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1.リベルフィリア 1

リベルフィリアの祝祭の国、アグライアの城。


まるで壮麗な学校のようなその部屋では、見上げてもどこまでも終わりの見えない円形の書架に囲まれた薄闇の部屋に、刈り取られた来訪者が十人程座らせられている。

テーブルは飴色よりも濃い蒸留酒の色をしていて、鏡のよう。煙水晶のペンに、灰翅鳥の分厚いノート。与えられた衣類は簡素な形ながらに素晴らしい縫製のワンピースで、とろりとした光沢のある織物の肌触りが素晴らしい。ユジィに与えられた色彩は、暗い灰紫だった。長い髪は複雑な色彩を揃えた飴色で、ゆるやかな巻髪になっている。瞳は琥珀色で、総じて土色の地味な一揃えだ。

でも、ここは天辺の奈落。地獄といっても差し支えのない、残酷な学び舎だ。


「レスタ、白砂糖の詩篇は何章だ?聖詩壇の数え上げも出来ない訳はないよね?」


隣の席のレスタが指名され掠れた息を呑む。

その隣でユジィは震える指先を必死に握り込んでいた。

教壇に立つフリードリヒは、軍服めいた灰色の装いに、オリーブブラウンの髪と鳩羽色の瞳をした実に美しい青年だ。冴え冴えとした色彩を見事に生かした人外者らしい残忍さは、この世界の理を忠実に示してくれる。


「答えられないなら、僕も少し厳しくならなくちゃぁいけない。何しろ石炭はすぐなくなるからね」


喘鳴にも似た呼吸音が届き、レスタが必死に記憶を掘り返しているのがわかる。

隣の席のユジィは、手助けをしたくてこっそり記憶を辿ったが、詩編は青水晶までしか読んでいない。

授業で朗読があったのも、その更に前の黄連翹の章までの筈。

(なんて、………底意地の悪い)

場所が場所なら頑張って異議申し立てをしたいところだけれど、ここはそんなに優しい場所ではなくて。正しい筈の言葉が、この部屋の、ユジィと同じようにして息を殺している他の少女達を殺してしまいかねない。


「君達来訪者は、様々な場所から呼び落とされた嗜好品だ。うん、本来はね。でも、昨今の不作ぶりはどうだろう?嗜好品としての価値どころか、石炭としての価値もままならない無能ぶりだよね」


(四十七問目になる。フリードリヒは、レスタを見逃すつもりなんてないんだわ) 


違法な願いや魔術により呼び落とされるという来訪者という位置付けの人間の大抵は、それに見合うだけの突出した美貌と様々な恩寵を手にしている、言葉通りの嗜好品。

けれども九十年前の大きな災厄の後、願いや術式が世に氾濫するようになると、落とされる来訪者は比較的珍しいものではなくなり、質も揃わなくなったのだという。

その結果が、人外者による悪戯な刈り取りだった。

(かつて庇護を与えていた国家の殆どが弱体化してしまって、人外者達の行いを止めるだけの組織なんて、大陸のこちら側にはもうないんだろうな)


ここは、書の国の暦でいうところの十月半ばから十二月までを司る、リベルフィリアの祝祭の国だ。

人外者の国はそれぞれの季節を司り、ここは、秋の終わりから生誕祭の雪景色までのおとぎ話の色彩と、壊れた悪夢の鋭さを持っている。


ここに集められた来訪者達は、一目で嗜好品としては選出されなかった石炭の予備軍。それ故に、

この部屋の来訪者達の心を蝕む理由は他にもあった。本物の嗜好品ともなれば、高位の人外者の目も惹くことが出来る。安らかな時代と同じように、庇護や寵愛を得てその才を伸ばす者も城内にはいるのだ。


(劣悪な環境におかれているのは、価値を見出されない外れの来訪者)

