4.武器の内訳 2
それは、一人の哀れな王様の話から始まる物語だった。
願い事を司り、心を枯らした孤独な王。王の副官は、瑠璃色の瞳を持つ美しく酷薄な人外者で、けれども唯一人の理解者でもあり友人だった。
(ヴェインは時々、アレックスと対等とも思える発言をする)
あの本の書き出しを思い出しながら、この二人はまさか友人なのだろうかと訝しんでいると、天使めいた稚い声が思考に割り込んでくる。
「武器のアールってさ、どう錬成するの?」
ロードの微笑みはまさしく天使そのものだ。無垢だからこそ、残酷に見えるのだと思う。
「あの時は必死でしたから。でも、何となく特性が読めるので試してみようとは思います」
「特性ねぇ、それってさ、君の願いを晒しものにする力だよね」
えげつないねと笑うロードに、もっとえげつないのは自分の願い事な気がするユジィは、そっと視線を逸らしつつ神妙に頷く。
(ヴェインとラスティアの症状、それに二人の証言…………)
人間らしい強欲で悪辣な特性が浮上するので、正直この査問会は憂鬱だった。
自分で願ってしまった故の結果とは言え、公の場で口に出したくない能力だ。恥ずかしい。
「僕も見てみたいな、ここでは出来ないの?」
「非常にご不快にする気がします。多分、巻き添えにされると不愉快なものだと思うので」
「じゃあ、スヴェインで試せば?」
天性のものなのか、ロードは階位というものにはあまり頓着しないようだ。
アレックス以外のものはどうでもいいのだろうか。
「…………もう既に、何というか被害を与えていそうなので、これ以上はちょっと」
あまりにも可哀想なので辞退しようとしたが、なぜかスヴェインは目を細めて責めるような目で見てくる。なぜその眼差しなのだ。
「あなたのアール資質は想定済みですが、あれを俺以外の者には不用意に使わないように」
「いや、寧ろヴェインにもこれ以上不愉快な思いをさせないようにするから」
「でもさ、使わないなら君、ただの役立たずだよね?」
「ロード」
静かな声ではあったが、スヴェインのその一言でロードはふいと顔を背ける。
微かな気配の鋭さに目を向けたが、スヴェインの表情は穏やかなまま。
「スヴェイン、お前はユージィニアの資質を何と捉える?」
寛いだ姿勢でふわりと笑ったアレックスに、スヴェインは嫌そうな顔で振り返った。
現在、この部屋にいるのはアレックスとスヴェイン、ロードにユジィだけだ。
エレノアが標的になる可能性が高い為に、シュタイル伯は愛しい嗜好品と共に部屋に篭っている。
ラスティアとフリードリヒは、別の用があるらしく今夜は戻らないとのことだ。
(きっと、ラエドの服装や所作に該当する他の季節の国を調べに行ってるんじゃないかな)
城を出て行くラスティアが盛装だったので、ユジィはそう推測していた。
結界や防壁が無効化されることもあり、防衛という意味では取り立てて誰かが動いている気配もない。
(と言うか、むしろそこは私が役立つべきところなのかも。理外れのアールを防げるのは、同族しかいないのだし。エレノアの為になるなら、頑張る甲斐もあるし!)
アグライアの王都には兵という概念がない。
排他的なアレックスの性質が主な理由だが、そもそも民を持たない都であるし、立ち入りを許されたどの人外者も案外働き者だ。
防衛面の心配もあるが、能力的に一個撃破型の敵しか侵入出来ないので、これでいいのだろう。
(国だと思うから不思議なのであって、犬か何かのテリトリーだと思えばいいのか……)
生来の残忍さも、獣だと思えば気にならない。
こんな美麗な人の姿ではなく、素敵な毛皮の獣として成り立ってくれれば可愛らしいのに。
「俺やあなたと同質のアールでしょうか」
ややあって、あまり言いたくなさそうにスヴェインがその言葉を口にする。
「だろうね。あの盾は、造形でも生成でもない。形として見ればお前のものに近いが、どちらかと言えば私寄りのものだ」
「つまり、そういうことでしょう」
(…………ん?)
どうやら水面下で会話しているらしく、置いてけぼりになった当人は首を傾げる。
(私のアールは多分、…………“奪う”ことに紐づくのよね?)
なのに何故、この二人は争う気配を醸し出すのだろう?
