固い握手
「た、大変だ!」
突如玄関の方で叫び声が聞こえ、一斉に振り向く。
「どうした、多市」
駆け込んできた近所の住人に、慌てて鷹久が声を掛ける。
男は息絶え絶えに答えるが、なかなか声にならず金魚の様に口をパクパクさせている。
騒ぎに、幾人かのバラックの住人達が集まってきた。見渡すと、女か子供、後は老人ばかりだ。
「鷹ちゃん、あんた、また召集令状が来たよ。明日朝一番の列車で、行かなきゃなんないよ」
そう言うと、多市はその場にがっくりと倒れ込んだ。
小夏と時雄は顔面蒼白で、カタカタと震えている。
「もう万歳なんて言うもんか。人類はなんて愚かなんだ。どうして戦争は無くならないんだ。百年ぽっちの平和も守れないのかよ、情けねぇ」
そう言って、おいおいと泣き始めてしまった。
その場にいる誰もが、頭を垂れ、脱力している。
「おい、みんな、どうしちまったんだ」
鷹久が大きな声を出した。
「潮が、河向こうに生きてるんだとよ!」
ざわめきが起きる。
「大丈夫だ。ほら見ろ、俺は帰って来ただろう? 何度でも帰って来るよ。地獄の底からでも這い上がって来るぜ。何度でもな。安心しな」
一人一人を元気付けながら、肩を抱き、家に帰るよう促す鷹久の背中は、強く、誰よりも寂しそうだ。
きっと家族で過ごしたいだろうと気を遣い、ケイは表を散歩することにした。
遠くで銃声が響く。猫はどうしているだろう。リーズンが手当てしている、と、櫂婆さんは言っていた。リーズンとは、何者なのだろう。
ふと、紫色の空を見上げ、あっ、と声を上げた。まるでホウキ星の様な白い筋が、光って消えたのだ。
(あれは、何だろう)
今までさして気にならなかったのに、時雄が言っていた事が少し引っ掛かっていた。
そう言えば。
地下で出会った白衣の男にしても、女王蜂にしても、白い光をとても嫌っていた。また、リーズンの欠片に触れる時、その光は眩く溢れ出す。
光が、何かの道標にでもなっているのではないか。
ケイは、リーズンの欠片に再び触れようと、あちこちに手をやってみたが、何も起こらない。
ガサッ
茂みの方から音がして、思わず後ずさる。体が強張り、緊張が走った。
音のした方から目を離さず、そろりそろりと後退して行く。
「驚かせてわりぃな」
聞き覚えのある声がして、ケイは目を凝らした。
よく見ると、枯れ葉のローブを纏った時雄がいる。
「なんだ……」
思わず溜め息が漏れた。
ヒョコッ、と、時雄が姿を現す。
「母さんが泣いてばっかりだから、二人きりにしてやろうと思って」
小僧の癖に気が利くなと、ケイは鼻で笑った。
「ちょっといいか?」
偉そうに言われ、少しムッとする。
「なんだよ」
「なんだよとはなんだよ。命懸けで切符を取ってきてやったのに」
そう言えばそうだ、と、ケイは態度を改めた。
「失礼致しました」
「分かればいいよ」
と、時雄は相変わらず偉そうに返す。
二人は、バラックの集落からあまり離れないように、瓦礫の町を歩いた。
ここには同級生が住んでいた、とか、駄菓子屋があった、と、色々教えてくれたけれど、小さな少年の瞳は、その間ずっと哀しみを含んでいた。
「お前、リーズンを探してるのか?」
時雄が訊ねる。
ケイは、どちらともつかない返事をした。
「やめとけよ」
驚いて、時雄の顔を覗き込む。
「リーズンに会うってことは、恐ろしいんだって、櫂ばあちゃんが言ってた」
彼の表情はとても真剣だ。
「リーズンに会っても、たましいが消えるか、光になるか、思いが叶うのは、ほんの一握りなんだ、って」
(たましいが、消える?)
「だから、ここにいろよ。寂しいじゃないか。父さんもいつ帰って来るか分からないし、女子供だけじゃ、なにかと大変なんだよ。だから」
ケイは、時雄の肩に手をやった。そして首をゆっくりと横に振る。
「行かなきゃ」
それでいい。たとえ魂が消えようとも、白い光の筋になってしまおうとも。僕は行くんだ。
ケイは時雄の気持ちが心底嬉しかった。
「時雄、本当の意味で強い男になりなよ」
粒羅な瞳に涙をいっぱい浮かべ、ポロポロと流す。
地下で出会った、体のない少年を思い出した。
「父さんや母さんと一緒にいられるのは、すごく幸せなことなんだから、今のうちにしっかり甘えとけよ。でも、親孝行もしないとだぞ」
ケイは、ポケットから、花子のお守りを取り出した。
「何かあったら、これが守ってくれる。やるよ」
小さな手のひらに、コロンと転がる。
「もし潮兄さんに会ったら、ケイは、元気にしてたって伝えてくれな」
二人は、銃声が響き渡る町の中、固い握手を交わした。




