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4.武器の内訳 3

真夜中の入り口の少し前の時間に、ユジィはスヴェインの手で壮麗な礼拝堂に隔離された。

胸騒ぎのような妙な気配がしたので正直に伝えたところ、隔離空間の一つに避難させられたのだ。

待つのが怖ければ王は放置しますのでと言われたが、少し考えるところがあって首を振る。

大切なひとに職務放棄をさせるわけにもいかない。


そして、きっとこれから起こるだろう事態に、彼を同席させたくもない。


(ごめんね、ヴェイン)


彼が嫌がるのを承知の上で一つの懸念を隠し通したのは、策略というよりも感傷染みた理由だった。

ユジィの立場では挟み込めない個人的な問題で、ラエドに会って知りたいことがあった。


(それに多分、射手の襲撃の目的は、アレックスでもエレノアでもなくて……)


耳鳴りにも似た音がして、空間が歪むのを感じて振り返れば、

薄闇では尾をひくぐらいに鮮やかな青の瞳がこちらを見ていた。


「ラエド」


つい勢いよく立ち上がってしまったが、胸に手を当てて気持ちを落ち着ける。


(…………やっぱり、私が目当てということ?)


やはりそうか。

でも、予測が当たるのであれば、彼の目的は何だろう。

頭を働かせたいけれど、気儘に周囲を歩き回る射手の戦い慣れた気配が、気持ちをざわざわと落ち着かなくさせる。


(でも私は、それでもこの人と話してみたかった)


今はまだ、彼を負かしたいわけではない。

ただ、ふと揺れてしまった心を映した感傷のままに、自分と同じものに会ってみたかったのだ。


(だからこそ冷静にならなきゃ。彼は本物の武器、心の伴わない合理的で冷徹な害意だと理解して)


ユジィの警戒が伝わったのか、ラエドは作り物の表情で愉快そうに笑った。


「人外の居城に礼拝堂とは、妙な嗜好だな。つくづく、あいつらの好みは、わからん」


コツコツと床を踏む音。蝋燭の香りに、香の煙。

黄金と瑠璃と漆黒のモザイクの丸天井からは、幾重にも流星水晶を組み上げたシャンデリアが吊り下がっている。


「童話の城の外観に、このメスキータ。南洋の夜の海を閉じ込めた部屋もあった。ここは、まさに悪夢の美しい城そのものだな。見るたび自分がどこにいるのかわからなくなる」

「心がなくても、詩的になれるの?」

「さぁな、元の素材の名残だろう。弓も矢も、元の樹の性質によって扱い易さが違う」

「私の生まれた国には、ここに良く似た聖堂があったよ」


足音が回り、ユジィの正面でぴたりと止まる。

射手の弓を向けられたユジィは、丸天井の真下に立ったまま少し微笑んだ。


「書の国に?」

「いいえ。知ってる?書の国には、元々の住人は殆どいないんだよ」


 微笑みながら泣いてしまいそうになって、更に唇の端を持ち上げる。


「あの国にいる民は、ありとあらゆる世界から集められ、物語を剥ぎ取られて漂白されて、自分が誰だったのかも忘れてしまうの。逃げ出せた私は、運が良かった」


ラエドの瞳に何某かの計算がよぎる。

期待した彼自身の話は出てこなくて、ユジィは微かな失望を噛み殺した。


(だって、彼の生まれた世界は、きっと私の………)


