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1.リベルフィリア 2

扉を開いて、硬質な冬の夜の空気を吸い込んだ。


夜間外出は禁止されているので、現在石造りの廊下を歩いているのは、ほぼ自殺行為といってもいい。

残念なことに、起死回生のオプションも持っていないので、今夜の脱走は行き当たりばったりだ。


廊下は見事なモザイク画で、爪先で辿る神話の一場面が絵本のよう。

壁面は一面が飾り縁の窓になり、壁に這わせたカップ咲きの蔓薔薇が重たい蕾に青白い燐光を灯している。


(ワルツだ…………)

遠くでオーケストラの演奏が聞こえた。

今夜は舞踏会が行われていて、近隣の貴族達や、遠方から謁見に訪れた使者達の笑い声がさざめきのように揺れる。お披露目されているのは、正規の来訪者である嗜好品の、エレノアという少女だ。

今夜から日を置いて七の夜会を行い、彼女のお披露目を行うのだという。


磨り硝子一枚を隔てた向こう側には、絢爛豪華で幸福な世界がある。

(でも私は、綺麗なドレスを着て、華やかな広間で踊りたいわけじゃないんだ)

日々を生きのびるのに精一杯の石炭候補には、華美さに憧れる心の余力すらない。


だが、黒水晶の飾り窓から見下ろした中庭には、満月の下で薄紅色の花を満開にした大きな木があり、

雪景色の中で揺れるその色彩の美しさにはユジィも口元を緩めた。

この世界はとても残酷で、格別に美しい。

だからこそ、書の国から来たユジィの心を奪うのは、多分こういうもの。


(良かった、この扉から出られそう)

人外者のアールが精密過ぎるので、脱走などの警戒はされていないようだ。

禁止区画に出たことを罰せられるかも知れないが、粗相に気付いたとしても、今は自分のお楽しみを優先させるだろうとユジィは睨んでいる。

(う~ん、見逃されたと安心させておいて、明日あたりに罰せられる展開かな)

ふぅと溜め息を吐いた。無茶をしている以上、根源的な恐怖心はやはりあって、体の動きが鈍い。

でも、この猶予こそが、今のユジィにとっては貴重な時間稼ぎだと知ったら。


(フリードリヒが、華やかな場が好きなひとで良かった)


明日から、フリードリヒの矛先は間違いなくユジィに向かうだろう。

だが、どうしても会いたい人がいるユジィには、命を落としてからでは、諸々困る事情があった。


さくさくと雪を踏む足音がした。じわりと滲んだ爪先の冷たさに身震いして夜空を見上げる。

足が沈む程の積雪ではないけれど、砕いた白蝶貝のようにざらりと輝き、吐き出す息は白い。

満開のその下まで行くと、緊張感が緩んで自然に唇の端に微笑みが浮かんだ。

(こういう喜びまでは、彼等にだって奪えない)


身の回りで理不尽な死が積み重なると、人間の心は麻痺するのだろう。

その所為か、残っている石炭候補達はみな従順で虚ろだ。

だが、幸いにもユジィは書の国の人間だった。

(私は彼らの行いを活字で読んでいる。歴史で、伝承で、ときには図鑑でさえ)

悲惨な環境に心が折れそうになったユジィが踏み留まれたのは、彼らを違う価値観と生態を持つ存在として、第三者の言葉で知っているからだ。

同じ人間同士ですら、文化や価値観は完全に同じものではない。

だから、生態や思考の違う生き物を理解出来ないのは当たり前だし、

そんな彼等に蹂躙されても尊厳までは砕けない。……多分。

(だから、毎日が吐きそうなくらい怖くても、目的や希望を失わずに済んでいる?)

そして困ったことに、淡い希望の光だけでも充分な程、この世界は美しいのだ。


「…………きれい」

はらはらと花びらが舞い落ちて髪に絡み、北欧の森めいた色遣いの中では、

様々な草木のものが混ざり合う、おとぎ話のクリスマスの香りがした。

(こんな月の明るい夜にはいつも、彼はこの木の下で気持ちよさそうに微笑んでいたっけ)

薄暗い図書館の影の中で見付けた、自分の物語を思い出す。

金の箔押しの題名を刻んだ、書の国に剥ぎ取られたユジィの記憶を。



(あの本を見つけた日からずっと、私はここに戻ってくる為だけに手を尽くしてきた)

本の舞台がここで、あれがユジィ自身から剥ぎ取られた物語だったから。



「とは言えもう、……剥ぎ取られた段階で、記憶じゃなくて記録になってしまうんだけど」

思わず鬱々とした恨みを声に出してしまうのは、その記憶が幸せなものだったから。

人生というものの特質上、戻らなくても結構ですという忘却万歳の部分はあるが、

奪われるという行為自体が苦しく切ない。

ついつい、雪を踏む足が荒くなる。


(だから私は、あの物語の続きを取り戻したい)

そんな風に願っても、底辺の石炭候補にとって、高位の人外者の捜索程厄介なことはない。

情報らしい情報は、この城に来る前に得たものでほぼ全てと言う有様だ。

いかに危険に図太い書の国育ちでも、さすがに見通しは暗くなる。

こちらに来てから、石炭というのが何を示すのかを知った時ですら、まだ危機感が薄かったのにだ。


(彼の好きなものは、月明かりと雪明り。満開のこの木の花。人外者は、

ちょっとどうだろう?ってくらい、自分の嗜好に我儘な子供みたいな生き物だから………)


武器と石炭と名付けられたユジィの物語には、クリスマスを司る王様が登場する。

ユジィは、その王様にクリスマスの朝に拾われた子供で、

リベルフィリアで必死に探しているのは、かつて自分を庇護したクリスマスの王様だった。


(今夜の宴に、リベルフィリアに住む各王達が全員揃っているかどうかも分からないけど、

給仕の人外者が多くの王が参加しているって言っていたもの)


この城の給仕は所謂ところの人外者という括りの中では、

個として認識できないぐらいに曖昧なぼんやりした影のような存在である。

それでも、石炭は大抵の人外者にとっては使い捨ての備品のようなもので、

その前で会話に注意を払う給仕はまずいない。情報収集には最適なのだけど、

如何せんこの城は広すぎる。

そんなことを取り止めもなく考えながら、雪明かりを頼りに庭をうろうろしていた時だった。



「お前は誰だろう?」

「…………!!」


ふいに届いた声に、ユジィは震え上がった。


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