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5.願い事の顛末 3

地下に向かう階段は、悪夢の中に出てくる大木の胎の中のようだ。


衛兵のようなものがいることもなく、誰にも見咎められることなしに、大きな漆黒の扉の前に立つと、重たい扉と数分格闘してから、ようやく中に入り込む。


スヴェインが拘束されたという情報が入ってから、半日が経っている。


アレックスはスヴェインを客間の一つに幽閉しているそうなので、まだ罪状が固まったわけではないのだろう。ユジィはそのまま部屋に戻らず、拘束されているラエドを探すことを優先させた。


兵を持たない城に、高位の人外者も、アレックスの五柱の王しかいない時期が幸いしたのか、拘束されずに隠れていることが出来た。と言うか寧ろ、彼らは高位過ぎるせいで、諸々の細部がザルだ。


“なんで客間なのさ?王はスヴェインに甘いんじゃないの?”

“相変わらず、身の危険すら楽しもうとするんだから!今回はせめてスヴェインを拘束しただけ、僕はほっとしたけどね”

“ああ、九十年前のときは、裏切り者に何の処分もしなかったんだっけ?”

“あの時も、彼なんだよ。フリードリヒ”


回廊は静かな声もよく響く。

己を隠す脆弱さを持たない人外者は声をひそめないらしい。


(ロードとフリードリヒに遭遇したときは、もう終わったと思ったけど……)


無駄だと半ば諦めながらも、咄嗟に柱と壁の隙間に体を寄せて息を殺していたユジィは、なぜかすぐ真横にいた自分に気付かずに二人が通り過ぎたところで、体の周囲からキラキラと崩れて霧散した黄金の盾に瞠目した。どうやらそのアールが姿を隠してくれたようだ。


差し出した掌に淡く落ちた欠片には、庇護よりもふくよかな愛情めいた温度があって、それが誰から得たものなのか、真実を知った今ならわかる。


(そっか、だからヴェインは複雑そうだったし、アレックスは当然のように答えたんだわ。このアールがアレックスのものだということは、二人の目には歴然としていたんだ)


実際に盾を展開したときにその場にいたのだから、あの二人であればそのくらいの分析はするだろう。


(そういや、九十年前のときもって、前にもなんか揉めたのかな……)


フリードリヒ達の会話から察するに、その時もスヴェインが関わったらしい。

少し気になりはしたけれど、所詮過去のことだからと捨て置くようにした。

合わせて考えるには、材料が足らな過ぎる。



(それにしても、この盾、展開の為のお作法は特にないんだろうか)


身を守るという意思に反映されて展開されるようだ。

移動しながら試しに何度か展開してみれば、驚くほどに意のままに様々な形態でユジィを護ってくれることがわかった。かつてのアレックスの愛情深さが映るのだろうかと考えれば、複雑な気持ちだ。


(ラエドの矢を受けた時には反応しなかった。展開出来るのは一つなのかも知れない)


可能性は低めに見積もっておいた方がいい。

柔らかな革のブーツが足音を見事なほどに消し去る効果に感動しつつ、武器としての自分の可動域を思案する。先ほどの扉と同じ素材の壁石は黒色半透明で、写り込む影の奥に誰かが現れそうで怖い。


(アレックスの石炭だった頃に、幾つもの隠し通路を見ておいて良かった)



迷路のような城で息を潜めて駆け巡り、悪戯に聞かされていた地下牢にようやく辿り着こうとしている。



(地下牢の話を聞かされていたのも、私が石炭だったからだ)


賓客の嗜好品には、誰もそんな話はするまい。

石炭だったからこそ、ここを見付けだせたのだと言ってもいい。


艶のない硝子めいた床石は、氷の事象石であるアイリア。

それを慎重に踏みながら歩いてゆくと、突き当たりの壁の脇に、明かりの灯された牢の影が映っている。ほっとして肩の力を抜いた途端、ぶんと空気が唸った。


「…………っ!」


ギィンと硬質な音が響いて、無意識に展開された盾が飛来したものを弾き落とす。


「へぇ、やっぱり仲間を取り戻しにきたんだ?」

「フリードリヒ」


城内に裏切り者がいるとなった今、ここで拷問にあたるとすれば、ラエドの能力を考えてもフリードリヒかロードだろうと思っていた。


「ラエドはこの奥だよね。聞きたいことがあるんだ。同席させてね」

「って、おい?!ちょっと待て、お前!!」


(否定と無視。否定と無視)