「…………あんたも、元々は違う世界の出身だった?」

「うん。乗り換えもしてしまったし、帰り道はわからなくなっちゃったけど」


すっと、気安さを欠落させて、ラエドが武器らしい表情になる。


「あんた、本当に武器なのか?」


「どうしてそんなことを訊くの?」

「お前の使うアールは、理外れのものじゃない。武器は通常のアールを持たないからな」


ぞわりと、空気が歪む。

たなびく香の煙が逆回りになり、靴音の音階が変わると、無感情だった彼の口元には獣のような笑みがこぼれた。

目元に感情がない分、形ばかりの異様な笑みは暗い。

流れるような動作で歩み寄り、ユジィの首元に直接、弦を引き絞った矢を押し当てる。

危害を目的とした接触を赦すのは怖かったが、ユジィの特性には接触が不可欠だ。

がくがくと震えて後ずさりそうになる自分を叱咤しつつ、何とかそのままの距離感を保つ。


「残念だったな、ユージィニア。たった今、道繋ぎの力でこの部屋は閉じた。理外れのアールを持たないお前は、いい籠の鳥だ」


濃密な香の香りに、ふぅと息を吐いて肩の力を抜いた。

やはり彼はただの寄り道ではなく、ユジィを標的として仕掛けてきたらしい。


(怪我をしたら、ヴェインが心配する)


アレックスを見る度に叶わなかった願いを思い出して胸が痛んでも、あの後見人がいれば心が暖かくなる。

そんな人だから、心配させるのは本意ではない。


(きっと、私に戦闘経験があることくらいは知っているだろうけれど)


身体能力が低いので威張れることではないが、ユジィは、生来の非戦闘員ではない。

ラエドの最初の襲撃の際に、アレックスの前に立てたのは、あまり治安の良くない国で生まれ育った経験の、本能的な作用だろう。

引き剥がされた物語に記憶を奪われても、体に染みついた反応は残るようだ。

そして、あの現場に居合わせた人外者達ならば、その動作が生活に基づいた経験によるものだと分かった筈だ。

だから、スヴェインはユジィに、戦えるのですかとは訊かない。

書の国に過去を奪われたユジィに、どんな生い立ちだったのかとも尋ねない。

見て判断した上で、微笑んで人外者らしい我儘を通すだけだ。


スヴェインが呑み込む言葉はいつも、途方に暮れるくらいに優しい。



「私は武器だよ」


真正面から覆い被さるようにしたラエドの胸を押し返す仕草で、そこに触れた。


「だからあなたも、用心しないと」


「…………!」



ユジィが触れた指先で引き摺り出したものに、射手の目が釘付けになる。


「理外れのアール!」


(…………変だ)


本気で意外そうということは、彼はユジィを何だと考えて接触を図ったのだろうか。


「…………そう。言ったでしょう?私は武器だって」


今のユジィの手には、ラエドのものと寸分変わらぬ弓がつがえられている。

ただそれは、前に展開した盾と同じように、透明度の高い金水晶で作られたかのようだ。


「それが、あんたの願いか?」

「ラエドは、自分の願い事を覚えている?」

「武器の俺が?」


また、獣のように作り物の顔で笑って、ラエドはその質問を一蹴する。


(この人は、心があればどういう風に話して、どういう風に笑ったんだろう?)


「私は覚えてる。戻りたい場所があって、それに手を伸ばそうとした」


クリスマスの王様に会いたかった。

でも、その瞬間に願ったのはもっと抜き差しのならない、根源的な欲求だったのかもしれない。



“わたしに、アレックスを返して”


あの時、願ってしまったことは。



「私は、…………欲した」

「……そうか、お前の武器は奪うのか」


手の中の弓の握りには、微かな温もりがある。


「多分そういうことなんだと思う」

「力を?…………いや違うな、魂に近しいものだな」


アレックス達に指摘されるまでもなく、ずっと疑問に思っていることが一つあった。

正しい場所に戻ることが本当の願い事ならば、アレックスを失ったユジィに心が残るのはおかしい。

心を繋いだその場面を幾つも並べてみたら、一つだけ共通点があった。


(私の手の中が、空っぽじゃないとき)


ノアがいて、その次はスヴェインが居た。誰かが居ると、ユジィの心は欠け落ちない。



“あなたの声には、俺を奪うだけの充分な力があった”


