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6.欠け残りの森 1

地上に戻ると、転移用の広間の一つで渋面を堪えているスヴェインとロードがいた。

こちらを振り返った瑠璃色の瞳の綺麗さに、思いがけず胸が詰まる。


灰水晶の荘厳な神殿にも似た広間は、城の右翼部分を切り開いた吹き抜けになっており、半円の天井には季節を司る他の国々を具象化した素晴らしい壁画がある。


「ヴェイン!出して貰えたの?」


慌てて駆け寄れば、驚いたように両手を掴まれる。


「どうしてここにいるんです?!王の部屋にいるのではなかったんですか?」


鬼気迫る形相に、びっくりして首を傾げた


「え?私がアレックスの部屋に?エレノアに会ってくるよって言ったよね?」

「その後で、王があなたを保護しに行ったと聞いていたのですが。俺が拘束された時には、どこにいました?」

「……エレノアの部屋に。アレックスは来なかったよ?」



たっぷりの沈黙を挟んでから、スヴェインはユジィに表情が見えない方向に首を捻って何かを呟いた。

たまたまそちら側にいたロードとフリードリヒが青ざめて後退したので、よほど過激な言葉だったのだろう。


(やっぱり、この采配はアレックスの悪ふざけだったのね…………)



「…………ヴェイン?」


恐る恐る声をかけると、一度大きく息を吐いて激情を静めたようだ。


「この仕掛けの間、あなたを、不可侵となるの王の部屋に庇護して隔離しておくということが、俺の出した条件だったんですが」

「…………仕掛け?」


猜疑心たっぷりの表情のユジィに、スヴェインは苦笑して、頭をそっと撫でてくれる。


「心配をかけましたね?俺の拘束は、王と俺の狂言なんですよ」

「…………やっぱり」

「は?どういうこと?!」


ユジィより声を張ったのはフリードリヒだったので、背後でロードが面倒臭そうに説明に入っている。

拘束を逃れ外に出ていた以上、何のイレギュラーがあったものか、スヴェインは既にロードには事情を話しているようだ。


(さすがにこの流れだと、フリードリヒが気の毒にさえ思えてくる)


そろそろ、振り回され度一番の彼が、図らずも不憫になってきた。



「ラエドがあなたを襲撃した夜、あの礼拝堂を監視していたのは王だけじゃなかったんです。俺もいたんですよ。だから、早めに該当者を絞り込んで提示したんですが……」


先程ラスティアが得心したのと同じ理由だろうか。既に目星までついていたようだ。


「アレックスと一緒に、あの場所にいたの?」

「ええ。すぐにでもお側に行こうとしたんですが、王に邪魔されまして。そうでなければ、あなたにあんな怪我なんて……」


また不穏な眼差しになりかけたスヴェインを制して、ユジィは慌てて話題を元に戻す。


「アレックスはどこ?シュタイル伯は?」


その疑問を発した途端、今度はスヴェインとロードが同じ表情になった。


(ええええ?!)


激怒と呆れの再極端とでも言えばいいだろうか。

それが重なり過ぎて、もはや穏やかにさえ見える。

必須性がなければ、触れずにそっと離れたい。


「え、ちょっと……何があったのさ?シュタイルが黒幕だってことは伝えたよね?」


思わずユジィと顔を見合わせてしまい、さっと顔をそむけた小心者のユジィに代わり、勇気を振り絞って疑問を口にしたのはフリードリヒだった。


「…………わざわざ、敵の策にお乗りになられた」

「…………え?」

「俺を拘束したのも、拘束用にアールを無効化させた俺の元に敵を炙り出す為ではなく、寧ろ、敵の策に踏み込む遊びを、俺に邪魔されないようにする為だったんだろう。あの方は、…………時々そういうことをなされる」

「エレノアに連れ出されたんだよ!あの女狐、我が君を罠にかけるなんて……、戯れに乗る王も王だよ!」

「エレノアに?!だって彼女はアレックスのことを、」

「でもシュタイルが関わっているなら、射手の矢に隣国の記憶が残っていたことも頷けるね。フリードリヒ達の調査で無駄足を踏ませるよう、矢そのものを説得したんだろう」



(エレノアが………?そして、矢の記憶って一体何?矢を説得するって一体何??)