スヴェインの助言を思い出して、さらりと横をすり抜けられたフリードリヒがぎょっとする。

幸い、心を無にする技量はここ暫くの日常の中で磨き抜かれている。

今、隣りできゃんきゃん言っている生き物は、面倒な気質の小型の獣だとでも脳内暗示をかけよう。


「武器の私にしか聞き出せないことがあると思うの」

「はぁ?!お前、反逆者の持ち物だろう!何でそんな偉そうなんだよ?!」


周囲で淡い黄金の粒子が弾けたり滲んだりしているので、攻撃は持続されているらしい。


(他のものを奪っていない時に、自衛を意識すればこれが展開されるみたい)


実習対象にされているとも知らず、フリードリヒはぎゃあぎゃあ言いながら突っかかってきており、不本意ながらちょっと可愛らしい。

ユジィは脳内で、意地悪そうな獣のビジュアルを、良く吠える小型犬に切り替えた。



「ユジィ?!」


牢の前まで来たユジィを振り返ったのは、意外にもラスティアだった。


「…………ラスティア!」


長衣は拷問李に相応しくない美しさだったが、彼をここに置いた理由には思い当たる。


(そっか。痛覚がないから、毒や薬、病を資質とするラスティアが有効なんだわ)


その奥に、両手を鎖で拘束された男が膝立ちの状態で吊り下げられていた。

引き絞られた両手の鎖は赤く燃えており、焼ききらない程度にラエドの肌を侵食している。

オリーブ色の肌を赤や灰色に侵食しているのは、毒だろうか、疫病だろうか。


項垂れた顔は見えなかったが、歪んだ笑みを浮かべる口元は見えた。



「何でこんなところに?スヴェインは、君の保護に何の手も打っていなかったのか?」


ユジィが答えるよりも先に、小型犬フリードリヒが噛み付く。


「あいつは王が拘束したんだよ?そんな余裕があるわけないじゃん」


「本当に反逆を企てたのだとしても、そのくらいの手間はかけるんじゃないかな」

「私は、ヴェインとは一緒にいなかったんです。あの直前まで、エレノアとシュタイル伯と一緒にいたので」

「そうだったのか。……って、こら入って来ちゃ駄目だよ、君は人間なんだから。ここは猛毒だよ」

「理外れの盾があるので大丈夫です」


門扉を潜り、意外に広い牢内に入る。ラエドが、緩慢に顔を上げた。


「よぉ、ユージィニア。やっぱり来たか。同輩」


潰されたらしい片目を閉ざしてもなお、燐光の瞳は割れそうに青い。

その血の赤さに怯んでから、何とか呼吸を落ち着かせた。



(見るだけで怖いけれど、ここで対等になりたいなら、怖がっちゃ駄目だ)


これをしたのがラスティアであることへの恐怖を、決して知られたくないと思った。


(それにしても、同輩……って)


敵方はそのつもりなのだろうか。だからこそ、アレックスはスヴェインを拘束したのか。


(それ以前に、人間の頭の切れる策士よりも遥かに、前提の感情の動きの違う人外者の思考は読めない…………)


どれが罠でどれが陰謀で、どこからが余興でどこまでが悪ふざけなのか。

でもせめて、ラエドはユジィによく似たものだから、そこから詳らかにしてゆくしかない。



「あなたの主人は、道具を使いたいという欲求で、私が必要だったわけじゃないのね?」


「ユジィ、下がりなさい」

「ラスティア、少し時間を下さい」


懸命な訴えにも銀貨色の瞳は静かなままだった。

心だけでは動かない人ならざる者の荘厳さの片鱗を見たようで、勝手に手助けを期待していた気持ちがぴりりと張り詰めた。ラスティアが纏う疫病は、人間が本能的に畏れるものでもある。


(それが例えヴェインの為だとしても、ただの情だけでは、彼は、人間の私には自分の領分での時間を分けてはくれない………!)


