表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/27

5.願い事の顛末 2

転移が嫌いなのには理由がある。


乗り換えの道筋で見た、あの薄闇の世界。

きっともうすぐアレックスに会えると、期待に胸を膨らませて落ちていった、あの世界に似ているから。



「…………それと、着地が絶望的に下手だから」


シュタイルの転移は上品で慎重だった。

よろめいて転倒したのは、ユジィの三半規管が元々脆弱だからだ。

視界を奪われて回されると、すぐに方向感覚をなくしてしまう。


「…………落ち葉まみれになっちゃった」


見知らぬ庭の一つ、その大きな木の根元に両手を広げて倒れている。

立ち上がろうとして、木漏れ陽が目に染みて両手で顔を覆った。



(頭の中、滅茶苦茶だ)



スヴェインがアレックスに拘束された。


(突然過ぎて、意味がわからない)


彼は執務を終えたら部屋に戻ると言っていた。

決して一人にならないで、連絡しろって。


(でも、その間に謀反を起こして捕縛された?)


そう考えかけて、ふと違和感を覚えた。

ユジィは反論する余裕もなく、何も確かめられないままここに投げ落とされている。

シュタイル伯は、エレノアの良い守護者だと思うけれど、ユジィにとっては見知らぬ人外者に等しい。

そんな相手の言葉を、善意であっても鵜呑みには出来ないくらい、

ユジィはもう、スヴェインのことを信用している。


(…………自分でなければ、アレックスを呼べって言ったんだ。ヴェインは)


それが、王を裏切る人の言葉だろうか?

誰かの手を借りるのであれば、ラスティアでも良かった筈だ。


(あの時、何かを言おうとしていた?)


様子がおかしいと思ったときに、引き止めて話を聞けば良かった。


視界を彩る紅葉の森は、軽薄な黄色っぽさのない深紅から琥珀色、濃緑のふくよかな色彩で胸の底まで鮮やかな色彩に染める。



「……………っく」


動揺していて、転移の名残でまだ胸がばくばくしている。

怖くて不安で、


だけど、抑え切れずに妙な笑い声が溢れた。

顔の筋肉が痙攣して、目の奥が熱くなる。


(私、何でこんなときに笑っているの?)


顔を覆った両手の指先が熱く濡れる。


(ううん。笑ってるんじゃない、私、泣いているんだ)


叫び出したいくらいに嬉しくて、

けれどその喜びを殺して余りあるくらい、声を上げて泣きたい。



「…………間違えてなんかいなかった」


エレノアの声が静謐に蘇る。


「それを護り、それを愛するもの。それに寄り添い、それを欲するもの」


自分の唇でなぞったら、今度はどうしようもなく泣けて、息が止まりそうになった。


(クリスマスの王様という本の中にも、全く同じ一節がある)


それは、クリスマスの王様が、大切な子供に差し出した彼の半分。



その意味するところなんて、たった一つしかないのに。



「…………嘘つきだ」


ここにはいない人を詰っても、今だけは許される筈。

この世界の誰よりも、ユジィだけが声を大にして彼に投げ付けていい言葉だ。


でも、ふっと息を吐くように深く微笑む姿が、瞼の裏に焼き付いて離れない。

その鮮やかさのあまり、もうどこにも行けない過去が、今でも確かにここにある。



「私の大好きなアレックス」


一番大切な言葉をそっと呟いたら、あまりの狂おしさに胸が潰れそうになった。



(それを護り、それを愛するもの。それに寄り添い、それを欲するもの)



ああ、もういない。



(アレックスが、彼が私の大好きなクリスマスの王様だった)


だから、ユジィを救ってくれたあの人は、もうどこにもいない。



「そういうことか」


今度の声には絶望が滲んで、ひたひたと身の内を冷たい水で浸すよう。


やっぱり、あのクリスマスの王様に記された物語は不穏なものだった。

あの、胸を騒がせた一節に隠されたものの正体が、やっとわかった。


(あなたがかつて私に向けたものは、私に手渡され、もうあなたの中にはない)


あの言葉は、今のアレックスから失われたものの羅列。

だって、剥がれて書になっているということは、当人から失われいているということなのだから。


だから今の彼は、ユジィに嘘を吐くし、ユジィを容易く破滅させようともする。


(私を傷付け、私を愛さない)


寄り添わず、必要ともしない。


「私の、大好きな………」


声は微かな嗚咽に飲み込まれて、その名前は途切れてしまった。



彼は彼ではなくて、彼しかいなかったのに。


(でももう、失ってしまった)