他国では、魔術の材料や蒐集物として売られる屑来訪者も多いと聞く。隷属を強いられる国や、

そもそもの戦乱で回収もままならない国。でもその手の悲劇と、

この美しい国で石炭として消耗される過程で成される悪夢と、一体どちらが良いのだろう。

(そんなに自分の運を過信していたつもりはないけど、物語の入り口的な、もう少し恵まれた場所に入り込めると思っていたのは確かだった)

ユジィがそう思うのには理由があったけれど、書の国出身の来訪者であることも由縁しているのだろう。あの国にはアールもないが、深刻な危機感は必要ない。残念ながら随分と平和ボケしたところだったのだ。


「石炭は、僕達の燃料代わりだ。アールに不足はないのだから、質に拘りたいんだけどね」

そう口ずさむフリードリヒは、傍目には上機嫌に見えた。


(彼等は一様に美しく、子供のように残酷で、ここはおとぎ話の悪夢のお城)

自分を保護してくれた国を滅ぼされて理解したのは、それだけだった。

書架の中のおとぎ話の主人公が助かるのは特別だからで、この部屋に取り残されているのは脇役の犠牲者達。まさに、胸が悪くなるくらいにおとぎ話の袖の物語だった。運が悪いわけではなく、この世界で最も多くの者達が辿る救いのない配役の一つなので、認識の甘さを自覚したユジィが自分を憐れめる筈もない。


「レスタ、僕は黙り込んでいいとは言ってないよ?」


(どうしよう、このままじゃレスタは石炭にされるどころじゃない!)

どうにかしなくちゃと思ったけれど、助ける手段も力もない。ユジィが恐怖心を押し殺してレスタを庇っても、彼は人外者らしい老獪さで、あえてレスタを罰するだろう。連れて来られた初日にそうなった双子の来訪者を見て以来、誰も彼に歯向かえずにいる。犠牲になったのは、石炭候補とは言え学聖の肩書きを持つ程に聡明な少女達だったのだ。

その後も、庇うという行為すら無能とする為に、フリードリヒは決して標的を入れ替えない。それはすなわち、「なんとかすれば」という希望を砕くには、充分な行為だった。

(知識量も力も、到底太刀打ち出来ない高みに住む特権階級者。

ここで繰り広げられる恐怖や悲劇は、あの人達にとっての愉快な暇潰しなんだ)


この部屋から出るには、石炭になるか、奇跡的に選定された嗜好品の侍女として認められるか、

或いは不用品として遺棄されるかしかない。

その上、石炭にも階位があって、燈や歯車は一年は保つことが出来るが、暖炉や餌場は数日も保たない最底辺とされる。


(レスタ、最善を見付けて。どうか、どうかお願い)

 この城に連れてこられて一月になる。厳しい戒律の元では、時々短い挨拶を交わす相手を持つのがせいぜいで、耳下までの金髪に砂色の瞳をしたレスタとは、言葉を交わしたこともない。

とは言え、決められた席がないこの部屋では、フリードリヒに近い位置を恐れない者、容姿や才能の優れた者から前に座ってゆくのが暗黙の了解だった。

必然的に、ユジィはレスタと最後部寄りの席で何度か隣同士になっている。


(……駄目元でもいいから、声を出してみる?でもそんなことで何かを動かせたとしても、その責任を取れるだけの覚悟がある?……私には、そんな勇気がある?)

こういう時に活路を見出せない資質だからこそ、自分がこの部屋にいるのだと思い知らされる。

凡庸だからこそ、石炭候補なのだ。あの残念な自分の本のタイトルから、

そうなるだろうと覚悟していたとはいえ、こういう場面で石炭だと思い知らされることは堪えた。

(これでも来訪者なのだし、せめて、何か力の欠片でもあれば……)

これでも剥ぎ取るだけの物語を持った過去がある身なのだが、ただの外れ来訪者でしかない今のユジィには、何のきっかけの力も授けられていないようだ。こんな世界にいるのだからと、何度か指先を握り込んで願いを込めてみたが、やはり何の見知らぬアールも動かなかった。魔法は物語のように都合よく生まれないらしい。