ラスティアとスヴェインとは違う。

本人が口にしていたよりも遥かに、彼が寄り添うのは薄い上澄みの部分だけかもれしれない。

アレックスにするように、ラスティアの人外者としての資質に訴えなければ駄目だ。


(ヴェインが、私に武器をくれた。ラスティアの代行は侵食だって)


石炭として受けた講義のどこかで、代行者の本質は本人そのものであるだけではなくて、資質そのものへの欲求でもあると学んだ。


“競り負けた”


そう口にしたときのラスティアが、微かに微笑んでいたような気がする。

そして彼はユジィに少し奪われたことを不愉快がる様子はない。


(アレックスも言っていたように、彼等は奪うことを寧ろ賛美さえする)


理外れのアールを利用するならば、意識を外壁以外のものに向け盾の庇護が揺らぐのは覚悟の上だ。

ここは毒と疫病の王が司る牢獄。


(でも私は信じられる。恩寵や希望ではなくて、私が私を対価にして得た力だから)


その力の恐ろしさも、都合の良さも。


(水のイメージがいい)


水面の表面に揺蕩う色だけが、ユジィの染め奪ったものだ。

ラエドの時のように直接触れなくても、それをより深く浸透させることを意識して呼吸を深くする。


「話させて下さい。何かわかりかけている気がしているんです」


銀色の瞳は柔らかくて冷たい。

その美しさに引き戻されてふらつかないように、目を逸らさないまま浸透を強める。



(………………空気がいがいがする)


浸透に引っ張られ過ぎたのか、防壁が揺らぎ、敏感な舌先が微かに痺れる。


実際には短い見つめ合いだったその後に、ラスティアの柔和な微笑みに本物の愉快さがちらりと過った。


(大気の成分が凪いだ………?)


「どいていてよ、ラスティア。石炭は石炭らしく…………ちょっと?!」


ユジィの肩を引いて押し留めようとしていた筈のラスティアが、疲れたような溜め息と共に、抑える腕をフリードリヒに切り替えた。

いつの間にか鎖は炎を落とし、肌の焼ける臭気も消えている。


体には触れないまま肩を押され、フリードリヒの体がすとんと一歩後退させられた。


「ちょっとこれ!!僕に何か使ったよね?!動けないんだけど!!」

「しばらく観客に徹していてくれ。大丈夫、すぐに解毒してあげるよ」

「やっぱり、お前もスヴェインの仲間だったのか!」

「悪いけどね、そういうものは興味がないから。私はね、心穏やかに研究に没頭出来る場所さえあればそれで良いんだよ」

「ごめんなさい、この取引が上手くいけば誤解も解けますから」

「はいはい。でもまずは、スヴェインに慰謝料を請求するよ」


手を広げて嘆息したラスティアに思わず微笑んで頷くと、彼は初めて見る表情にぽかんと口を開けたまま固まった。ユジィは気付かず、ラエドに向き直っている。


「昨晩の私は、誤解してた。あの五柱の中の裏切り者が私を欲したのなら、私が廃棄された時ほどの好機はなかったわ。でも、その人はそうしなかった」

「だから!だから、スヴェインなんだろうって言ってるんだよ!!」

「……よし、少し黙ろうかー」


容赦のない優しい声の後で、フリードリヒの呻きが重なる。

かなり気になったが、振り返る手間は省いた。


「それで考えたの。アレックスが、武器でもある私を所有していた頃までは、私を手に入れる必要はなかったということになる。であれば、その状態こそがあなた達の目的の為に有用だったのね?」

