森の中の禁所 1
ー王都・忌み子の塔ー
「……庶民街も随分復興してきたね。」
「まだまだだろう。一時期よりはマシになっただけだ。しかし、確実に復興は進んでいるか。………蓮姫が見たら…喜ぶだろうな」
忌み子と呼ばれる女王の末の実子…ユリウスとチェーザレは窓辺から庶民街を見下ろしながらお茶を飲んでいた。
特に何をするでもない。
そもそも能力者である二人には、勝手に塔から出る事は勿論、働いたりする事も認められていない。
外に出て必要物資を買うだけでも女王の許可が必要。
それも毎回出る訳でもなく、城の者が届ける事の方が多い。
「………暇だ」
「今更だな。いつもこうだっただろう。何をするでもなく、ただ外を眺めたり、本を読んだり……お前は勝手に誰かの夢に入ったり」
「ちょっと。最近は可愛い弟の言いつけを守って、誰の夢にも入ってないよ」
チェーザレの発言に、ユリウスは心外だ、でも言いたげに眉を寄せながら答えた。
そもそもそんな風に否定するなら面白がって人様の夢に入るな、とチェーザレも言い返したかった。
が、そんなやりとりは子供の頃から何度も繰り返しているので、言うだけ無駄だ、とため息をついてやめる。
「……そんな事よりも」
「おい。自分からふっておいて無視しないでくれよ」
「先日の……壱の姫がロゼリアに出向いた件だが」
チェーザレは真剣な眼差しで兄を見つめた。
ユリウスも弟の言葉に、スッ…と目が細くなる。
珍しい兄の真顔を直視しながら、チェーザレは言葉を続けた。
「蘇芳殿……そしてロゼリア、アクアリア両国の報告によれば、今回の『人魚病』騒動はリスクの一族による擬似病。『人魚病』などではなかった。病も、広めたリスクの一族張本人に治させた。………というものらしいが」
「そうらしいね。しかも壱の姫はロゼリアを観光する程の余裕があったみたいだし。久遠殿は壱の姫のお遊びのお守りをしてきたようで、口にはしてないけど顔には不満がありありと現れてた。彼ってホントに真面目だよ」
ユリウスは久遠の不機嫌極まりない、という表情を思い出し嫌な笑みを浮かべる。
壱の姫がロゼリアへ出発する際、そして王都への帰還後も街はパレードのように人が集まっていた。
二人は塔の上からその様子を眺めていたから良く知っている。
「そんなお守りの為に将軍にまで上り詰めた訳ではないからな、彼は。しかしそれ程の余裕があったのなら、『人魚病』が解決したのは事実。リスクの一族の生き残りがいたのも事実だろう」
「その割には……怖い顔してるよ、チェーザレ」
「………少し気になってな」
「『実は事件解決に蓮姫が関わっているのでは?』って思ってるんだろ?可愛い弟の事だ。よくわかるよ」
ユリウスはニッコリと笑うと、お茶を一口飲む。
兄の言葉は的を得ていたらしく、チェーザレも何も答えずに、兄同様にお茶を口に運んだ。
「根拠なんて何にもない。むしろ関わってない方がありがたい。……でも…もしかしたら?って考えがずっと頭から離れないんだよね?」
「………ユリウス」
「わかるさ。俺は君と同じ。君の考えは俺の考えだから。……にしても…その仮説が本当なら…どうしてロゼリアとアクアリアは蓮姫の存在を隠したのかな?蓮姫を守ったのか?もしくは弐の姫と関わった事を隠したかったか?」
「それこそ考えるだけ無駄だろう。どちらにせよ、私達は彼等の判断をどうこう言える立場じゃない。それよりも……もし本当に蓮姫がロゼリアを経由しているなら…」
チェーザレは口元に手を当てながら考える。
チェーザレは蓮姫が王都を離れてから、常に彼女を心配しており心を砕いていたからだ。
当然それは彼の兄にも言える。
そして、蓮姫を想っていた他の者達にも。
「君の心配はよくわかるよ。もしその仮説があってるなら、蓮姫はロゼリアの後に何処へ向かったのか?って事だろ」
ユリウスは壁にかけてある世界地図を眺めた。
チェーザレの方も兄と同じように地図を見つめる。
「ロゼリアから向かうなら……一番安全な進路は…王都に戻る南の道くらいだね」
「西から海に出ても構わん。普段ならな。しかし今は海賊が活発に動いているらしい」
「例の『海賊王』かい?ロゼリアにはまだ深刻な被害は出てないけど……あまり沖に出ると海の魔物なんてのもいるしね」
この世界地図には右端、中央上、左下に目立った大陸がある。
所々海を挟んでいるが大雑把には大陸は三つに分けられ、中央部分には海が広がり下部や大陸の傍には小さな島がいくつかある。