言われている意味がわからなくて、ユジィはスヴェインの胸に手を当てる。


「わざと危ない目に遭っているの?……だって、シュタイル伯だって、アレックスがどういうものなのか知っている筈よね?その上で張り巡らせられた罠でしょう?」

「それでもやるんですよ。九十年前の大惨禍の一件で懲りていただけたと思っていたんですけどね。恐らく、王は最初から筋書きをわかった上で、目隠しをしていたんでしょう」

「どうしていつも、僕を置いていくのかわかんない!」


ロードの不満までぶつけられて、ユジィは頭を抱えそうになる。


(その九十年前とやらに何があったのかは、知りたくもない。大惨禍って何だ…………)


「…………追いかけるよね?」


「僕は、南のハルセを見に行くよ。フリードリヒ着いて来て!」


頬を膨らませてつんつんしたまま、ロードが素早く転移してゆく。

後を追ったフリードリヒの背中が消えて見えなくなる頃合いで、スヴェインはもう一度溜め息をついた。


「候補が幾つかあるの?」

「ええ。そのように履歴を残すように、シュタイルが教説で門を歪めたようです。残るは、西のアナトレアか、国境沿いのルーシなんですが……」


門に手を当ててみたけれど、さすがに無機物からは何も奪えないらしい。

そんなものを教説したシュタイル伯の能力にひやりとする。

そして、前述を参考にすると、矢を説得した誰かは、シュタイル伯なのだろう。


(ラエドの矢に、隣国の記憶を残して、今回の首謀者が他国にいると思わせたってことかな?)


矢を説得しようとする発想も、

矢の記憶を覗こうとする発想もない人間としては、まさに人外者らしいと言わざるを得ない。


「眷属のものを動かしても構わないが、今回の件は王の暴走だからな。関わる者が、王本人とシュタイルである以上、下位を動かすのも時間の無駄だろう」


独り言のように呟いたスヴェインが、片手を額に当てたまま深い息を吐く。

深刻に王の身を案じると言うよりも、面倒な騒ぎを起こした上司に頭を痛めている構図だ。


でも、


ユジィは、クリスマスの王様の願い事だから、

ただ単純に腹を立てるだけではいられない。


あんな風に見ず知らずの子供に心を傾けてしまうくらい、

彼がどれだけ疲れていて、どれだけ孤独で、どれだけ我儘なひとかなんて、誰も知らない。


(アレックス!まさか、また、もう疲れたからどうでもいいやなんて思ってないよね?)


焦れて心の中でその名前を呼んで、不安の気配を押し戻した。

シュタイル側の目的が当初、どれだけ彼を削ろうとしていたことか。


彼はもう共に生きていくひとではなくても、やはりとても大切なひとだから。



「………………森があるのはどっち?」

「ユージィニア?」

「ううん、月光の青で染めたみたいな森があるのはどっち?!」


彼の名前を呼んだとき、


(ざあっと耳の奥を、森の木々を揺らす風の音が聞こえた)


青よりも青い森の底で、静かな目をしたひとの暗い微笑みを見たような気がした。


(気のせいかもしれない。でも、)


ユジィの中には、アレックスの半分がある。


「…………ルーシには、欠け残りの森がありますね」


緊張感を孕んだ声に、その腕を引いて問いかける。


「そこは、よくないところなの?」

「ここにいて下さい。俺が追いかけます。ユージィニア?!」


しっかりと腰に腕を回して抱き着いて、着いていくと意思表示をした。

そんなユジィに、スヴェインは珍しく厳しく首を振る。


「駄目だ。俺とシュタイルが戦えば、巻き込まれる土地は無事では済まない」

「防壁ならあの盾を見たでしょう?それに、今回の件の発端は私が持ち込んだ本なの!置いて行かれたら、自分で門をくぐるから!」


スヴェインの頭痛の種を増やしている自覚はあったけれど、どうしても引けなかった。

武器として成り立つのならば、足手纏いにならないという覚悟もある。

不測の事態に対応する技量がなければ、最初から全力展開するまでだ。


「…………わかりました。少し荒くなりますよ」

「わっ、」


言うなりユジィを抱き上げて、スヴェインは門の錬成に飛び込んだ。


(あれ、長距離の転移の筈なのに、ちっとも気持ち悪くない)