「雄弁だな。教授かと思えそうだ」

「…………そんな武器もいたの?」


喋るラエドの口元からは、外傷とは違う黒っぽい血が溢れた。


「お前は、作家じゃなかったんだな」


作家。

それは、武器の銘だと即座に理解した。

けれどもその時、ふとそんな言葉に聞き覚えがあったような気がして首を捻る。


「あなた達は最初、私をそういう銘の武器だと思っていたのね?」

「書の世界生まれの武器は、殆どが作家になる。複数の世界に同じ銘の者がいて、代替わりしても銘を引き継ぐ特殊な武器だ」


「…………物語を剥ぎ取る者」


「よくわかったな」


「ずっと昔、私は物語を剥ぎ取られた側だから。あのアレックスの手元から物語を剥ぎ取ることが出来たなんて、理外れのアールしかないわ。だから、書の国で調べたの」

「ん?……ユジィ、それはどういうことだい?」


さすがに聞き流せなかったのか、ラスティアが割り込み、

ユジィは苦痛を声に乗せないように唇を噛んだ。


ユジィがこのリベルフィリアに乗り込んだ経緯を、

城に上がる高位の五柱はアレックスから聞かされている。

ユジィの不運を公開処刑にする悪辣な仕打ちだったが、まさか本人だったとは。

けれどもそのお蔭で、今回は補足が少なくて助かった。


「アレックスは、私の探しているアレックスだったんです。彼が私の知っているアレックスと別人のようだったのは、自分の心を半分、私に渡してしまったから」


(……………あ、だめだ。補足のくせに異様にわかりにくい!)


しかし、そこは代行者。

ラスティアは一つ頷いてみせたので、言いたい内容は理解したらしい。

だが、聞きなれないワードに置き換えられたところで、訝しげに問い返した。


「半分?」


「かつて私を庇護してくれた王様は、私が書の世界に連れ去られるときに、自分の心の中で、私に向けた感情を丸ごと、庇護に置き換えて持たせてくれた。それが、半分。……………だから、その心を失った彼はもう、私にそういう心を抱かない。そのせいで、別人に思えただけでした」


「………ユジィ、それは前に話していた君の願い事の主人のことじゃないか」


ラスティアの優しさは奪われた分だけの親愛なのだろうか。

それでも頷いたときに不憫そうに揺れた眼差しを見て、また欲深い愛おしさを覚える。

先程の余所余所しい睥睨の線の内側に力ずくで滑り込めば、現実に彼は少し優しく、そんなラスティアが好きだ。



「でもその代わりに、私の中には彼のその半分が常にあって、こうして私の理外れのアールの盾になっていてくれる」

「…………そうか、だから君のそのアールは、王のものに酷似しているのか」

「アレックスが、その力は自分のものではないかって言ってくれたからわかったんです」


それと、あのエレノアの言葉で。

痛みがそこへ戻りそうになって、首を振ってラエドとの会話に集中する。


アレックスの下りはどうでもいいだろうと思ったが、

標的としてアレックスを見ていた分、ラエドは今の会話もしっかりと聞いていたようだ。


「あなた達が、私をアレックスの手元に置くことを良しとしていたのは、私が作家だと想定した上でなのね?」


「あんた、俺が話す前提で質問してるな」


血に汚れた歯を剥き出して笑うラエドに、ユジィは胸に貯めていた交換条件を明示する。


「私には、書の国の交渉の手札がある。あなたの物語の続きを教えてあげると言ったら?」


ラエドの顔色が僅かに変わった。


「あなたは抗えないよ。私達は、心を失って自分の願い事を忘れても、それにずっと飢えている。感情のない合理的な武器だからこそ、あなたは私と取引きせざるを得ない」

「武器は武器だ。道具が主人を裏切るとでも?」

「道具だからこそ、主人を仰ぐ意志も簡単に翻るのが武器でしょう?それに、あなたにはもうあまり時間が残っていないから」


じりりっと、落ちた沈黙に蝋の燃える音が響いた。



「…………確かにな。戦力として戻る見込みが立たないなら、どのみち戻っても役立たずだ。契約の縛りが届かないこの隔離された場所でなら、お前と取引きするのも悪くはない」


