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独りで生きてはいない

 昼休憩が終わり、龍太が定食屋を出て現場に戻ると、来客があった事を知らされた。


「兄ちゃんのアパート教えちまったぜ」


 現場の親父に言われ、仕方ないかと頭を下げた。

 まさか、また以前のような嫌がらせかと思い一瞬ヒヤリとしたけれど、これもまた仕方がないかと腹を括った。

 作業を終え、自宅へ帰り着き、バイクを駐車場に停める。すっかり外は暗くなっている。

 宮本祐治からは、まだ返事が来ない。きっと向こうも戸惑っているのだろうと、龍太は思う。

 ヘルメットを抱え、階段を上がろうとすると突然、


「高村!」


 と誰かが叫んだ。

 暗闇の中、目を凝らすと、街灯の薄明かりの下に、かつての同僚が佇んでいる。龍太は驚き、思わず後ずさった。


「望月さん」


 龍太の声は上擦っている。

 目の前にいるのは紛れもなく、宅配会社の元同僚であった望月和正(もちづきかずまさ)であった。


「探したんだ」


 龍太はゴクリ、と、生唾を飲み込む。どうしてこんなところまで追って来たのだ、と、頭の中を不安が渦巻き始めた。


「引っ越したんだな」


 望月は人の良さそうな笑顔を作ったが、それは寂しさを併せ持っている。水くさいじゃないか、とでも言っているようだ。


「少し、時間、いいか」


 龍太は恐々頷いた。

 黒いセカンドバッグから望月が取り出したのは、白い封筒だった。龍太は訝しげにそれを見詰める。今更何の用があるというのだ。もう過去とは訣別したというのに。

 ニャアゴ、と、どこかの野良猫が一鳴きした。

 望月は、龍太に一歩ずつ近付き、その封筒を差し出す。


「これ、受け取ってくれないか」


 龍太は中々手を出せない。望月が、更に近付く。

 もう後には引けず、龍太はぶるぶると震える右手を上げた。すると望月は、封筒を押し付けた。

 龍太が恐る恐る中身を覗くと、通帳と印鑑が一つ入っている。


「何ですか、これ」


 忽ち龍太の目が充血した。望月は照れ臭そうに鼻を啜る。


「お前が辞めた後、社員みんなで相談したんだ。あの事故は、高村だけの事じゃない。会社全体の問題だ。俺達は運が良かっただけなんだと思う。責任も感じたけど、あの時は誰も何もしてやれなかった」


 事故の後から、真っ先にフォローしてくれていたのが、この望月だった。最後まで心配して連絡をくれたのも。入社してから兄貴分として面倒を見てくれていた、頼れる人だった。社員の中で一番信頼していた。

 龍太の輝かしい記憶が蘇る。あの仕事が、大好きだったことを思い出す。


「みんなそれぞれ家庭もあるし、思い切った事は出来ないけど、何か力になろうと――三年も掛かったけど、少しずつカンパを募って貯めた。示談金に回してくれないだろうか」


 龍太は目の前がぼやけていることに気が付いた。瞬きをして、それが涙だったと分かる。

 ずっと孤独だと思っていた。しかし、そうでもなかったのかもしれないと感じると、熱いものが胸の奥から噴き上げる。

申し訳なさとありがたさで、龍太は垂れた頭を上げることが出来なかった。

 受け取った封筒を、龍太は丁寧に持ち変え、望月に返した。


「受け取れません」


 声が震えている。

 どれだけ嬉しいか、上手く伝えられない。だが、事故を起こしたのは紛れもなく、自分だ。龍太はその事実をあやふやにしたくはなかった。これを受け取れば、また不甲斐ない猫背の姿に戻ってしまうような気がした。

 望月は暫く堅く唇を結んでいたが、ふにゃりとそれを曲げ、微笑んだ。


「お前らしいな。そう言うと思ったよ」


 龍太は呆気に取られている。そして口をポカンと開けたまま、くすくす笑う望月を見ている。

 暫く笑うと、望月は改めて封筒を龍太に押し付け、目を細めて言った。


「けどな、これは貰ってくれ。本当に、みんなからの心寄せなんだ。受け取ってくれなきゃ、俺、帰れないし。お前のこれからの為に使え」


 手を出せずにいる龍太のズボンのポケットに、望月は封筒を押し込んだ。


「じゃあな。住所分かったし、また手紙でも書くよ。なんかあったら、いつでも連絡くれよな。俺とお前の仲だ。そんな簡単に切れないぞ。本当の弟みたいに思ってんだから」


 それだけ言うと、ヒラヒラと手を振り、背を向け、かつての同僚はその場を立ち去る。


「望月さん!」


 龍太は、涙ながらに叫んだ。

 遠ざかる後ろ姿は一瞬立ち止まったが、またすぐに歩き出す。


「また、いつか、飲みに行きましょう!」


 望月は向こうを向いたまま、手を上げると、暗闇の中に姿を消した。龍太は地面に崩れ落ち、咽び泣いた。アスファルトが涙に濡れ、ポツポツと黒く染まっている。街灯の薄明かりが、やんわりと丸まった背中を照らし続けた。

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