悲運のキメラ 2
常人ならばそれが普通。
しかし魔力の高い者、魔術に長けた者ならば詠唱無しでも強力な魔術を使える。
詠唱無しで強力な魔術を使える者が、詠唱して魔術を使用した場合の破壊力はおのずとわかるだろう。
ちなみに魔術には大まかに下級(初級)、中級、上級(中には超級と呼ばれるものもある)と分けられているが、威力が大きくなるにつれ詠唱も長くなっていく。
火狼はユージーンが使った下級魔術、蒼き錠前【クリスタル・ロック】の詠唱無しの威力を見て、それよりも更に強力な上級魔術、蒼き冥府の檻【クリスタル・ケイジ】を彼が詠唱した場合の恐ろしさを悟った。
その為に急遽、火柱を生み出し自身を守ったのだ。
ちなみに詠唱無しでも確かに強力な炎術だったが、火狼が詠唱しなかったのはただ単に時間が無かったからだ。
結界、詠唱無しで中級魔術を無理矢理使った火狼の身体は軽く悲鳴をあげていた。
「にしても…これで終わり?な~んかあっけなくねぇ?」
「これで終わってくれたら…何よりだけどな。一先ず出て俺は姫様と合流する。お前も一緒に来い」
「は?……あぁ…あいよ~」
ユージーンの提案に火狼は眉を潜めたが、直ぐにガッカリしたように肩を落としながら気のない返事を返す。
元々火狼は蓮姫を殺す為に来た暗殺者。
この禁所で蓮姫達と行動を共にしていたのは、このキメラから逃げる、もしくは対峙した際に協力して倒す為だ。
キメラが粉々に砕けた今、それはもう無用だと考えた火狼だが、ユージーンの言葉で理解した。
このキメラとの戦いは……まだ終わってなどいないのだ、と。
二人が家から出ると、丁度爆音を聞きつけて戻ってきた蓮姫とノアールに対峙する。
「ちょっ!?何よこの大惨事!ジーン!アーシェの家になんてことするの!?」
「戻ってきて第一声がソレですか?家の心配より、自分の為に戦った従者を労わってもいいと思うんですけど」
「諦めなって旦那。姫さんって男より友達大事にするタイプじゃん」
「狼!あんたもよ!!あの火柱はあんたの仕業でしょ!?」
「ひ~めさ~ん。俺もやっぱ労わってほしいんだけど~」
ギャンギャンと怒鳴る蓮姫に男二人は緩い態度で答える。
しかしいつまでも緩いままではいられない。
「姫様、お叱りは後で受けますよ。でも、なんでわざわざ戻ってきたんです。俺が負ける訳ないでしょう。それとも、そんなにアーシェの家が大事ですか?」
「それもあるけど……この村…なんかおかしいの」
あるんですか…と頬を引くつかせたユージーンだが、蓮姫の言わんとしている事に直ぐ気づいた。
「……村全体が暗いですね。何処もかしこも…灯りがない」
「え?あ、ホントじゃん。まだ寝るの早くね?」
「わかって言ってるんだよね?狼ってさ。…実は変に思ってノアと一緒に家をいくつか探ってみたの。勿論全部じゃないけど…それでも…何処の家にも村人はいなかった」
蓮姫は村の異変に気づくと近くの家を何軒かノアールと一緒に回った。
そのどれもが、ガランとした空き家のように誰一人としていない。
状況からして、蓮姫が探った家のみ住人が不在という訳ではないだろう。
「なるほど。…村人全員グルですか」
「ジーン…どういう意味?」
「今晩キメラが俺達を襲う事、既に村人は知っていたんでしょう。だからこそ巻き込まれないように逃げ出した。もしくは避難したか。…どちらにせよ、やはりキメラはこのアビリタの意思で動いている。いや、動かされてるようですね」
ユージーンの言葉はあくまでも予測。
彼特有の仮説だ。
そして今の現状から考えるに、それは間違いではないだろう。
アビリタの者達はこの禁所から出る事は叶わない。
騒ぎを聞きつけ避難した、と考えるにはどうにも早すぎる。
予め知っていたかのように。