ふうと息を整え、ユジィは反対側の足に体重を乗せ変える。


(心がないからじゃないわ。本当は、心を捨てなければいけないくらい、心に忠実過ぎて壊れた人間が武器に成るからこそ、私達はこうも容易い)


ただの道具に成り果てた者が、あんな稚拙な囁きで自分の意志を持ってしまう程に。



「あなた達の標的は、最初からアレックスだったのね」

「……ふ、どうしてそう思った?」

「私を武器として生かそうとした上で、私が隣に留まることを良しとしたのなら、アレックスに矛先を向ける以外のどんな目的もないでしょう」


(でもまだ、理由がわからない)


そこの穴にはまだ、気付かれてはいけない。

全てを知っているかのような余裕を持って、どうにか会話を支配しなければ。


「どうして、アレックスの傍に作家を置きたかったの?」

「お前が作家ならば、アグライア公の物語を剥ぎ取れるだろ?」


(……物語を?)


「彼の秘密を覗きたいの?それとも何かの情報を彼から取り戻したいの?」


けれどラエドの返答はそのどちらでもなかった。



「あの男は願い事の王だ」


ふっと、何にも心を動かされていなそうな、怠惰なアレックスを思い出す。

今の彼は、自分の力を積極的に使うような気配がない。



「まさか、記憶があればあるだけ、心が願い事を作るから?」


「俺の主人は、それをこの世界で最も均衡を乱すものだと考えた。願い事を実現する代行者。滅ぼすのは難しいが封じることであれば可能だと。それが可能な唯一の存在が、作家だった。心を維持出来ない程度の間隔で、物語を剥ぎ取ればいい」


微かな痛みに、指先を緩めた。

無意識に血がにじむ程に拳を握り込み過ぎていたらしい。



(……………どうして?)


心は彼のものだ。彼が何を願っても、それがどんなに恐ろしいことでも、彼を空っぽにするなんて許せない。



“ずっと傍にいておくれ”


そう願った孤独な王様はもういない。でも、ここはあの寂しくて優しい王様の顛末だ。


“それは願い事の王冠。強欲で醜悪な、特別に悪しき滅ぼすべきもの”


ずっと昔。そんな記憶の中の誰かの、断罪の声がこだまする。


(それが、どれだけ惨めな荊の王冠なのかも知らないくせに)


“どんなに焦がれても、願った途端に嘘に変わる。願い事の王こそが、願い事を持つことの愚かさを知っている”


ひとりぼっちの王座で、そう自嘲したのは誰だっただろう。

落ちた涙の温度に、知らずに畏れ、知らずに欲する物達への憤りが色濃く滲んだ遠い夜の記憶はもう、文字で辿ることしか出来ないただの記憶。

それでも記録にさえ感情が伴うくらい、あの過去は鋭いのだ。



不愉快さに目眩がしたが、激情を飲み込んで、何とか質問を続けることが出来た。


「…………どうして今だったの?今だってアレックスは、何も望んではいないじゃない」

「誰も、かの王が何の代行者なのか知らなかった。俺の主人は、予言に導かれた先で偶然拾わせた書物から、それを知ってしまったそうだ」

「…………本?」


(それってまさか)


嫌な予感が落ちた。乗り換えの時に行き先を見誤らないように、抱き締めていた本があった。

来訪者になった時には手元になかったので、持ち込めなかったものと気にも留めてなかった。

それには、アレックスがどういうものなのか、丁寧な物語の表記がある。


(私の本にはその記載がない。アレックスについての記載があるとなれば、)


「黒い布張りに、金の箔押しの……」

「リベルフィリアの総王の物語だ」


膝が崩れそうになって、慌てて背後から駆け寄ったラスティアに支えられた。


「やっぱりお前のものか。一部だけしか剥ぎ取れていなかったが、あれは書の国のものだろうと思った。幸い書の国の武器が過去にもいたお陰で、文字というものの解読も容易い」


(私のせいで、アレックスが狙われたの?!)


