キャンディー
「食べ物を、恵んでくれないか」
声を振り絞って、ケイは蛙男に懇願してみた。しかし彼は特に気に留める様子もなく、ジャカジャカと下手くそな音色を気持ち良さそうに生み出している。
――仕方がない。ここまでか。
心のどこかで諦めが生じ始めた。それは、深い森で傷付きながら目覚めたあの時からここに辿り着くまでの記憶では、初めて抱く感情だった。しかし、悪い気はしない。その裏には、希望があったのだ。闇を抜け、人の親身な愛情を受けたことによって、ケイの心は温度を取り戻し始めている。
蛙男の騒音が段々と耳障りになってきた頃、掃除婦の老婆がモップを突き付けてきた。朦朧とする意識の中、酷く腹を立てられているのを感じ、老婆をじっと見つめ返すが、言い訳する気力も失われていた。
「食べたきゃ、働くんだね」
酷く性格の悪そうな歪んだ口許は、ハッキリと動いている。
そしてケイを塵の様に掃いた。
「そうだ、いい周旋屋を紹介してやろう。ちょっとそこで待ってな」
思い付いたようにそう言って、大きな尻を降りながら、小柄な老婆はケイの後ろにある怪しげな雑居ビルの様な建物に入っていった。
その様子を見ていた蛙男が、サッと足早にケイに近付き、耳打ちした。
「あんた、危ないぜ、売られちゃうぜ。人身売買だよ、ジンシンバイバイ。毎日何人も消えるんだから、ちゃんと働いてる振りをしなきゃだぜ。でももう遅いな。あの婆さんしつこいんだよ」
ケイの脳裏に、宮殿での日々が嫌な感触となって蘇った。何とか、目で、蛙男に訴える。
「カラスには気を付けるんだ。猫は優しいが、カラスは容赦ないぜ。車に乗せられたら、どこでもいいから飛び降りな。最後まで乗れば、行き着くのは地獄だぜ」
そう言うと、ポケットからキャンディーを取り出し、ケイの口に入れた。
「誰かにこんなとこ見られたら厄介なんだ。俺まで一緒に連れていかれちまうぜ」
ケイは精一杯頭を下げた。キャンディーは甘酸っぱく、とても美味しい。
「ここは、軍隊の街ではないんですか」
小さな声で訊ねると、蛙男は顔を引き吊らせて言い返す。
「表向きは違うけど、世の中から戦争はなくならない。そこら中スパイだらけだぜ。せいぜい気を付けな」
そそくさと持ち場に戻ると、また何事も無かったようにギターを掻き鳴らし始めた。ケイは何となく蛙男を信じられるような気がして、薄れる意識の中、絶対に車から飛び降りるんだと誓った。