「な~る。『おっかない』だとか『気持ち悪い』だとか散々言ってたけど…『希望』ってのもあながち間違ってねぇわけだ。女王陛下や王都を襲う前にまずは姫さんを襲おうって算段なわけね」
「姫様も禁所からは出られない。キメラの存在は女王の知るところ。つまり、偶然禁所に迷い込んだ弐の姫がキメラに襲われ命を落とした…と言えば誰も疑わない。咎めようにも女王が生み出したキメラの仕業ならばこの事態も闇へと消される」
「そこまで考えて……大婆様…アビリタの人達は…私を」
蓮姫の脳裏には自分を嫌悪する大婆や村人、そしてアルシェンの姿が浮かんだ。
あんなにも自分達を…自分に親身になってくれたアルシェン。
蓮姫には彼女もこの計画に加担しているとは思えなかった。
否、思いたくはなかった。
下を向き唇を噛み締める蓮姫だが、そんな彼女をユージーンは現実へと引き戻す。
緊迫した表情と声、そして蓮姫にとって予想外の言葉で。
「悲しみにくれたいのはわかりますが…とりあえず姫様。あのキメラとはまだ終わっていませんよ」
「え?倒したんじゃないの?」
ユージーンの言葉に蓮姫は伏せていた顔を上げる。
彼女の目に映ったのは今まで見た事もないような表情、焦りや恐れの色を浮かべるユージーン。
「氷漬けにして砕きました。しかし終わってはいません」
「……どういうこと?」
「キメラとは数多の命が犠牲となって作られた人工の魔獣です。その一つ一つの命はキメラとなった時にまとまり一つとなる。……そういう場合がほとんどですが…例外もあるんです。魔力の強い者や獣が複数合わさると…全ての命がキメラの中で生き続ける」
「今回のキメラの材料はほとんどが能力者なんだろ?つまり……1回殺したくらいじゃ死なねぇんだよ」
この村のキメラは能力者達が犠牲となったモノ。
それも数百年の間に何人も何人も繰り返し合成され続けてきた。
あのキメラにどれだけの命があるのか…考えるだけで気が遠くなりそうだ。
「そんな!?それじゃあどうするの!?」
「非合理的かもしれませんが……俺と犬、それとノアで殺します。奴が息絶えるその時まで、何度でも燃やし、凍らせ、喉元を食いちぎりましょう。一体いつ終わるか……想像もできませんけどね」
「は?旦那にしちゃホントに非合理的だよな。もっと楽で合理的なやり方あんじゃんかよ」
ユージーンが出した気の遠くなるような提案を否定する火狼。
頭の後ろで手を組む彼の態度からは真面目さどころか緊迫感などは少しも伺えない。
だが、蓮姫は火狼の言葉の方に興味を持った。
「もっと合理的って…どういう事?」
「姫様、犬の戯言を聞く必要はありません。ともかく俺の作戦でいきますから、姫様は結界を」
「ジーンは少し黙ってて。狼、教えて。その方法を」
蓮姫にピシャリと命じられ、その言葉通りにユージーンは口を閉じる。
火狼の考えはユージーンも既に頭の中にあった。
わかっていながら口に出さなかったというのに…余計な事を言った火狼をただ殺気のこもった紅い目で睨む。
「ちょ…旦那。その目やめてくんない。……で、姫さん。俺の考えだけど旦那の考えよりよっぽど簡単だぜ。姫さんがキメラを殺せばいいんだ。想造力でな」
「私が…想造力で?」
「想造力では出来ない事の方が少ない。やり方によっちゃ国中の人間を一瞬で殺せるぜ。キメラの命全てを奪うなんざ想造力なら簡単簡単。姫さんもう想造力使えっしさ、これが一番じゃね?」
「姫様。犬の言葉は真実です。しかし姫様がなさる事ではありません」
火狼の話を黙って聞いていたユージーンだが、説明書が終わり蓮姫が理解したと判断すると直ぐに口を挟んだ。
口だけではなく二人の間に割り込む。
「ジーン。なんで言わなかったの?」
「失礼を承知で聞きますよ。姫様にそれが出来ますか?言っておきますが想造力を使えるか?という意味ではありません。姫様は、能力者が犠牲となったキメラを殺せますか?」