「六十八章です」

消え入りそうな声でレスタが答えた。

室内で幾つかの背中が揺れたのは、絶望の匂いに怯えたからだ。

フリードリヒが、にいっと笑う。


「偽りは罪だよ。ましてや君は、そうすることで高位の僕を貶めた」

きつく組んでいたレスタの手が力なく解けて、椅子の脚に当たる鈍い音が響く。

「あはは、今度はお行儀まで忘れてしまったの?悪い子だねぇ、レスタ!」

ガタガタと椅子が軋む音が、抑えきれないくらいに震えるレスタの足元から響いていた。

「あ、あの…………ごめんなさい、フリードリヒ様。わたし、」

「僕の名前を勝手に呼ぶんだ?」

にっこりと微笑んだフリードリヒは、天使のよう。

「グルガウンドを見たことはあるかい?」

手を叩いて突然そんなことを言ったフリードリヒに、何人かの来訪者がぽかんとした。

でもすぐに、察しのいい者達の強張った表情に習い、同じように蒼白な面持ちになる。

「あれは可愛いやつだけど、いささか貪欲でね」

「………………あの、」

「レスタ、こっちにおいで。今度も間違えたら、石炭じゃすまないよ?」

「は、はいっ!」

がたんと椅子を弾いて、フリードリヒの言葉が理解出来ないままのレスタが立ち上がる。

咄嗟にユジィは引きとめようとして片手を伸ばしかけたが、レスタは気付かず、フリードリヒがちらりとこちらに視線を投げる。


彼が優美に手を振れば、アールの陣がきらめき、壇上にふわりと現れたのは、鹿に似た生き物だ。

その横に並んだレスタが、真っ青になったまま片手を持ち上げようとして震えている。

グルガウンドの口元には細やかな牙が幾重にもびっしりと並んでいた。

「ほーら、毛並みはラスカに似ているだろう?こう見えて植物の系譜のものだ。レスタ、触ってごらん?」

「………………はい」

「あれ?僕に逆らってみようと思ってる?」

「いいえ!」

ぎゅっと目を瞑って赤茶けた毛並みに触れたレスタが、ややあって泣き笑いに似た表情を浮かべて目を開いた。

「………………レスタ」

震える声で呼んでしまったユジィの声が聞こえた筈もないのに、ゆるゆるとこちらを見たのは偶然だったのだろうか。



「…………………あ、」

意外な静けさはそこまでで、誰かが、飲み込めなかった悲鳴をこぼした。

ごとりと重たい音がして、煉瓦色の袖ごと少女の腕が落ちる。勢いよく立ち上がりかけたユジィを必死に押し留めたのは、後ろの席の少女だった。ぱっと振り返ると、決してユジィの身を案じたわけではなく、フリードリヒの怒りを恐れているのが一目瞭然で、目を逸らされる。視線を逸らした隙に聞こえてきたのは、ばりばりと咀嚼する音、ひゅうひゅうと掠れた啜り泣きに、溢れた血から立ち上る湯気のむせ返るような香り。大きな悲鳴は一度も上がらなかった。


(レスタ…………!!)

拾われた国が粛清で滅びるのを見たとは言え、これはあまりにも凄惨で、怖くて直視出来ない。


その音を拾わないでくれと必死に自分に言い聞かせていたせいで、

誰かが声を上げて笑っていることに気付いたのはしばらくしてからだった。

フリードリヒが、麗しい乙女のように喉を鳴らして笑っている。


「ああ、そうだ」

呆然と見上げたユジィに気付いたのか、残忍な瞳を光らせて獣のように笑う。

「ユジィ、君はもっとたくさん勉強おしよ。これからは君が、最下位席だからね?」

とびきり上等の悪夢のように微笑まれて、ユジィは息が止まりそうになった。


前半かなりのシリアスな子が、後半は不本意ながらややコメディ要員として頑張ります。

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