郵便ポスト
高村龍太は、仕事場から程近い郵便局のポストの前に、三十分以上佇んでいる。その手には、〃宮本祐治様〃という宛名が認められ、八十二円分の切手が貼られてある。
腕は鉛のように重く、足は地場に吸い付けられたように動かない。
この手紙を書いてから、もう五ヶ月ほどになる。こうして毎日ポストとにらめっこして、結局敗北し、家路に着く日々だった。あんなに偉そうに梓に報告したのに。臆病者の自分の殻を、なかなか破けないのが、心底情けない。
昨日、梓から電話があった。
『宮本慧くん、容態が急変して危ないそうよ。今前に進まなきゃ、きっと後悔しながら一生過ごさなきゃならないわよ』
背筋に脂汗が流れた。
事故からは二年半経ち、再び殺人者になってしまうのかと思うと、ベランダから飛び降りていっそ楽になろうかと思った。しかし、そんなことをすれば、毎月の示談金が払えず、この世に憎しみしか残らない。冷静になると、世界がやけに静まり返っていた。梓に触れたかった。夜勤で会えないのが、辛かった。
仲間内の誘いを断り、今日もまたポストの前にいる。
職員が怪訝な顔でこちらを見ているのが分かる。今すぐにでも立ち去りたいが、そうはいかない。
いったい何通目だろうか。一目会って、息子さんに直接謝罪したいということ。墓前に参ることを許してほしいということ。申し訳ないという、謝罪。しかし、この一通だけは、どうしても出したいと思って筆を執った。眠りっぱなしの彼に、出来る限りのことをしたい。背中を押してくれる梓にも、心からの笑顔を作ってほしい。
夕焼けが、空をオレンジ色に染めている。あっという間に日が暮れるだろう。
ベッドに寝ているであろう彼の姿が、幼い自分に重なった。
決して、幸せとは言えない中学生時代を過ごしていた。しかし、嬉しいこともあった。旨いものを食えば旨かったし、流行りの音楽は楽しい気分にしてくれた。勉強だって、それなりに頑張った。目も、耳も、鼻も、腕も、脚も、口だって、全て自由で、確かに生きていた。そして今も生きている。自分は、彼のその時間を奪ったのだ。
(俺は、前に進むんだ)
龍太は震える手で封筒を掴み、まるで祐治へ直接飛ばすかのように、思い切って投函し、ポストはそれを深く飲み込んだ。