「ヴェイン?」
「不実さを美徳としないなら、俺の力を好きに使って下さい」
「言いたいことは伝わるけど、前置きが飲み込めないよ?」
不実さを全力で責められる悲しげな眼差しに、ユジィは途方に暮れる。
この綺麗な灰色狼の思考回路は、時々おかしな方向へ捻れてしまうのが謎だ。
困惑したまま動かないことに焦れたのか、スヴェインはユジィ手を掴むとそっと自分の胸に当てさせる。
「アールは言葉と望みによって成される。錬成の意思を示すなら、それを意識するといい」
「…………錬成の方法もわからないの。触れた方がいいものなの?」
「ええ。無尽蔵に周囲を誑し込まれるのは避けたいので、こうして限定した方がいい」
「誑し込む?!」
「………ねぇ、それってさ、スヴェインの要求とアールを満たすだけじゃないの?色もまた、君のアールを潤沢に増やす欲求だよね?」
まさかの助け舟になる割り込みをしてくれたのは、ロードだった。
声には呆れが滲んでいたけれど、ユジィはこれ幸いと会話の正常化を図る。
ついでに、長椅子上でのヴェインとの距離も取り直す。あまり近くに座られると体重で傾く分、寄り掛かるしかないのだ。
「イメージを成してみればいいんですよね、」
そう言って意思を指先に乗せたが、アールはぴくりとも動かない。
どこか見下したようなロードの表情に、ユジィは考えを改める。
(この表情って、何て無知なんだろうって顔だよね?ってことは、私はアールの捉え方を知識として間違えている?)
「…………借りたり、頼ったりしてしまう気持ちが先行しちゃうみたいです。もう少し、容赦ない感じかしら、………きっと」
アレックスの視線を横顔に感じながら、間近にあるスヴェインの瞳をじっと見上げる。
どこか酩酊にも似た甘さと、欲求の熱でその美しさを願う。
(今の彼は私に与えて過ぎていて、奪うという行為に現実感が掴めないんだ。だとしたら、支配するような略奪ではなくて単純に手に入れたいと考えてみよう)
じわり、と指先が淡い光を帯びた。
深く考えれば見失いそうだったので、ユジィは咄嗟にその手で何かを掴むようにして振り抜いてみる。
「…………成る程ね」
そう呟いたのはアレックスだった。ユジィの手には、いつの間にか一振りの美麗な長剣が握られていた。背景が透ける程に澄んだ淡い黄金色で、硝子細工のようだが甚大なアールを感じさせる。
どこかで見たことがある造形だと思ったら、かつてスヴェインが愛用していた剣にそっくりだった。
「お前が使うのは、向かい合うものの魂そのものだね」
「…………魂?アールではなくて?」
「我々代行者のアールは魂に紐づくものだ。それ故に、魂を資材として錬成するのだろう。その剣を破壊されればスヴェイン当人も損なう筈だ」
「………!」
思わず手を離してしまったユジィの指先から溢れるように、黄金の剣はきらきらと細かい光の粒子になって霧散する。
「手を離せば戻せるのか」
スヴェインは感慨深げだが、己の魂を引き摺り出されて嫌ではないのだろうか。
「どうなってもいい人のものを積極的に使うことにします」
ユジィは力なく宣言した。
この手の中でスヴェインの命を損なう感覚など味わいたくはない。
「俺たちの魂は人間のものとは違いますからね。余程のことがなければ壊れませんよ?それに資材は優れたものの方が強度も高いのでは?」
「でも、ヴェインを使ったら怖くて戦えないよ」
そこまで口にしてからふと疑問に思った。
「…………あの盾は」
他に奪う余裕などなかった筈なのだが、誰かから引き摺り出したものなのだろうか?
(自己生産も出来たりする?)
「あの盾を造作もなく使えたのは、本能的な拠り所として認識したからだろう」
優美な仕草で前髪を掻き上げて、アレックスが鮮やかに微笑む。
向かい合ったスヴェインが不快感を露わにして眉を顰めた。
「ユジィは存外に移り気だねぇ」
ロードに揶揄されたが、意味するところがやはりわからない。
(いやまさか、アレックスから奪ったわけじゃないだろうし)
本能的なところで、今のアレックスの魂はあの盾のように寄り添わない自信がある。
「私を使うかい?ユージィニア」
だから悪戯にそう言われても、冷めた表情になるだけだ。
「ユージィニア、手にする武器は信頼にあたるものにして下さい」
「副官が主を庇うにせよ、もっとましな表現があるだろうに」
「庇われたいのであれば、彼女に近付かなければいいでしょう」
一応は主なのだろうに、丁寧な物言いで冷ややかにアレックスを切り捨てるスヴェインの姿は、
やはりどこか親密で、遠い記憶の中にいる友人を思った。
(クリスマスの王様に会いたくて、私は何もかも置き去りにしてきたけれど)
一人で生きてきたわけではない。
どれだけ孤独でも、大切な人がいたのも確かだ。
それを天秤にかけ裏切る覚悟でここまできたけれど、
歩みを止めればもう会えないという事実に胸が軋むこともある。
(今頃どうしてるだろう?私のことはまだ覚えてる?)
理を外れた道を繋ぐという同胞を、心の底から羨ましいと思った。