それと同時に、この事件の黒幕がわかってしまった。


「………リアナフレスカ経由地。あの土地は、シュタイル伯の領地だわ。それに予言なら、エレノアが最高峰のアールを展開出来る」


「シュタイルが?!………そうか、だからか、」


声を荒げたラスティアが、フリードリヒに何かの薬瓶を投げつける。

薄荷のような香りがして、咳き込む音が重なった。


「ラスティア、よくも……」

「そんなことより、君は早く地上に戻って!シュタイルなら得心出来る立ち位置だ」

「馬鹿言わないでよ、演技かもしれないのに、お前達だけをここに残せるものか!」

「じゃあ、ロードに伝令すればいいさ。どうせ個人回線を構築しているよね?」

「これが陽動でも、ロードなら容易く騙されないからね!」


どうやらラスティアには、その名前だけで納得のいく理由があったようだ。

フリードリヒを動かしてくれたことにほっとして顔を上げると、こちらをじっと見つめる青い瞳があった。

その淵には疫病の余波か寿命なのか、暗く明るく、軽い曇りが浮かんでいる。


(私の心の痛みなんて後回しだ。私を信じてくれた彼の、時間は限られているんだから)


心をなくてしても、武器は願い事を決して諦められない。


(だから、…………あまり長くは生きられない)


「ラエドというのは、一族の長を示す言葉なんだね。代々の長は、その名前を継承する」


翳っていたラエドの眼差しに微かな光が揺れた。

ユジィの言葉を呼び水にして、一言ずつ確かめるようにして記憶の蓋を開けているのがよくわかる。

より深く視線を合せる為に膝を折ってその前にかがみこむと、燐光の瞳の鮮やかさに圧倒される。


「長になる儀式で、前の名前は捨てている」

「うん。……でも物語に出てくる名前は別のものだったから、すぐにあなただと思い出せなかった。ラエドという表記も、長という文字に当てた振り仮名の小さな文字だったし」


舌打ちと共に、フリードリヒが後ろで何らかの通信をしているようだ。

だからまだ、猶予はあるだろう。ラスティアは疑問を挟むことなく、この場面の聞き役に徹している。


「私が読んだのは、代行者に一晩で滅ぼされたピエタに住む、仕立屋の物語。その女の子はね、仕入れに出ていたせいで焼き討ちを免れたの。だから彼女は、傭兵の無心をすげなく断った一族を滅ぼす為に、軽薄な代行者が街に火を放つのを見ていた」


ラエドの瞳はもう、ユジィを見てはいない。

遠い記憶の向こう側でもう一度自分の世界を見ているのだろう。


「…………ただの余興の競技だ。その為に精鋭をと依頼された。仕損じれば余興の一環のうちに嬲り殺される。長である俺が応じられる仕事ではないだろうが」


「あなたの矢は、届いたよ」


端的な結末に、その瞳がユジィに焦点を戻した。真っ青な目が、限界まで見開かれる。


「届くことを願いながらも、砦の上から落とされたあなたは、結末を見届けられなかった。だからこそ、無意識に願ったんだよね。世界の乗り換えなんて願ってはいなくても、アールは、言葉に成されない願いまでは汲み取ってくれなかった」


「……………そうだ、……矢が届けば良かった。俺が願ったのはそれだけだ」


老人のようなひび割れた声。


「あなたの矢は、あの代行者に届いた。呪いの錬成矢が胸を貫いて、あの代行者はその傷が元で死んでいる。あなたは、一族の恨みを果たしたの」


「………………そうか、」


したたる血を飲み込んで、彼はもう一度そうかと呟いた。


「俺の願いは、とうに叶っていたのか」


「多分、あなたの願った言葉の何かが、あなたを不本意にも、武器来訪者にしてしまった。世界を乗り換えてしまったから、その結末も届かなかった」


スヴェインの懸念は当たっていた。

アールは言葉の取引。

正しい交渉を出来なければ、破滅の道行きにしかならない。

己の願いが既に叶っているかどうかも知らされないのだ。


(もしかしたら、これは元々武器というものを提供する為だけの罠なのかもしれない)