スヴェインの言葉に、また考えた。

最高位の彼を歪めるだけの力となれば、理外れのアール、それも武器としての根幹たる、願い事に起因する力でなくてはならない。


だから、自分の力は奪うことなのではないかという仮説を立てたのだ。


とは言え、こうしている今は、奪うものをラエドの力に重き置き、声で奪ったというスヴェインの時と何が違うのかはわからない。


「成る程な。奪うその瞬間だけが、理外れのアールなのか」


今回、理外れのアールが継続しているのは、ラエドのものが理外れのアールだから。


「技量はあなたより遥かに劣るけれど、ここにあるのはあなたの魂そのものだから、戦えばそれだけあなたは摩耗する。…………あなた、武器としては長命でしょう?」

「あんたはまだ若いが、そのアール、俺以上に削るだろう?」

「でも、それよりも前に、あなたの耐久年数が切れる」

「俺達は高価稀少、そして短命な武器だ。使える回数には限りがあり、長くても四年程。お前の削り方であれば、あと二年がせいぜいか」


その声に滲んだのは諦観だろうか。


(心をなくしても、それでもあなたも、後悔することはある?)


「私が、武器として稼働するうちにと回収に来たの?」

「なぜそう思う?俺は、秘蔵の来訪者としか言ってなかったが」

「それが変だったから。この城にいる最高峰の嗜好品ならエレノアだけど、あなたはあえて彼女のいない場に現れて、嗜好品ではなくて来訪者という言い方をしたでしょう?」


彼が現れたのは、エレノアの居る場でもなく、

交渉相手のアレックスのところでもなく、そのどちらもがいなかったユジィ達の前だったのだ。


(ヴェインやラスティアとは積極的に関わろうともしなかった。彼が観察していたのは、客観的に見積もれば、私ではないかと思えた)


「いくらあなたが武器でも、大切な手札を、持ち主がそう簡単に明かす必要がない。あれは挨拶である以上に任務そのもので、偵察でもあった」


武器が最も効果的に機能するのは、そのアールが知られていない初動こそである。

暗殺者向きのアールを持つラエドが、わざわざ姿を現してまで得た成果と言えば、ユジィが武器だと確信したぐらいのものだ。


「成りかけなら捕縛は容易いと思ったが、まさかそれで成り立つとはな」


でもそうなると、疑問が一つ残るのだ。


(今、私の理外れのアールを見たラエドは、思惑が外れたという表情をした)


それは、無力で御し易いものではなかったという想定外ではなさそうだ。

刹那の表情の不可解さにまた、彼等の真意を図りかねて迷う。


「それを認めれば、大人しく従うか?今のお前に、武器としての主人はいないだろう」

「私は、ヴェインの石炭だよ」


じりじりと向き合いながら、息を詰めて同じ武器を向い合せる。

弓を引くのは初めてだったが、奪い取った彼の魂ごと、その使い方が妙に手に馴染んだ。


「お前は武器だ。言葉を媒介にするアールでは、その契約は無効だな」



「あの五柱の中の、ううん、ヴェイン以外の誰があなたの主なの?」


その質問に、ラエドの目の色が変わった。


「………あんた、身内に裏切り者がいると思っているのか?」

「私はずっと石炭で、あなたが来るまで、武器としての力を切り出せたことがなかった。私が異端来訪者だということを誰かが知った場面は、とても限られているの」

「ほう」

「それにあなたは、さっき、私の真名を出したわ。その名前も、知っている人は限られている」


(でも、前回は私という武器の偵察だったとして、本当の目的は何なのだろう?)


