蓮姫は振り向く。
自分をこんなふうに呼んで、懐いているのは一人しかいない。
蓮姫は自分に一直線へと向かってきた少女を抱きとめる。
「ソフィ。走ると危ないよ」
「大丈夫です!ソフィアが転んでも、いつもお姉様が助けて下さいます!」
「転んでからじゃ遅いでしょ。侯爵家の令嬢が怪我でもしたらどうするの?」
「まぁ!?お姉様ったらレオナルドお兄様と同じことをおっしゃいます!やっぱり夫婦は似るものなのですね!!」
「いや、まだレオとは夫婦じゃないから」
レオナルドとは蓮姫が一方的に嫌われていると思い込んでいる、彼女の婚約者レオナルド=フォン=ヴェルトのこと。
そのレオナルドをお兄様、蓮姫をお姉様と呼ぶこの少女はソフィア=コレット。
侯爵家の令嬢であり、レオナルドの従兄妹にあたる。
「いえ!お兄様の事を『レオ』と愛称で呼んでいるのですから、もう夫婦も同然です!!」
「愛称じゃなくて長いから略してるだけだよ。それに愛称ならソフィだって私は呼んでるでしょ」
「あぁっ!?お姉様ったらまたそんな格好をして!」
「聞いてる?人の話」
ソフィアの言う蓮姫のそんな格好とは白いシャツに黒いパンツというごく普通の格好だ。
「いけません!折角お兄様がお姉様に似合うドレスを贈ったのに!なんでそんな簡素な格好をしてるんです!?」
「なんでって………楽だから?」
楽なのは勿論、元より蓮姫は豪華なドレスを着る気はなかった。
今までの生活でドレスを着る機会など子供の頃の七五三くらいしかない。
そもそも弐の姫とはいえ、自分は本当のお姫様でもソフィアのような高貴なお嬢様でもない。
スカートやワンピースも嫌いではないが、嫌でもマナーや作法を習う時はドレスを着るし余暇の時間くらいは楽な格好がしたかった。
他にも…蓮姫にはドレスを着たくない…着れない理由もあるが…それをソフィアに告げることは出来ない。
「ドレスだって鎧に比べればとっても楽です!!」
「比べる基準がおかしいからね、ソフィ」
「はっ!?もしやお兄様の前でだけは美しく着飾るのですか!?普段は庶民のような姿をとっていても、夫の前では真の美しさを……」
何やら熱く語るソフィアを見て蓮姫は苦笑する。
初めて会った時からソフィアは蓮姫に好意的だった。
従兄妹との婚約を心から喜んでくれていたし、弐の姫である自分に会えたことも喜んでいた。
とても可愛い妹のような存在であり
自分の婚約者が誰よりも親しく、心を開いている為に疎ましくも思う存在。