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地獄の正体

 気が付くと、鉄扉が開いていた。ケイはふらつく全身を何とか持ちこたえさせ、真っ直ぐ立つように努力した。

 鈍い頭痛が襲ってくる。リーズンの欠片に、また触れたようだ。余りに久し振りで、一瞬何が起こったのか分からなかったけれど、衝撃は確実にケイの体の奥に何か熱いものを注ぎ込んだようだった。

 扉の奥は更に暗黒で、僅かに焦げ臭く、消毒液のような更に臭いがきつくなっている。見えない無数の手がケイを招く。

拳にぐっと力を込め、一歩、また一歩と進み入れた。

 体が全て扉の中へ入ると、突然バタン、と大きな音を立てて鉄扉が閉まり、がチャリ、と施錠された。ケイはまたしても暗闇に取り残された。激しい吐き気が襲ってくる。

 パチッ、と、スイッチが入る音がすると、チカチカと二、三回点滅して蛍光灯が点いた。目の前に手術台が姿を現し、部屋の壁一面には木の棚が備えられつけていて、ホルマリン液で満たされた瓶の数々がびっしりと並べられている。隅の方には、箱庭の様な物が幾つか並べられている。

 誰も居ないようだ。さっきの叫び声は何だったのだろう。どこから聞こえてきたのだろう。ケイは首を傾げながら、辺りを観察した。

 箱庭の一つに近付く。そっと中身を覗くと、都市のジオラマになっている。もう一つを覗く。森林の中に、街が点在している。もう一つは、瓦礫の山々が敷き詰められていて、壊れているようだ。どうしてこんなものが……。そう思った瞬間、がチャリ、と棚の間にあるアルミのドアが開いた。



「君か。迷い込んだ子ネズミの正体は」


 中から出てきたのは、能面を被った男だった。白衣の下から、茶色い毛が覗いていてまるで獣のようで、体はケイよりも大きい。男は慌てて肘まであるゴム手袋を嵌めた。すると見間違いかと思うほどツルツルした人間の腕のように変わった。


「我が研究室に何の用だね」


 ケイは男に向かってはっきりと言った。


「初春兄を返して下さい」


 男は能面の下でニヤリと笑い、手術台へと近付く。


「何のために?」


 不気味なしゃがれ声で返事が帰って来る。ケイは拳を強く握り締めながら答えた。


「約束したから」


 しばらく間を置いて、くっくっく、と笑い声が漏れてくる。男は手術台に両手をバン、と着き、能面の奥からケイを見詰めた。


「彼は、母親と密通したんだよ?気持ちが悪いと思わんかね」

 

 わざと作られたような静寂が部屋を取り囲む。ケイは唾を飲み込んだ。


「サルビアにバレてそれも懲りずに、外で何度も密会を重ね、挙げ句の果て、貫通の最中に蜂に取り押さえされたのだから、たまったもんじゃない。彼は異常なのだよ。排除されるべき種類の生き物である」


 男は薬品の入ったフラスコを手に取り、妖しく揺らしながら続けた。


「どうせ回りから意味嫌われ、いらない奴らなのだから、クズのまま生きるよりかは、改造されて実験の役に立った方がまだマシなのだ。ほら、見たまえ。君の回りにある部品の数々を。目、鼻、腕、内臓に至るまで、展示されていない器官は何一つない。このお陰で人体の仕組みが手に取るように分かるよのだ。病気の女から取り出した胎児も漬けてある。なかなか手に入らない代物である。素晴らしいコレクションだとは思わんかね」


 ケイは身の毛がよだつ思いがした。恐ろしくて脚が勝手に震え始める。


「それから、こっちでは実験が行われている。こびと達が沢山。」


 男が一つの箱庭を指差し、ゴロゴロとキャスター付きの台をケイのそばに動かした。


「まずこちらをご覧頂こう。今からとんでもなくエクセレントな爆発が起こるから、よく見ておくんだ」


 ケイは恐る恐る、ケースの中を覗き込んだ。

 箱庭には一つの都市が存在していて、その都市には実際、小さな人間達が生活していた。働く男性、乳飲み子を抱えた女性、学生、老人、幼い子供。それぞれの営みが行われているようだ。時間帯は昼間のようで、穏やかな、しかしジリジリと暑い日射しは夏を感じさせた。

