朱雀と呼ばれる男 4
だが、男二人の回答など決まっていた。
「当然でしょう。何処ぞの女が野垂れ死のうと魔獣に喰われようと関係ありません。そんなの気にする時間あったら、この犬に一発くらわせた方がよっぽど有意義です」
「俺も。いい加減お仕事こなさなきゃなんねぇし、見ず知らずの赤の他人の女なんて気にしてらんないよ。そもそも俺、殺し屋であって人助けが仕事じゃないからね」
ユージーンと刺客の男の発言はもっともだ。
蓮姫とて本当はわかっていた。
それでも……
「………そう。よくわかった。よ~~~~~~~く、ね」
「姫様?」
「姫さん?」
俯きながら低く呟く主と標的に、二人は声をかける。
立場の全く違う二人だが、今だけはこの二人の方が意気投合していた。
蓮姫はゆっくりと顔を上げると、冷めきった目を二人に向けた。
「こんな馬鹿二人に聞いたのがそもそも間違い。こんな男の風上にもおけない奴等……最初からほっとけばよかった」
「姫様?話が見えないんですが?」
「っ!女の悲鳴を無視するような薄情者は!勝手に二人で殺し合いでもなんでもしてろっ!このっ!大馬鹿野郎共っ!!」
蓮姫は二人に今までで一番の大声で叫ぶと、腕の中にいたノアールを開放した。
地面へと下りたノアールは蓮姫を見上げる。
「ノアっ!おっきくなって!!」
蓮姫が結界を解いた瞬間、その声に応えるようにノアールは巨大化した。
蓮姫は颯爽とノアールの背に乗るとノアールに声をかける。
ノアールは蓮姫を乗せたまま、声のする方へと駆け出した。
「………さっき乗るのはかわいそうとか吐かしてたの何処のどなたでしたっけね」
「……なんか…旦那も苦労してんな」
取り残された男二人はポツリと呟いた。
とはいえ、理由は違えど蓮姫を放っておく訳にもいかない男二人。
(だから勝手な真似すんなっつったのに姫様は俺の話全く聞いてねぇのか?聞く気も更々ねぇってか?そもそもなんで女の悲鳴如きで俺や姫様が振り回されなきゃなんねぇんだよ。意味わからん。姫様が過去に受けた仕打ちから、そういうのに敏感なのはわかってっけど時と場合をえらべっつの。今まさに襲われてんだぞ、俺達。今まさに姫様守るために戦ってんだぞ、俺。もう姫様も放っておきてぇくらいだけど、この犬がいるならそうもいかねぇ。かと言って犬とじゃれてる間に姫様に何かあってもいけねぇし)
この間、わずか数秒。
ユージーンは僅かな間で自分の考えと蓮姫への悪態を巡らせた。
そして彼が出した答えは……。
「………」
「……おい?…どしたよ旦那…」
ダッ!!
「っ!?お、おいっ!!敵前逃亡かよっ!?」
ユージーンは蓮姫を追い掛けるために全力で蓮姫とノアールが消えた方へと走り出した。
男を倒してから、という考えもあったが…何よりも最優先されるべきは蓮姫。
この男の相手をしている間に、蓮姫が危険にさらされる可能性もある。
ユージーンは蓮姫の傍へと駆けつけ、彼女の安全を確保する事を最優先に選んだ。
「あ~れま。思ったより冷静な従者さんで。かと言って……このまま放っておく俺じゃあねぇんだよな。……にしても…あの姫さんが向かった方………ま、いいか」
男は何か引っかかるような感覚を覚えながら、ユージーンの後を追った。
一方、蓮姫の方はというと……
「ごめんね、ノア。重いだろうけど今はノアだけが頼りだから」
走り続けるノアールの背に乗り、悲鳴の主を探していた。
ノアールは疾走しながら蓮姫に答えるように、ひと吠えする。
獣というよりは怪獣に近い咆哮。
それでも、蓮姫には恐怖など感じなかった。
ノアールは蓮姫にとても懐いており、また蓮姫もノアールをとても可愛く思っている。
「ありがと、ノア。ホント、どっかの馬鹿と大違い。……にしても…あの悲鳴…そろそろだと思うんだけど…」
蓮姫達が聞いた悲鳴。
いくら静かな森の中で響いたといっても、距離はそれほど離れていないはず。
しかし、女どころか人も獣も見当たらない。
獣達はサタナガットであるノアールを警戒しているのだろうが……一体悲鳴の主は何処に?
「っ!?ノアっ!ストップ!!」
蓮姫は視界の先に横たわる黒い物体を見つけ、ノアールに止まるように指示する。
ノアールはピタリと立ち止まると、前方の黒い塊を見据えた。
それはピクリとも動かず、ただ横たわっている。
「何あれ?……死んでるの?…ノア」
蓮姫が声をかけるとノアールも彼女の意志が伝わったのか、ゆっくりとそちらに近づく。
黒く横たわる物体のすぐ傍まで来ると、それが何かハッキリとわかった。
「く、熊!?なんで熊が!?」
倒れていたのは熊だった。
いや、正確には熊の死体だった。
蓮姫はノアールから降りると、恐る恐る熊へと近づく。
うつ伏せに倒れているが息などしておらず、その周りには血がまだ流れていた。
死んでからまだそんなに時間は経っていないようだ。
「どうして熊の死体なんて…?」
熊はうつ伏せで倒れているので、蓮姫にはどんな致命傷で絶命したのかはわからない。
しかしその周りに流れる血の量から、かなりの深手を負ったという事は彼女にも理解できた。
(ジーンは…ここは魔獣の住処だって言ってた。つまり……熊なんかよりよっぽど危険な生き物がいるってこと!?)