武器は道具だ。ただの蒐集家なら、手に入れる機会などいくらでもあった。

あのときラエドを使う必要があるだけの理由が、必ずある筈だった。


「あなた達は、私を何に利用しようとして………っ!!」


唐突に放たれた矢を、躱そうとして堅い床に身を投げて転がる。

手放してしまった弓が霧散して消え、淡い金色の陽炎になった。


「今の間で一本か。案外、反射神経はいいらしい」


ラエドの攻撃に反応出来たのは、ユジィ自身も意外だった。

彼は、武器に成る前からの生粋の戦場人。傭兵稼業を生業とする一族の出だった筈だ。

特化させた能力と、一般人に毛が生えた程度の、ただ生き延びる為だけの技量では比べものにならない。


(身体能力そのものにも、武器としての補正がかかってる可能性もあるんだろうか?)


けれど、自在に向きを変え目標を追う矢を躱し切るには至らず、

左手の肘下に一本の矢が突き刺さっている。

脳がその損傷を認識するまでの短い空白の後、唐突に走った耐え難い痛みに、悲鳴すら上げ損ね悶絶する。


「……っ、…………ふっ」


咄嗟に、行動の妨げになる矢を引き抜こうとしたが、びくともしない。


(武器だから大丈夫だと思ってたより、ずっと、ずっと痛い)


体はふらつき、次の攻撃を躱すどころか、隙を探るような余裕もなさそうだ。

そんなユジィの様を冷やかに見極めて、ラエドが満足げに笑う。


「だが、そろそろ………」



「やあ、武器の来訪者か。もう夜も遅い。こんなところまで、不作法だとは思わないのか?」



新たな矢をつがえようとしたラエドがぎくりと固まり、声のした方を瞳の端で振り返る。


「…………アグライア公、この礼拝堂は、空間を閉ざした筈だったんだけどな」


いつの間にか、礼拝堂の中にアレックスが立っている。

人を唆す悪しき神にも、人を慈しまない断罪の天使にも見える美貌が、冴え冴えと際立つ。


「お前達は、私の力の在り方を知らないだろう?」

「もっとも古く最も強大な力を持ち、子供のように遊ぶ。何を代行する者なのかすら知られない、伝承より古い最古の人ならざる者」

「ある程度長く生きていると、多少は得意なことも増える」


アレックスが、すいと片手を持ち上げた。


(………え?)


暗い空間が途方もなくただ広がっている。

けれどそれはただの闇ではなくて、立派な部屋としての形を構築していた。

言うなれば、眩暈がするくらいに広い漆黒の壮麗な部屋。

装飾過多ではないのに、あまりにも美しくて息が止まりそうになる。

それは、目の前の王座に腰掛けた男もだ。

いつの間にか、ユジィは、その隣の椅子に座っていた。あの極彩色の礼拝堂は、もうどこにもない。


紫水晶と同じ色の、しかしその数千倍も鮮やかな瞳が、正面に立つ射手を見ていた。


「そして困ったことに、この城のものは、私のものなのだよ」


ただその声が耳に届くだけで、問答無用でその足元に跪いて許しを請いたくなる衝動を、何とか堪える。思考が静止してしまいそうな存在の力をぎりぎりで受け止めれば、頬を伝う嫌な汗が膝に置いた手にぽたぽたと落ちた。


(魂が、壊れてしまう………………)


何かを喋ろうとしたが、煩そうに顰められた眉に何を言うべきか忘れてしまった。

低く喉を振るわせる笑い声は、ぞっとするくらいの悪意に満ちている。



今すぐあの手に取り縋り、懇願して彼の気鬱を払うべきだ。

その為だったら、何でもする。

あの微笑みを、自分に向けえてくれるのならば、どんなことだって。



ユジィを正気に戻したのは、ラエドが膝をついた重たい音のお蔭だった。


「面白いものは好きだけどね、お前は少々目障りになり過ぎたようだ」

「…………いいのか?俺を壊せば、暇潰しが一つ減るし、主への線も途切れるぞ?」

「構わないさ。また新しいもので楽しむだけだ」


ぞっとするくらいに暗い哄笑。

そのあまりの力に、ユジィは吐きそうになる。

魂を撫でてゆくような力に溢れた美しい声を、朦朧とした意識の中で聞いた。


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