転移の間を滑り抜けながら、なるべく体に負担がないように抱き抱えてくれているスヴェインに気付いた。踊るような優美な転移の交差で、着地に体を少し捻ったのは僅かな振動さえも軽減してくれているから。


その贅沢さに、せっかく感覚を掴みかけていた覚悟や叡智が欠け毀れる。


「リベルフィリアに点在する森の幾つかは、転移を許さない禁足地になっています。欠け残りの森もその一つ。領地としてはラスティアの国ですね。少々手荒に削っても許されるな」


ひやりとした冬の森の入り口に着くと、ユジィをそっと下ろした足元を一瞥して何の痕跡を認めたものか、スヴェインは淡く冷ややかな微笑みを閃かせる。


「さすがですね、ここで間違いないようだ。だが、随分と時間を短縮出来たとは言え、この先は我々も歩いて進まねばならない」

「ここがもう、欠け残りの森の入り口なの?」

「いいえ、あの森に転移の先ですぐに踏み込むのは厄介ですからね。シュタイルも、自身は立ち入るかどうか。距離があるので門を通すというだけで、ここはまだ外周の森です」


薄っすらと雪に彩られた見上げる程に巨大な樹々は、自然の聖堂のように枝を絡ませ天蓋を作り、多様な枝葉の造形が緻密な影を落としている。鐘楼程の幹に絡んだ蔓に実る果実は、ぼんやりとした炎を纏って水銀灯の代わりに森を淡く照らしている。


(なんて暗い………)


ひくりと体を竦めたのがわかったのか、スヴェインがしっかりと体を寄せてくれた。


「一番暗いのは夜明け前だと言うでしょう?どの禁足地の森もね、外周の森が特別に暗いんですよ。怖くないですか?」

「………変な感じ。さっきまで、もう少し頭も働いていたし、フリードリヒくらいなら制圧出来そうなくらいに武器の力も馴染んでいたのに、ヴェインが傍にいるとすごく安心するのに、その分怖くなって、何も出来なくなりそうになる」


素直に訴えれば、スヴェインは吐息交じりに艶やかに微笑んだ。


「俺を喜ばせ過ぎると、あなたを息苦しくさせてしまいそうだな」

「ヴェイン?」


ちらりとこちらを見る瞳が、妙に悩ましくて頬が熱くなる。


「それはね、あなたが自分は俺に守られるべきだと認識したからですよ」


露骨な指摘に思わず固まると、スヴェインは、はっとする程に穏やかに微笑んだ。


「もう少し時間がかかるでしょうが、そういう本能的な庇護欲だけではなくて、もっと感情的にも俺に依存して下さい。これでも元々はアレックスと同質の柱だったんですよ。あなたが全体重をかけても、俺には負担になりませんから」


息が止まりそうになる。


(ほんとうにこの人は………)


鋭過ぎるのか、優し過ぎるのか。


人外者らしい意図的な選択なのだろうが、スヴェインの言葉には慈愛や許容はなくて、まっさらな欲求だけが滲むから、信用することが怖いも思わせてはくれない。


(私がヴェインと一緒にいて安心するのは、そういうところだ)


彼が一緒にいてあげようと手を差し伸べるひとではなく、

自己の要求としてユジィに自分の手を取らせる、したたかなひとだから。


「見込みの何十倍も重くてうんざりするかも」

「俺の資質は欲望ですからね。あなたに限定すれば、欲しこそすれ、疎んじることはない。怖がらなくていいですよ」

「アレックスと同柱だったの?」

「ええ。でもね、欲望というものを代行する俺の場合、王座やアレックスを滅ぼすということ自体に欲求を持たなければ分が悪いんです」


(それってつまり、王座を競るくらいに能力が拮抗していたってことなんじゃ)


