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揺れる思い

 「ごめんな、こんなとこぐらいしか連れてこれなくて」


 高村は苦笑いをしながら、目の前の小箱から割り箸を取り出し、割った。

 白い湯気が上がり、食欲をそそる。

 梓は首を横に振り、両手を合わせて見せた。


「ラーメン大好きだよ。いただきます」


 麺を啜ると、醤油のいい匂いが鼻から抜けて仄かに空腹が満たされた。

 店内は仕事帰りのサラリーマンや、土木関係の男性で賑わっている。ちらほら家族連れもいる。店員の賑やかな声と、ガヤガヤした喧騒がさほど広くない建物を満たしている。


「龍太くん、のびるよ」


 なかなか箸を付けようとしない高村を、梓は急かした。

 今日は、何だか様子がおかしい。

 事故から二年。再開した頃は特に塞ぎ込んでいたけれど、最近は前向きな顔になってきた様な気がしていたのに。

 高村は重い鉛の箸を動かすかのように、右手を持ち上げ、無表情で豚骨ラーメンを平らげた。


 秋ももう終わりに近い。夜風に冷やされながら二人は暫く歩いた。


「ねぇ、今度動物園行かない?ほら、中学生の頃約束したのに、結局果たせなかったよね。行きたかったな。電車乗り継いでさ、あそこならそんなに遠くないし」


 突然、高村が歩みを止めた。梓も釣られて立ち止まる。


「入江」


 何、と返そうとするが、言葉が出てこない。


「お前、後悔してないか」


 梓は驚き、目を見開く。


「なんで?なんでそう思うの? 」


 高村は梓から視線を外したまま続ける。


「俺達、もうそんなに若くないし、俺も、いつになったら前に進めるか分からないし、このままじゃ、入江のこと、幸せにしてやれるか分からない」


 ガタンゴトン、と、電車が走り抜けて行った。それほど長くないはずの間が、とんでもない時間に思えた。

 梓の目から、涙が溢れ落ちる。高村はゆっくりと梓に向き直った。


「私、支えになれてない? 」


いいや、と高村が言う。


「じゃあ、どうしてそんなこと言うの?」


 冷たい風が、頬を強張らせる。涙が体温を奪うようにさらわれていった。


「入江だけの人生じゃない。両親や、兄弟もいる。……俺みたいな天涯孤独の前科者と一緒にいること、反対されてるんじゃないかと思って」


 高村の目はとても寂しげで、梓は言葉を飲み込んだ。

 確かに、松森篤との婚約を破棄したことを伝えると、両親は驚いた。しかし、高村のことはきちんと話してある。反対はされなかった。だからといって両手放しで賛成してくれているわけではないことも、事実だ。――けれど、私は決めたのだ。龍太と歩いていくと。


「私がだよ」


え?と小さく聞き返す高村を遮って、梓は胸に飛び込んだ。


「私が龍太くんといたいんだよ。何年探したと思ってるの。どれだけ会いたかったと思ってるの。馬鹿にしないでよ。あなたが大好きなんだよ」


 梓は高村にしがみついた。その細い体を、逞しい腕でそっと抱き締める。

 壊れてしまわないか、いつだって不安だった。こんな自分の人生にずるずると付き合わせて、彼女を駄目にしてしまうんではないかと、罪悪感と隣り合わせだった。


「いいの? こんな俺で」


「良くなかったら、とっくにいなくなってる。だから、もうそんなふうに思わないで」


 ありがとう、と言った声は掠れて、声にならなかった。


「いつか必ず、立ち直るから。それまで待って。必ず、あの病室に謝りに行くから」


 うん、うん、と、梓は何度も頷いた。


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