 頭の奥の方が、ズキン、と痛んだ。

(僕は、この景色を知っている)

 ケイは、はっきりとそう感じた。突然男は戦闘機の様なものを取り出すと指で摘まみ、パチン、と反対の手でスナップを鳴らし、言った。


「イッツ、ショウタイム」

 

 その瞬間、ジオラマの上に戦闘機が放たれ、ビュンとその上空を飛行し始めた。箱庭の中心に来ると停滞し、小さな塊が機体から投下された。数秒後、それは眩い閃光を放ち、ドオン、と巨大な音を立てて爆発した。機体はいつしか男の手の中に収まり、爆発の上にはキノコ雲が上がっている。地上は火の海で、人々の呻き声、叫び声、泣き声などが聞こえてくる。

 ケイはあまりの恐ろしさに体の震えを押さえることが出来なかった。全身の血が逆流しそうで、酷く気分も悪い。

次第に雲が晴れ、箱庭の中身が明らかになってくると、地獄絵図が姿を現した。

 爆弾が落ちた辺りは黒焦げで、建物は何一つ残っていない。勿論、人間も黒焦げだった。生き残っていても大火傷を追って、皮膚が腫れ上がり、剥がれたものが垂れ下がって肉は剥き出しになっている。まるで生ける屍のようだ。いったい箱庭の温度は何千度くらいになったのだろうかと思うほど、部屋全体に熱気が充満している。そして相変わらず泣き声や呻き声は絶えない。

ケイは酸っぱいものが込み上げてくるのを我慢できず、その場に嘔吐した。男はせせら笑った。


「素晴らしい実験だった。私はデータをまとめ、報告書を書かねばならない。あぁ、先程の叫び声は、こちらのジオラマのからだよ。もうただの瓦礫の山と化しているが、二つの勢力の銃撃戦が行われていたのだ。どちらも全滅したがね。全く、争いからは何も産まれないというのに、いつまでこんなことを繰り返すのやら……」


 男はデスクに腰を下ろし、紙を並べてサラサラと字を書き始めた。


「まぁそのお陰で、私は満足に実験が出来るわけだ。素晴らしい。いつまでも続くといい」


「今すぐやめるんだ!」


 ケイは、腹の底から怒鳴り声を上げた。


「さもなくば、この研究室を破壊してやる!」


 手当たり次第にビーカーやフラスコを床に投げ付けるケイを男は狼狽えながら止めに入る。


「しょ、少年よ、話せば分かる、ど、どうかそれだけは止めておくれ」


 男を睨み付ける。じりじりと近寄り、手術台の横にあったメスを取り、突き付けた。


「こんなことをして、何が楽しいんだ。ただの弱いものいじめじゃないか」


 能面の奥の瞳が怯えている。


「生き残っている全ての命あるものを解放しろ」


 突然男が渾身の力を振り絞り、ケイからメスを奪い取り、床に投げ捨てた。カラン、という、高く乾いた音が響く。


「旦那、それは出来ませんぜ。この世界には、なるべくしてなっている、出来上がったループがあるんでさ。旦那も見て来なさったでしょ、どうしようもない物事の数々を。誰も逃げられない。味わうしかないんでさ、苦痛というものを、ヒ、ヒヒ」