おとぎ話のガラスの靴は砕けて、虹の向こうには行けなくて、赤い薔薇は散ってしまった。

記憶は記録に書き換えられ、悲劇を修復することは出来ない。

やっぱりここは、一度剥ぎ取られてしまった物語の顛末。




暫くして、ユジィはあえて大きな溜息を吐くと、涙が滲んだままの目元をごしごしと強引にこすった。

一度、袖についていたらしい落ち葉で顔をひっかいてしまって、静かに悶絶する。

そんな自損事故の後、


「でも、…………もう一度会えた。心の半分とやらを失くしても健やかそうだった」


言い聞かせるみたいに口に出しながら、胸を傷ませる息を吸う。


「そうだよね。これで充分じゃない」


嘘だ。悲しい。

でも、それだけに塗り潰されてなるものか。

他に大切なものが出来たのだ。

失望だけに心を曇らせてなんかやるものか。


(こんな諦め方も出来るって、私にそう教えてくれたのはアレックスだ)


石炭として付き従い、彼が自分を必要としないという事実と毎日向き合ったあの日々。

あのがらんどうの怖さを乗り切って、穏やかな諦めを受け入れた後の今である。


それに、ただの人間であるユージィンの懐は狭い。他にも大切だと思うものを抱え込んだ今、かつてのように、アレックスだけを慕い愛するのは難しいだろう。


そして、ユジィはもう、あの頃の小さな子供ではないのだから。

大好きだった保護者の手を離れた場所で、大切なものをもう見付けた。

だから、アレックスの為だけに、ここでぐずぐずと悲嘆に暮れたりしない。



(この世界で、あの優しい物語を私の本物の過去として持っていられる。それだけのことでもう、私の願い事を成就させよう)


ほろ苦い歓びだが、時が流れれば変わるものもある。

自分を愛さなくなった彼でも、大切だと思う気持ちまでを失うわけではない。

大切なものがあるという恩恵は、存分に素晴らしく、それだけで充分ではないか。



「そっか、私の願い事はもう終わったんだ…………」



はぁ、と息を吐けば、体から力が抜けた。

久し振りに珍しい感情をたくさん動かしたので、何だか少し疲れたと思ってしまうのは、自分が大雑把な感性の持ち主だからだろうかと考えて、妙に情けない気分になる。



木々のざわめきに耳を澄まし、揺れる葉影に横たわっていてから、ようやく思考を蘇らせた。


「……………ヴェイン、本当謀反なんて起こしたのかな?」


(不調の気配もないアレックスの、半分とやらを返すのはいつでもいいとして、まずはヴェインが拘束されているならそっちだわ)


現実を飲み込めば、思考は冷静に切り替わる。

満願成就の喜びも切なさも息を顰め、

取って代わったのは、身の内のひとを傷付けられた怒りのようなものだった。


(ヴェイン、…………大丈夫だよね?)


拘束が、どういう体で成された処置なのか、

アレックスと彼との間にどれだけの力の差があるのかわからない。

どうもこの状況には違和感があるけれど、人外者は酷く現実的な部分がある。

そこを突く形で、暫定策の起死回生、取り敢えず彼の身の潔白を証明するならば。


(…………本物の裏切り者を見付けなくちゃ)


秘密の多さ以上に多くのことが共有されてしまうこの城だけど、この筋書きを用意した者には、知らないことが幾つもある。


(ラエドの主人はスヴェインじゃない。だって彼は、私に名前よりも多くのものを契約の中で渡してしまっていて、そこには決して私を損なわないという条件も含まれている)


であれば、彼が道具であるラエドを使い、ユジィを傷付けることなんてことは、到底不可能なのだ。

武器は部下ではない。

我欲を反映せず、自立性の高い道具という特性を持つ以上、その行いには主人の命が必須となる。

だから、スヴェインが、それを乗り越えてユジィを傷付けようとすれば、自ら交わした守護契約に引っかかってしまう。


(それに、あの礼拝堂での私とラエドの会話を知っているのは、アレックスしかいない)


「……………む?」


そこまで考えたら、こんなにも理由が成り立たない状態で、スヴェインを拘束したのは、果たして本当にアレックスなのだろうかと疑問に思った。


(私とラエドの会話を聞いて、それでも私が、仕込まれた武器だと思う?)


或いはユジィには疑問をかけていないのだとしても、

あんなことを言っていた人が黒幕を容易く拘束するだろうか?


(今朝の段階で、あんな遊ぶ気満々のことを言っておいて?)


であれば、これはどういう場面なのか。


(ラエドは武器で、私も武器だ。スヴェインを拘束するのが、きっと一番わかりやすい)


そこまで考えてから、酷く頭の痛い事実を思い出してしまった。



「…………そう言えば、私を餌にするって宣言されてたんだ」


どうやら、スヴェイン諸共弄ばれている可能性が出てきたようだ。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