そういうことであれば、勝ち抜けた者がいない賭けであるということも頷ける。

実際に、ラエドも不当に拘束されていたようなものではないか。

そんなことを考えていたら、馴染みのない響きが耳を打った。



「ははは、…………あいつは死んだのか!そうか!」


爛れた頬を透明な涙が伝って、ラエドは身を震わせて笑いながら泣いていた。


「俺の弟達を、戦士でもない、母や妹達を嬲り殺しにして炎で焼いた、あの代行者は死んだのか!!ああ、そうか!!」


「願い事が叶えば、心が戻るのか」


ぽつりと呟いたのは、フリードリヒだろうか。


「でも、武器であることは取り戻しがきかない」

「そうなのかい?」

「ラスティア、今まで誰も心を残したものはいなかったんです。だから、みんなそうだと思っていた。でも私だって、心があるのに武器だもの」

「そうだ、確かにそうだね」

「ねぇ、ラスティア、アールのお医者さんなんですよね?ラエドの治療をしてあげられませんか?」

「あのねぇ、そいつは侵入者だからね!」

「でもフリードリヒ、アレックスはきっと、射手の武器も欲しがると思うよ?」

「……!!…………でも、そんなことわからないよね?」


いきなり話しかけられて、フリードリヒはたじろいだようだった。

勢いを削がれたことに鳩羽色の瞳に微かな動揺を浮かべて、悔しそうに顔を歪める。


「拘束なんて簡単でしょう?とっておけばいいじゃない」

「だけど、……」

「フリードリヒ、ユジィの言う通り、彼を生け捕りにしたのも王自身だ。それに今優先すべき課題は他にあるだろう。……ユジィ、先に戻りなさい。私も後から追いかけるよ」

「はい!有難うございます」


まだ笑っているラエドに視線を戻した。

ラスティアはなにやら錬成の気配を濃くしている。

項垂れたラエドの口元の痛々しい笑みを見て、ユジィは咄嗟に話しかけていた。


「…………ねぇ、ラエド。私達人間は弱いけど強くて、心があればまた新しい願いを得ることも出来るんだ。……私もね、一度願い事をなくした。でも今は、新しい願いを持っている。何かを望んで動く心は暖かいよ」


答えはなく、ユジィはその顎先から溢れ落ちる涙を見てから、立ち上がった。

何度か囚人とその治癒を始めたラスティアと、地上に戻るユジィを見比べた後、渋々と言った程でユジィの先に出たフリードリヒに続きながら、きつく唇を噛む。


もしここに誰もいなければ、腹立ちに任せて声を上げて暴れたいくらいだ。


(どうしてアレックスを)


身勝手な庇護欲だとしても、彼を損なわせようとする企みに、胸がむかついた。


(どうしてラエドは)


声を殺して泣き笑いしていた彼を見て、胸が潰れそうになった。

彼の欲求を満たしはしても、その心を戻したことには酷い絶望を伴う。

ただの善意ではなくて、取引の材料としてその悲劇を割り開いた自分を、とても醜いと思う。


(同じ武器だからこそ、その尊さだけは守るべきだったのに)


それが一番有効なカードだからというだけではなく、時間そのものを惜しいと思ったから、躊躇せずに利用した。

ユジィ本人ですら罪悪感で吐きそうになるのだから、傍でその取引を見ていたラスティアやフリードリヒからすれば醜悪な限りだろう。

ラエド本人だって、冷静になればユジィの選択の汚さに気付いて軽蔑する筈だ。


スカートの上等な布地をぎゅっと握り込んでも、羞恥心や苦しさを逃すことは出来ない。



(でも、私が引き起こしてしまったことだ。私が踏ん張らなきゃ)



だから、向き合う怖さを必死に殺して、歯を食いしばった。



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