 ニヤリとしているであろう口許が想像できた。思いの外男の力は強く、捩じ伏せられそうになる。


「初春兄をどこへやった」


 歯を食い縛りながら負けまいと全身に力を込める。男は再びニヤリとして答えた。

 「捜しても無駄だ。晩餐会まで待つんだな。奴はサルビアへの絶好の贈呈物なのだ。そう簡単に返すわけにはいかないな」


 ケイはハッとした。晩餐会まで待てと言った犂月の言葉を思い出す。


「さあ、どの様に料理しようか。ペストに感染させてみるか、それとも凍傷か……毒ガス室に入れるか、足枷を付けて永遠にこきつかってやるのもいい」


 脂汗が背中を流れていく。ケイは袂に仕舞っておいたペンダントの事を思い出し、咄嗟に身を翻してそれを取り出した。花子がきっと守ってくれるはずだと、強く感じた。

何故か男はたじろいだ。一瞬の沈黙が生まれる。


「……どこへ行ったかと思ったら、こんなところにあったのか……」


 低い、絞り出した様な声で呟いた。ケイはペンダントを握り締め、男に向かって突き出した。


「た、頼む、それだけはやめてくれ」


 後ずさる男に、少しずつにじり寄り、震える唇をコントロールしながらケイは強く訊ねる。


「お前はいったい誰なんだ」


 それは、一目見た時からの疑問だった。この男の能面の下の顔を知っていると確信があった。けれどそれが何者で、どこで出会ったのかは全く思い出せない。


「お前が、全ての元凶なんだな」


 あの可哀想な双子も、猿も、花子もヤモリも、宮殿で働かされる男たちも、蜂でさえ、囚われ

 変形させられたもの全部この男の手によるものかと思うと、(はらわた)が煮えくり返る。ケイは更に詰め寄り、ペンダントからじわじわ漏れ始めた白い光を男に向かって(かざ)そうとした。


「ちょ、ちょっと待ってくれ。お願いだ、話を聞いてくれ。少年よ、私は悪くないのだ。私は研究しているだけだから。悪いのは私を雇うものたちであり、利用するものたちなのだよ。いいかい、最先端の医療はいつだって実験から生まれる。生体解剖から構造や機能は明らかになり、その恩恵で医学は飛躍的に発達し助からない病さえ助かるようになったのだ。だから私は何一つ悪くはない」


「そんなものより、大切なものがあるはずだ!」


「分かった、返す、初春は晩餐会までに必ず返すから、改造せずに。だ、だからやめてくれ。な。白い光は浴びせないでくれ。頼む」


「だったら、いますぐ兄者を出すんだ」

 

 男は、わかった、と言うとそろりそろりとケイから遠ざかり、さっき出てきたドアに手を掛けガチャリと開けた。中からズルッ、ズルッ、と何かを引き摺る音が聞こえる。少しするとボロきれの様になった初春が姿を現した。疲れきっていて体中痣(あざ)だらけだ。蜂にかなり遣られたのだろうと想像すると、血の気が引いた。


「これから健康に回復させて、実験に役立てるつもりだったが……仕方がない。さぁ、煮るなり焼くなり、好きにするのだね。但し、上には戻れんよ。そんなことをしたら、君までこのゴミ箱から出られなくなる」


 男はそう言うと、初春を床に放り投げ、ドアの向こう側へ姿を消した。

 ホッとした後、ケイは涙ぐんで初春へと駆け寄った。


「初春兄、さあ、逃げよう」


 腕を持ち上げ肩に掛けようとした瞬間、小さな声が耳に届く。――放っておいてくれ。

確かにそう聞こえたので、え?と訊き返すと、今度ははっきりとした言葉が響いた。


「俺のことなんか、放っておいてくれよ」


 初春はケイを睨んでいた。体はだらんとしているのに、その瞳はとても力強い。


「兄者、どうして……」


 返事はない。明らかに助けられることを拒んでいる。しかしケイはしっかりと初春の体を引き上げ、支えながら鉄扉を目指す。

ギイ、と扉が自ら開いた。能面の男の低い声が響き渡る。


「さぁ、帰るがいい。どうせ先には地獄しかないのだ。行くがいい。宮殿の向こう側の世界へ。人間がいかに愚かな生き物か、その目で見て味わうのだ」


 男のほくそ笑む顔が、ありありと想像できた。


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