森の中の禁所 2
何故、女の顔は蓮姫に笑みなど向けたのか?
それはわからない。
だが、蓮姫にはただただ恐ろしかった。
そもそも、いきなり白目を向いた女に笑みを向けられ、すんなりと笑って返せる者はいないだろう。
ユージーンは蓮姫から、そっと額を離すと顔をしかめた。
蓮姫の恐怖に怯えた顔とは違うが、不快感をあらわにしている。
まるで汚物でも見たかのようだ。
「…ジーン……見た?」
「……見なきゃ良かったって後悔してますよ。確かに気っ色悪いですね。…なんなんです?アレ」
「わ、わかんない。ジーンは?」
「見た事も聞いた事もありません。……いや…もし俺の想像通りの生き物なら……聞いた事はありますが」
「え?それってどういう」
蓮姫がユージーンに問いかけようとした時、ノアールが再びうにゃうにゃと騒ぎ出した。
どうしたのか?と蓮姫がノアールの吠える方を見ると、その先にはあの青年がフラフラと立ち上がっていた。
ユージーンの言う通り骨が折れているのだろう。
かろうじて笑みを浮かべてはいるが、左の脇腹を右手で押さえ、口からは血が出でいる。
ユージーンは咄嗟に蓮姫を、自分の背に庇った。
「ってぇ~~~……旦那マジで容赦しねぇな」
「確かに容赦はしてませんでしたが、ピンピンしてるのなら俺もまだまだですかね」
「肋骨2本は折れてんだけど?これピンピンしてるって言う?」
青年は口のはしをピクピクと震わせながら呟く。
重症なのは本当のようだ。
そんな青年の様子を見て、蓮姫はユージーンの背から彼へ声をかける。
「貴方……そんなになっても、まだ私を殺そうとするの?」
「ホントは今すぐに帰って、治療してベッドで寝たいんだけどね。でもお仕事だしな。その上旦那に部下を全員殺されちまったし、いい加減姫さん殺さないと朱雀の沽券に関わるし……姫さん、同情してくれんなら、すんなり俺に殺されてくんない?」
「今すぐに俺が殺してやりますよ。何処ぞの犬っころをね」
ユージーンは立ち上がると、青年に向かって構えた。
だが、蓮姫はユージーンの袖を引っ張り自分へと意識を向けさせる。
「待ってジーン。あの人、本当に骨が折れてるなら私達を追うのも難しいでしょ?なら無用な争いは避けよう」
「姫様。こいつを見逃すつもりですか?ついさっき何されそうになったか忘れたんですか?」
「忘れてない。でもこの人は朱雀の長。って事は…陛下の最初のヴァルの子孫でしょ?いくら正当防衛だからって、陛下の部下を勝手に殺す訳にはいかない」
ヴァルとは女王、または姫の所有物だ。
それを勝手に殺せば罰を受ける事になる。
正当防衛なら許される場合もあるが、朱雀は暗殺ギルド。
それも初代である現女王の最初のヴァルが、栄えた一族。
そして四大ギルドは初代達から繋がりが深い。
ただの暗殺者や朱雀の一員ではなく、長を殺したとなれば四大ギルドの全てが黙っていないだろう。
蓮姫の考えがわかったのか、ユージーンはため息をつく。
「今こいつを殺せば確実に姫様が疑われますね。公には公開されたりはしないでしょうが…四大ギルドにバレる可能性は充分にあります」
「でしょ?だから今は逃げよう。ノア!!」
蓮姫に名を呼ばれたノアールは、再び巨大化した。
二人はノアールの背に飛び乗ると、青年へと声をかける。
「その傷なら走るのも辛いよね。だから追いかけて来ないで」
「ははっ。ホント姫さんって優しいよね。惚れちゃいそ~」
「姫様、逃げるのはこいつの舌切ってからでいいですか?いいですよね?殺っちゃいましょう」
「ダメだっつの!じゃあね。出来ればもう二度と会いたくないし、朱雀に追われるのもごめんだから諦めてよ」
「う~ん……個人的に姫さん追っかけるのはいい?」
「ノア、さっさと行け」
ウィンクして軽口をたたく青年の言葉を無視して、ユージーンはノアールを走らせた。
ノアールは二人を乗せたまま颯爽と森の中へと駆け出し、青年だけがその場に残された。
はずなのだが………。
ガサガサ
「………あれ?」
ノアールは再び青年の前へと現れる。
真っ直ぐ進んだ筈なのに元の場所へと戻り、蓮姫は驚きを隠せない。
が、驚いたのは青年も同じ。
「………おたくら……何してんのよ?」
「いや……何してんだろうね?」
「姫様、まともに答えなくていいです。ノア。ちゃんと真っ直ぐ走れ」
ユージーンがまたがったまノアールの脇を右足でドスッ、と蹴るとノアールはひと鳴きして先程よりも猛スピードで走り出した。
「………で?だからおたくら、何がしたいわけ?」
「……わけがわからない」