蓮姫はブルリと自分のした恐ろしい想像に震えた。
このまま此処にいるのは正直利口ではない。
女性の悲鳴も気になるが、恐らくユージーンが自分を追ってくるはず。
ならばそれまで、サタナガットであるノアールの傍を離れない方がいい。
そう思い蓮姫がノアールの方を見ると…
「グルルルル」
ノアールは蓮姫の方を見ながら、深く唸っている。
いや、正確には蓮姫の後ろの方だ。
「の、ノア?」
ガサ
ガサガサ…
後ろから、何かが近づく音と気配がする。
瞬間、蓮姫の全身に鳥肌がたった。
それは得体の知れないモノへの恐怖。
全身がカタカタと音を立てて震える。
今まで感じた事のない恐怖が全身を包み込む。
(……なに…これ?……身体が…勝手に震えて……気持ち…悪い…)
それでも、得体の知れない何かは自分へとゆっくり近づく。
蓮姫は意を決して、勇気を振り絞り後ろを振り向いた。
だが、ソレは間違いだった。
「…ぁ……あ…」
ソレを見てしまった事で、蓮姫の身体と心は恐怖に支配される。
ソコにいたのは
化け物としか形容できないモノだった。
「っ!?ぅ…うぇっ…げえぇぇえぇ」
ソレを見た瞬間、蓮姫は吐き出してしまった。
先程口にした魚や果物……胃の中に入っていたものを、全てその場にぶちまける。
涙目になりながらも、その姿は脳裏に、瞼の裏に焼き付いている。
目の前の化け物を見なくても、自分の中にある記憶だけで、彼女の恐怖と吐き気は増幅された。
胃の中が空っぽになっても、胃液を吐き出す始末。
それほどまでに……その化け物の姿は…
おぞましかった。
「グァアアァァ!!」
ノアールは自分の主人を守るように咆哮する。
だが、化け物はそんなことなど意に返さず近づいてきた。
倒れている熊やノアールよりも、はるかに大きな身体。
ズルズルと何かを引きずるような、独特の足音。
獣と若い女の悲鳴を混ぜたような鳴き声。
その化け物の吐いた息の臭いなのか異臭が漂う中、蓮姫はなるべくソレを見ないようにノアールに乗り込む。
「…の……ノア…逃げ」
蓮姫がノアールに声をかけている最中。
大きな影が蓮姫とノアールを包み込む。
蓮姫が前を見ると、化け物は既に前方にはいなかった。
そう、前方には…。
ソレは一瞬で高く飛び上がり、蓮姫……ノアールの真上にいたからだ。
「っ!?ノアっ!!」
蓮姫が声をかけるまでもなく、ノアールも咄嗟に横へと飛んだ。
ズシンッ!!
化け物が落ちた場所には大きな穴が空いていた。
ソレはゆっくりと蓮姫の方へと顔を向けるが、もう一度その顔なんて見たくもない蓮姫は辺りを見回す。
少し離れた場所が崖になっていた。
「あそこに……あそこに落とせば…」
崖に落として、この化け物が死ぬとは限らないだろう。
それでも、ユージーンが来るまでの時間くらいは稼げるかもしれない。
蓮姫は自分の考えをノアールに伝えようと顔を向ける。
だが、彼女の視界に映ったのは…おぞましい化け物の顔。
「っ、ひっ!?」
化け物は一瞬にしてノアールとの距離を詰めたのだ。
至近距離で化け物の顔を直視した為に、再び吐き気が込上がり、顔が青ざめる蓮姫。
ノアールはすぐさま化け物と距離をとり、一歩、大きく後ろへと飛んだ。
だが、そのせいで文字通り崖っぷちへと追い込まれる蓮姫とノアール。
間近で対峙している為に、ノアールにはもう逃げ場は無い。
「……ぅ……ぅぇ…」
自分の背にしがみつきながら、必死に恐怖に耐える蓮姫に、ノアールは化け物に対し力強く咆哮する。
まるで、なにがあっても主人を守る…というように。
「……の……の…ぁ?」
「ガアアァァ!!」
力強く大地を踏みしめるノアールだが、化け物は変わらず突進してくる。
ノアールは再び咆哮すると、化け物に対して鋭い牙を剥き出した。
化け物を食いちぎろうと。
しかし化け物は、奇怪な尻尾を大きく振りノアールへと叩きつける。
その衝撃に耐えられず
「キャアアァア!!」
蓮姫とノアールは、崖下へと落ちていった。
『…………め………姫…』
暗闇の中で誰かが呼んでいる。
姿は見えない。
ただ、はっきりと、自分を呼んでいる事はわかった。
『…誰?……誰なの?』
蓮姫は声の主を呼びかけるが、相手は彼女を『姫』と呼ぶだけ。
誰の声かはわからない。
姫…と呼ぶのなら、ユージーンか?とも思ったが、彼は必ず『姫様』と呼んでいる。
彼ではないのなら?
『……姫……俺の姫…』
段々とその声は、しっかりと聞こえてくる。
暗闇からぼんやりと…その男の姿が見えてきた。
『誰?貴方は……誰なの?』
蓮姫がその声の主に歩み寄ると…
『っ!?』
『愛していますよ、俺の姫』
自分を呼ぶ男の姿がくっきりと見え、その声が最も自分が嫌悪するモノだとわかった。
男の正体がわかり怯える蓮姫に、男は歩み寄り、スッ…とその手を伸ばしてきた。
『姫。俺の姫。貴方は俺だけの姫だ。だから…俺のものになって下さい。愛しています』
その男は
蓮姫がこの世で一番恐ろしく、嫌悪する男だった。