その形は想造世界に通ずる物があった。
この地図には、海の広がる中央部に海蛇や蛸の絵が描かれており、昔から海に魔物がいる事がわかる。
「『リヴァイアサン』や『クラーケン』が活発に動く時期ではないけど……万一って事もあるしね」
「だが…王都にも戻らず、海にも出ていないのならば…」
二人の視線はロゼリアの北東にある、大きな森の絵に向かう。
ただの広い森にしか見えない。
海のように魔物を現す絵もないが、北の出口付近に赤い×印がついていた。
「あそこは誰であろうと女王の許可無くては足を踏み入れてはいけない禁所。そもそも誰も行きたいなんて思わないし、母上の許可だって下りないだろうけど……それでもあそこは…姫や女王を無意識に呼ぶ」
「王都のあるこの大陸では一番の危険地帯だ。蓮姫がロゼリアへ行った保証もそこへ向かうと決まった訳でもない」
「それでも……行かないでほしい、と願うよね。蓮姫にはまだ早すぎる。あそこはこの世界の……そして女王の闇…だから」
「一般人にも禁所としか知られていない。私達は女王の実子の為に知らされたが……姫である蓮姫は…きっと知る事になる。望まなくてもな」
二人は暗い顔をしたまま、以前に割れた蓮姫専用のマグカップへと視線を移した。
どうか無事で。
どうかただの思い過ごしであってほしい、と。
場面は再び森の中へと戻る。
ユージーンは落ち着きを取り戻した蓮姫に手を貸し、彼女を立たせた。
意識が戻ったノアールも、うにゃうにゃと二人の元へと駆け寄る。
蓮姫はノアールを抱き上げると、よしよしと撫でながらユージーンへと問いかけた。
「あの人……全然動かないけど…死んだの?」
「いえ。俺も自分でビックリするくらい綺麗に蹴りが入ったんですが……木にぶつかった時の衝撃で肋骨が一、二本折れた程度でしょう。気絶してるだけです」
「そう」
「姫様がお望みなら今すぐにとどめを」
「いい。そこまで言ってないでしょ」
「お優しいですね。本音を言えば俺は今すぐにぶち殺したいんですけど……それよりも姫様。何故こんな崖下に?あの悲鳴の主はどうしたんです?」
ユージーンに問われ、蓮姫は先程の化け物の姿を鮮明に思い出しブルリと震えた。
顔は青ざめており、ノアールを撫でる手も僅かに震える。
そんな彼女の様子にユージーンは眉根を寄せた。
「姫様?何があったんです?」
「……ジーン……この…森…」
「この森が?どうしたんです?」
「魔獣なんかより……もっと怖いのが…いる」
蓮姫はそれだけ告げると、再び吐き気をもよおしたのか口元を手で押さえる。
先程吐いたせいで既に胃の中は空っぽだが、あのおぞましい姿を思い出しただけでも気分が悪くなった。
その形容を口にする事すら蓮姫には恐ろしい。
「姫様、無理に喋らなくても大丈夫です。失礼ですが……また記憶を覗かせてもらいますね」
そう言うとユージーンは蓮姫と額をくっつける。
蓮姫も嫌がらずに目を閉じた。
ユージーンは倒れた朱雀の青年への警戒も忘れず、蓮姫の記憶へと意識を集中した。
「………っ!?」
蓮姫の記憶の中にある生き物を見て……ユージーンも言葉を失う。
こんな生き物はユージーンも見た事がない。
巨大化したノアールの、倍以上はある巨体。
体幹はライオンのようにも見えるが、背中にはビッシリと鱗のようなものがついている。
前足は人の手そっくりの形だが、後ろ足は犬等の獣を思わせる。
両足についた鋭く尖った爪が大地をえぐりながら近づく。
尾は二股に別れ、その先は蛇になっており、お互いを食おうとしている。
頭部は鰐によく似ているが、やはり鰐とは違う。
大きく裂けた口から牙が覗くが、驚くのはその牙。
その鋭い牙は口に収まらない大きな牙が4本下から生え、上顎にはビッシリと芝生のように敷き詰められている。
口から吐いた息は腐敗臭のようで、鼻が曲がりそうだ。
これだけならば、正体不明の奇妙な大型生物だろう。
しかし、蓮姫が恐れた一番の原因はべつにある。
鰐のような頭部……その両目の間についていた……女の顔。
真っ白く血の気の無い顔、バサバサとした黒髪、生気など感じない白目を向いた女。
口からはダラダラと涎を垂らす。
その顔は初め、蓮姫の方等向いてはいなかった。
だが、蓮姫の存在を感じた女の顔は彼女を見ると、にま~~……と不気味に歪んだ笑みを浮かべた。
蓮姫はその笑みを向けられた瞬間、たまらず吐いたのだ。