ユージーンの追い詰めるような、攻めるような赤い瞳に問われ蓮姫は言葉に詰まる。
ユージーンにはわかっていた。
蓮姫にそんな事は出来ない事を。
つい先日、自分を襲おうとした朱雀の者達を彼女は殺せなかった。
二人で旅をしてきた中で、刺客は勿論だが食料としての獣も、殺したのは全てユージーン。
蓮姫が刃物を向けられるのはユージーンと、せいぜい魚くらいだ。
蓮姫には命を奪う事など出来ない。
今回のターゲットであるキメラはとても巨大で凶暴、ユージーン達すら手を焼く存在。
それも元は、蓮姫にとってこの世界で一番大切な友人達と同じ能力者。
その上、彼等がいかにしてキメラとなったか…それを彼女は知っている。
優しい蓮姫。
命など奪う事は出来ない。
言い方を変えればただのお人好し。
そして自分の手を汚せない臆病者。
彼女を誰よりも知るユージーンだからこそ、その提案は彼女に伝えるまでもなく頭の中から消したのだ。
「……沈黙が姫様の答えですか。わかりました。やはり最初の案で……っ、ノアッ!!」
蓮姫にはやはり無理だと確信した瞬間、後方からの殺気を感じ取ったユージーンはノアールの名を叫んだ。
ユージーンが叫んだ直後、ノアールは蓮姫を乗せたまま後方へと飛んだ。
それはノアールだけではなく、ユージーンと火狼も同じ。
三人がその場を離れた直後……
ドォンッ!!
今まで三人が居た場所に大きな怪物が勢いよく飛び降りる。
降りた時に巻き起こった粉塵にかろうじて隠れてはいるが、その正体はすぐにわかった。
唸り声と共に上げた顔……にんまりと笑う女の顔は蓮姫をしっかりと捉える。
「き、キメラ!?」
「まさかこんなに早く回復するとは…正直、想定外です」
「嬉しくない状況だぜ。…本気で倒せる自信が無ぇ…」
ユージーンに凍らされ、粉々に砕かれたはずのキメラの体。
確実に手応えはあった。
回復する予想は当然していた。
それでも……あまりに早い回復能力に、その場にいた全員が冷や汗を流す。
「……弐………姫……コロ…」
「ノア、姫様を下ろせ。姫様は結界を。どれくらいかかるかわかりませんが…予定通り俺達でこいつを殺します」
「やっぱ…そうなるのね」
ユージーンの言葉に火狼はため息をつきながらも、真剣な表情でキメラを見据える。
いや、真剣……とはちょっと違うのかもしれない。
これこそ火狼の本職……暗殺をする時の顔なのだろう。
「時間も勿体無ぇ。無詠唱で連続で…殺しまくれっ!!」
ユージーンの言葉通りノアールは、蓮姫が降りやすいようにかがむ。
蓮姫が地面へと足を下ろした際の隙をキメラは見逃さず襲いかかろうとした。
瞬間、ユージーンは先程と同じように氷結系の魔術でキメラの足を凍らせる。
蓮姫も慌ててノアールから降りると、その場から少し離れ結界を張った。
「よし……これで姫様は大丈夫だな。このまま……っ!?」
ユージーンは先程と同じように、凍ったキメラの足を砕こうとした。
だが、キメラは直ぐにその氷から足を抜け出し、ユージーンに向かって突進してきた。
バキッ!!
「ジーンっ!!」
「旦那っ!!」
キメラの猛獣のような前足でユージーンは大きく払われ、飛ばされる。
払っただけとはいえ、その巨体から繰り出されたパワーは相当なもの。
ユージーンは近くの家まで飛ばされ、壁ごと突き破る。
その時の衝撃でその家は大きく崩れていった。
ユージーンを払った直後、キメラは次に火狼へと視線を移す。
「っ!?クッソ!!」
火狼は炎弾を何発もキメラへと撃ち込むが、キメラは気にする様子もなく火狼へと近づいていく。
「っ!狼っ!?ノアっ!!」
蓮姫の意図がわかったのか、ノアールはキメラへと飛びかかると、キメラの右目へと噛み付いた。