確かに願い事は命じる言葉のアールだ。

実際の感情が伴わなければ本領を発揮しないスヴェインは、分が悪いのだろう。


「望まないとことで準じて、膝を屈するのは嫌じゃないの?」


そう問いかけると、スヴェインは小さく笑った。


「国の王ではなくても、俺はアシュレイの王ではあります。それに、総王になる煩わしさには、アレックスすら辟易としている。まぁ、俺には無理でしょうね」

「アレックスのこと、名前で呼ぶんだね」

「アグライアは彼の城ですから。俺は元々彼を名前で呼んでも影響がないんですが、一応」


かすかに複雑そうな感情が瞳に過ぎったことが、逆に二人の関係が単純なものではないのだと暗に告げていた。こんなに暗い影の中でも、彼の姿はその色に光を孕んでいる。


「アレックスの名前は特別なの?」

「リベルフィリアに限らず、季節を統べる総王の名前は、総王に並ぶ者しか呼べません。俺の他には、他の季節の総王と、彼の加護を持つあなたくらいかな」


その説明は飄々と事実だけを教授するさらりとしたものだったが、ユジィは保護者の階位に妙に誇らしい気持ちでいっぱいになる。

強いということは、損なわれ難いということだ。安堵感も深まる。

ヴェインにはいつまでも健やかでいて欲しい。


「同じくらいの階位の人外者が、結構いるんだね」

「そうでもありませんよ。リベルフィリアは、最も潤沢なアールを誇る祝祭の季節の一つ。他に肩を並べるのは、夏至祭の総王と、再生の季節の総王ぐらいですね」


(………夏と、春)


総王の力は、治める季節に連なる祝祭の質や数によると言う。


(クリスマスの王様のアレックスは、願い事を司る。そこに繋がる形で、欲望のヴェインと信仰のシュタイル伯。氷のロードに、侵食のラスティア)


季節に連なる人外者が、その国を治めるのは当然のことだが、フリードリヒの代行物は季節柄を問わないものだ。


(そっか、だからこそ彼は若い人外者だし、階位も低いんだ)


「他の国にも、ヴェインみたいに総王に準じるひとがいるの?」


まだ目的地は遠いようだし、気になって聞いてみると、スヴェインは少し考え込む様子を見せた。


「夏至祭のクローディアなら或いは。ですが、限られた季節に、総王と同柱が出現するのは極めて稀だそうです。リベルフィリアが特殊な季節だからこそでしょうね」


気になりますか?と問われたので、素直な懸念を伝えてみる。


「この状況や、国境線が近いと思ったら、他の誰かがヴェインの脅威にならないのかなと思って。でも、大丈夫そうだからそれでいい」

「………あなたは時々、無邪気に煽りますね」

「え?」

「いや、嬉しいですよ。…………そう、俺は充分に頑丈ですし、今まで以上にアールも潤沢ですから、安心して下さい」

「今まで以上に?」

「俺の資質が欲望であるが故に。欲求を多く持てば持つだけ、アールは潤沢になります。今のあなたが汲み上げないところまで叶えてくれればよりいいですが、今でも充分に」


相変わらずスヴェインと欲望という言葉が繋がりきれずに薄い理解でいると、勘のいい彼は補足してくれる。


「今までのアールの維持は、自由に動けるだけの力への欲求で充分でした。弱いということは、不愉快ですからね。でも、今はあなたがいるので、他にも欲が出ます」

「じ、じゃあ、私が応えられるものがあったら言ってね」


相変わらず率直な言葉に、頬が熱くなる。

こんな話をしているせいで、森の暗さも気にならなくなってきた。


(汲み上げてないものって何だろう?もっと甘えたり、頼ったりすればいいのかな?)


安易にそう申し出たユジィに、スヴェインは口元のカーブを深くする。


「嬉しいな、約束ですよ?いずれは俺の欲求を色々叶えて下さい」

「………うん?私の出来る範疇や、持ってるものでいいんだよね?」

「勿論」


(あれ何だろう?ものすごく身の安全が損なわれる感じがする………)


妙な首筋の寒さに眉を顰めたユジィに、スヴェインは上機嫌で微笑みかける。

微かな疑いを持ったせいか、心なしかその表情が胡散臭いような気がした。


「大丈夫。あなたに害を成すようなことを要求したりしませんよ」

「………その害という言葉の認識は、私の嫌なものと一緒?


(フリードリヒみたいに、人の不幸や苦痛を喜ぶ人もいるけど、まさか違うよね?)


相手はやはり人外者だ。深読みして恐る恐る訊くと、心外そうに苦笑された。


「俺にはそういう趣味はありませんよ。安心して下さい」

「そうだよね!変なこと聞いてごめんなさい」


慌てて謝ると、スヴェインはふわりと頭を撫でてくれた。

アールの誓約は言葉で成される。

ラスティアがこの場にいれば、深い諦めの溜息を吐いたかもしれない。


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