人生の墓場
「俺、就職したら犬を飼おうと思うんだ」
ずるずるとラーメンをすすっていた西島が、不意にそんなことを言いだした。
「……は?」
「犬だよ犬。鳥とか亀も悪くない気はするけど、やっぱり哺乳類がいいよな。ペットというか、相棒って感じがして」
いや、俺の「は?」はどうして犬なんだという意味ではないのだけれど。
何を突然。
「いや、ほら、俺ってこのまま生きていくと彼女も嫁もできないまま孤独死しそうだからさ。せめて犬でも飼って寂しい生活に潤いを持たせようと」
齢二十にして何を言っているのか。いくら何でも将来を絶望視し過ぎだろうと思うのだけれど、西島の中では将来の孤独死は確定事項らしい。
俺は半目のままじゅるじゅると汁をすする。
「……猫じゃダメなのか?」
一応訊いてみる。猫だって哺乳類だ。俺の実家でも猫は飼っている。孤独を紛らわせるためではないけれど…しかし西島は断固として首を振った。
「猫はさ、飼い主を自分より下に見るんだろ? 構ってほしいときしか寄って来ないし、外に出たがるし、爪は研ぐし。その点犬は違うよな。いつでも寄って来て尻尾降ってくれてさ。懐いてくれて、絶対に心離れしたりしないんだぜ? 自分の気持ちに見返りも求めない。クリスマスも誕生日も特別な何かを必要としないし、ずっと一緒にいてくれるんだ。人間なんかよりよっぽどいいよな!」
今度は犬に対して理想を高く求め過ぎている。お前の過去に何があったんだ。しかしこちらが黙って聞いていると止めるところを知らない。
「小型犬の愛らしさも悪くないし、大型犬のおおらかさも捨てがたいけど、ここは間を取って中型犬かな。柴犬とか。でもコーギーもいいな。あの短足と丸っとした感じがいい。ダックスフントとかはな、胴長だからな……」
箸で摘まんだチャーシューを振り回しながら力説する。柴犬は小型犬だ……いやそもそもお前の犬の趣味なんて聞いていない。というかこいつ、女の趣味の話になったときは心底興味なさそうに「別にどうでも……」って感じなのに、どうして犬の話になるとこんなに饒舌なんだ。
「……お前、犬飼ったことあるの?」
「ないよ」
ないのか。
「惜しむらくは下の世話だよな。食費は仕方ないにしても、糞尿の始末が面倒そうだ。教え込んだら水洗トイレでしてくれるようにならないかな。やってみる価値はあるか。なあどう思う?」
「どうでもいいと思う」
「いや、でもひとりで遅くなってから家に帰って、誰もいなかったら寂しいじゃん! ほんとに孤独死しちゃうじゃん! 犬が一匹いるだけでお前、ドア開けたら走って出迎えてくれるんだぞ! いやもしかしたらドア開けたらもうそこに座って待ってるかも! そしたらほら、長い時間ひとりにして御免なあって抱きしめちゃうだろ!」
「知るか」
それこそ嫁に求めるべきなんじゃないのか。根本的に間違っている。それにそもそも、
「ひとり暮らしの男が犬とか猫とか飼い始めたら、それはもう本当にお終いだろ……」
「ああ、くっそ早く就職しよう! 犬の一匹くらい養えるくらいに稼げるところに! 去勢がかわいそうだから犬は雌に……いや雌でも似たようなことはするのか……」
聞いちゃいねェ。
「犬と同棲する計画を立てる前に、ちょっとくらい人間とよろしくやることを考えろよ……少しはないのか? 女の好み」
「うるせェプレイボーイ。この彼女持ちが。リア充めが。ほっといてくれ。――だが強いて言うならそうだな、犬みたいな人だ! 俺が何もしなくても俺に無償の愛をくれる人がいい! 俺が愛しているだけで、行動せずとも信じて愛してくれる人! 俺が俺であるだけで愛してくれる人だ! だが俺は知っている! こんな俺の望みがいかに自分勝手であり、そして現実にはそんな女性は存在しないということを! だからこそ犬なんだよ! ワンコだよ!」
「うるせェ」
酷い言いようだ。こいつ、酔ってんのか。ラーメンしか食ってないのに。確かに俺は彼女持ちだが……
「……あのなあ」
その彼女の友達から、こいつを紹介してくれないかと頼まれているのだけれど……どうしたものかな。その友達が犬みたいな女なのかは知らないが、これはどちらにとっても時間の無駄なのではないか……?
「しかしやはり糞尿と去勢はな……ここはいっそロボットにすれば食費も浮くんじゃないか? いやしかし、ア○ボでは血の通った暖かさというものがないし、俺に向ける愛情はプログラムなのではないかと勘ぐってしまって俺も素直に愛せない……」
「お前に会いたいという人がいる」
これはダメだ。ロボットと同棲することまで視野に入れ始めた西島を、俺は友人として看過するわけにはいかない。帰宅するたびにアイ○に縋り付いて泣き崩れる男の図なんて想像したくもない。
うまくいくかは知ったことじゃないが、せめて一度くらいは真っ当に人間を愛してみせろ。