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あきらめないで

「慧君は、非常に危険な状態です」


 医師からそう伝えられ、宮本祐治は愕然とした。どうやっても、言葉が出てこない。


「理由は解りませんが、心拍が不安定です。腎臓の働きも弱まっているので、下半身に水が溜まるようです。なので、人工呼吸器を付けさせて貰います。後は投薬で様子を見ましょう」


 くるりと振り返った医師を、哀願する目で見詰めたが、医師は軽く首を振り、見守るしかない、とでも言うように目をしばたいた。

 祐治はふらふらと立ち上がり、廊下へ出た。窓の外の曇天が、更に心を重くする。

 この二年半。待ちに待った。いつか息子が目醒めてくれる日を。その瞬間を。あまりに残酷ではないか。

 妻に申し訳ない気持ちでいっぱいになる。慧だけは、何としてでも、自分の命に変えても守り抜くと誓ったのに――。

 テラスの椅子に座り込み、手帳を開くと、四人で撮った一枚の写真が目に飛び込んだ。

 妻の咲子(さきこ)が生き生きとした笑みを浮かべている。その隣には鈴が無邪気に微笑み、すました慧と肩を組んでいる。その後ろで幸せそうに佇んでいる自分が、酷く羨ましかった。もう、あの日々は決して戻らない。

 ――慧がいつか目を醒ましてくれるのなら。

 そう思えばこそ、恨みや、憎しみを押さえてここまでやって来れた。このやり場のない思いを、いったいどこへ向ければいいのだろうか。

 溜め息を吐く。まるで魂まで吐いてしまったように、その息はどろっとしていた。


(咲子、鈴……。慧が、死んでしまうかもしれない)


 不安が全身を駆け巡る。体がガクガクと震え始める。全て喪ってしまったら、これから何を頼りに生きて行けばいいというのだ。何とか、何とか助けてやれないものか。自分の命と引き換えにしてもいい。身代わりになれるものなら身代わりになりたい。


(頼む、俺を一人にしないでくれ――)


 深い闇が手招いているような気がして、祐治は動けなくなった。一歩でも進むと、たちまち足場が崩れ落ち、飲み込まれてしまうのではないか。慧の息が止まるのではないかと、頭の中を不安と恐怖が支配する。


「宮本さん」


 突然声を掛けられ、祐治は飛び上がった。


「大丈夫ですか?」


 慌てて振り返ると、看護師の入江梓が心配そうにこちらを覗き込んでいる。

 大丈夫です。

 答えようとするが、上手く喋れない。それを察し、梓は小さく、穏やかに微笑んだ。


「宮本さん、まだ、慧くん、生きてるよ」


 その言葉で、祐治は我に返った。目を開いて、梓を見る。


「諦めちゃだめです。まだ息をしてるんだから。彼、とても頑張ってるんです。お父さんが支えてあげなくちゃ、誰が支えてあげるんですか」


 強く、ハッキリと梓の声がテラスに響いた。

 そうだ。俺がこんな不安定でどうする。何に変えたって、慧の命を繋がなければいけないんだ。折角生き残ってくれたのだから。

 祐治は立ち上がり、深々と頭を下げた。そして最愛の息子が闘う病室へと、足を進めた。

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