銃声
目を開けると、世界が横を向いていた。ボヤけた視界が少しずつ鮮明さを取り戻し始めると、世界ではなく自分が倒れていることに気が付いた。
ゆっくりと体を起こす。着物はぐしゃぐしゃで、砂や葉っぱが沢山着いていた。晩餐会用に誂た薄紅色の生地に、漆黒の秋桜が刺繍してある物だが、見る影もなく薄汚れている。
ケイは、何だか笑えてきた。こんなに呆気なく解放されることになるなんて。まるで幻覚でも見ていたようだ。元はと言えば、すべて猫だ。あいつのせいで……。
撃たれて飛んでいく、猫を思い出す。あいつが嫌いだ。嫌いだけど、何故か憎めない。今頃どこかで傷付いているのではないか。独りぼっちで、蹲っているのではないか。まさか、死んでしまったり……。
ケイはぶるぶると頭を振った。大丈夫。きっと殺しても死なないような奴だ。大丈夫。いつかまたフラリと現れて、僕をどこかへ拐って行くのだ。
ダダダダダ
突如銃声が響き渡る。
ケイは慌てて辺りを見渡した。
すぐそばの丘の方で、武装した者達が、銃撃戦を繰り広げている。
その場にしゃがみこみ、何とか木陰に身を隠す。息を殺し、様子を伺うと、二つのグループが撃ち合いをしている。ある者は倒れ込み、ある者は狙いを定めている。弾が尽きないのかと思うほど激しく、終わりがない。
その時、不意に腕をぐいと引っ張られ、ケイは恐怖に顔が引き吊るのを感じた。
「こんな所で何してる。見付かったら殺されるよ」
見ると小さい男の子が枯れ葉のローブで身を隠し、鋭い眼差しを向けている。
心なしかホッとし、小さな溜め息を付くと少しだけ顔が弛んだ。
「何してる、早く着いて来い」
ここにいても仕方がない。
促されるまま、ケイは後を追った。
藪を抜けると、瓦礫の山に出迎えられた。あちこちに破壊された家や、ひしゃげた電化製品、店の看板だったと思われるもの、折れ曲がった電柱などが散乱している。町は壊滅状態で、明らかに爆撃を受けた後だと分かった。
少年は小走りに、辺りを見回しながら先を急いでいる。
ケイは猫の事が気になった。きっと、自分達は戦闘に巻き込まれてしまったのだ。
やがて町の外れで、少年は立ち止まった。
「ここが俺達の今の家だ。ここなら安全だから、とりあえずここに居なよ」
建ち並んだ粗末なバラック小屋の一つを指差して、少年は言った。
「なんであんなとこにいたか知らないけど、綺麗なべべが台無しじゃないか。繕ってもらってやるよ」
強引にケイの腕を掴むと、小屋の中に引きずり込む。
不揃いな戸板や木材で出来た部屋からは、饐えた臭いや、火事の後のような臭いがしていて、少し気分が悪くなった。
「母さん、お客を連れてきたよ。着物の繕い、一着だよ」
高らかに声を上げると、奥からハーイ、と、若い女の声がした。
少年が身を隠していたローブを脱ぎ捨てると、元々は白かっただろうに茶色く変色したタンクトップシャツと、ボロボロで継ぎだらけの半ズボンが姿を表した。
ケイは訝し気な視線を彼にやったが、気にすることもなくちゃぶ台の上の湯飲みに簡易的な水道から水を注ぐと、盆に乗せて差し出してきた。
「まあまあ、どうぞ、ゆっくりしてよ」
じっくりと小さな顔を除き込む。恐らく、七、八歳だろう。黒く、粒羅な瞳が可愛らしい。頭は丸刈りで、仕草はあどけないけれど、意志の強そうな顔立ちだ。
奥からもんぺ姿の女が現れた。その姿を見た瞬間、ケイは、視線を奪われてしまった。
美しい。色白で睫毛が長く、着飾ったらもっと綺麗なのだろうなと思う。
「おい、母さんに見とれるな」
少年に言われ、我に返る。
女はニコニコしながら彼の頭を撫でた。
「時雄、あなたまた無理矢理に連れ込んだんでしょ」
女に注意されると、ばつの悪そうな顔をして、唇を尖らせケイを指差す。
「こいつから頼んできたのさ。着物を直せって」
ケイは驚いて目を丸くした。とんでもない奴に着いてきてしまったと、後悔がちらつく。
「はいはい。ごめんなさいね、うちの子が。お代はいらないから、着物繕ってあげましょうね。時雄、着替えを持ってきてあげなさい。兄さんの、少し大きいかも知れないけれど、着れるでしょう」
ちぇっ、と言いながら、タンスを開けに立ち上がる。
ケイはなんだか気恥ずかしくて、いつの間にか顔が真っ赤になっていた。