「おかしいですね。確かに真っ直ぐ走ってたはずなんですが…」
ノアールは確かに真っ直ぐ森の奥へと走っていった。
それは乗っていた二人も同じ。
が、やはり同じ場所に戻って来てしまった。
先程よりもスピードが早い分、今度は直ぐに。
「ボスッ!って茂みの中消えたと思ったら、またボスッ!って戻って来てさ……なに?姫さんはそんなに俺と離れたくない?いやまいったね。モテる男は辛いわ」
「やっぱり今すぐにぶち殺」
「やめろっつってんでしょ!」
危ない発言をしかけたユージーンに、蓮姫は勢い良く後頭部で頭突きをかました。
顔面を強打したユージーンは両手で顔を抑えながら、小刻みに震える。
「…姫さん……ホントに旦那には容赦ねぇのな」
「貴方もふざけた事ばかり言って、ジーンを挑発しないでくれる?」
蓮姫はギロッ!!と青年を睨みつけながら言った。
ノアールに乗った状態なので、上から見下ろすような状況だが、そんな姿が青年をかえって煽らせる。
「ひゅ~~。姫さんに冷たい目で睨まれると興奮しちゃうじゃん。さすがはお姫様。女王様の素質充分だね」
「そっちの女王様の素質なんていらない。というか……貴方、私達に何をしたの?」
悶絶していたユージーンも、指の隙間から青年をチラリと見つめていた。
自分達はこの青年から、否この森から本気で逃げるつもりだったのに、何度離れようとしても彼の元へと戻ってしまう。
蓮姫はある仮説を立てた。
つまり、この事態は朱雀の青年が仕掛けた、自分達を逃がさないようにする為の術や結界だろう、と。
この青年は炎術を操れる。
それも魔術を巧みに操った(それぞれ得意とするモノは違ったが)四大ギルドの子孫。
つまり魔力の素質は充分にある、という事だ。
四大ギルドの一つ、朱雀は炎の攻撃魔法を得意とする一族。
その為、回復系の魔術は使えないだろうが、強大な魔力を持つ者なら結界を張るくらい造作もないだろう。
そう考えた蓮姫。
そしてソレはユージーンも同じ。
だが、青年は苦笑いして蓮姫達の考えを否定した。
「姫さん酷くね?俺は何にもしてねぇよ。おたくらが遊んでんじゃねぇの?」
「今ならまだ3分の2殺しで許してあげます。さっさと白状したらどうですか?」
「ソレほとんど死んでんじゃん。旦那とこの体でやり合う気は無いぜ。つまり、俺はホントに何もしてないの」
ユージーンに脅されても彼の答えは変わらない。
本当にこの青年は何もしていないのだろうか?
しかし、暗殺ギルドの者ならば簡単に口を割る事も無いだろう。
蓮姫もユージーンも、彼の言葉が真実かどうか判断しかねていた。
「そんな事を俺に聞くって事は……おたくらはマジでここから動けないってわけ?」
青年に問われ、蓮姫は頷いた。
すると彼は腹を抑えていた手を頭にまわし、はぁ~~~っ…と長く大袈裟に息を吐いた。
「…マジかよ……気ぃつけてたつもりなんだけどなぁ……禁所に入っちまうなんて…女王陛下になんて弁解すりゃいいんだよ」
「禁所?」
「……………」
青年の言葉に蓮姫は首をかしげた。
だが、ユージーンの方は眉をピクリと動かし神妙な顔をしている。
心なしか、ノアールも落ち着かない様子に見えた。
「姫さん……禁所知らねぇの?マジで?」
「だから、それって一体」
何なの?……と蓮姫が聞こうとした瞬間、ガサガサと草をかき分けるような音が三人…いや三人と一匹の耳に届く。
その場にいた全員が音の方へと顔を向けると、そこには……
「っ!?だ、誰ですか!?」
一人の少女が立っていた。
驚いた様子で三人とノアールをキョロキョロと見つめる少女。
年の頃は蓮姫の少し下だろうか……長い栗毛を三つ編みにした少女は、驚きで持っていた籠を落としてしまった。
『誰か?』と問われ、三人の心の声は見事に一致する。
(貴女こそ誰!?)
(そっちこそ誰だよ?)
(つーか、あんたが誰!?)
困惑しながら少女を見つめる三人。
ノアールもジッ…と彼女を見つめているが、朱雀の青年の時のように警戒はしていない。
しかし、その紫の瞳には少しだけ怯えの色が混ざっていた。
そんな彼等に凝視されながら、少女は困惑したように口を開く。
「ここは…禁域。誰であろうと入る事は許されない……それなのに…どうして?」
「禁域?さっきの禁所といい…なんなんですか?それ」
「っ!?ご存知ないんですか!?」
蓮姫の疑問に、少女は驚いたように叫んだ。
ユージーンと朱雀の青年は少女の言葉の意味を理解しているらしい。
つまり、何も知らないのは蓮姫一人だけ。
蓮姫がチラリとユージーンの方へ視線を向けると、彼は主の疑問に答えるために口を開く。