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もう夏が来た

「おはようございます。宮本さん」


 今朝も早くから宮本は病室にいた。

 花瓶には、向日葵が生けられている。


「もう夏ですね」


 梓は目を細めた。

 病院の中は空調でいつも気温が保たれているから、入院生活の長い患者が季節の移ろいを感じるのことができるのは窓から見る外の景色ぐらいで、こうして飾られた花は重宝される。

 きっと、喜んでいるはずだ。

 いつものように血圧を計り、検温を済ませると、梓は会釈して病院を出ようとした。


「看護師さん」


 ふいに呼び止められ、振り向く。


「僕ね、ある人に言われたんです。無いことを嘆くよりも、有ることを喜べ、って」


 梓は、宮本の方に向き直った。


「そう、思ってみようと思って……」


 外は、ジリジリと日射しが照り付けている。


「とても素晴らしいことだと思います」


 ニッコリと微笑もうとした。でも、上手く行かなかった。それは素晴らしいけれど、難しいことでもある。簡単な作業ではないと思う。


「今まで、悔やんだり、恨んだり、下を向いてばかりだったんです。実は、仕事を再開しようと思っています。そうしたらここにはべったり居てやれないけど、きっと、みんなが前向きになれるきっかけが見つかると思う。――僕がいない時間は、よろしくお願いします」


 宮本は、深く頭を下げた。



 ナースステーションへ向かおうと、フロアを移動する。途中出会う患者達に会釈をする。どことなく暗い顔をしている者が多い。治る見込みがある者ばかりではない。家族が来ないような患者もいる。気の毒だと思うが、自分には看護師として精一杯尽くすことしか出来ない。

 あの時、この選択をして、良かったと思う。結婚して人並みに幸せに生活するのは、悪くない。きっと、安定は心地好さをくれた筈だ。でも、私はそれで満たされていたか。生き甲斐を感じられたか。考えてみると、それは難しかったのではないかと思う。後悔はない。

 

 ナースステーションへ向かう途中の角にテラスがある。窓から光が射し込んで、昼間はとても暖かくなる場所だ。

 今日は空が青い。ふと自動ドアの外に目をやると、制服姿の女の子が佇んでいるのが見えた。

 梓は歩みを止めた。

 初めて見る顔だった。誰の面会に来たのだろう。

 恐らく中学生ぐらいの、可愛らしい顔立ちをしている子だ。

 少女を観察していると、ふいに彼女がこちらを見た。梓に気が付いたようで、軽く頭を下げた。

 梓も会釈を返し、再び歩き始めた。

――もしかして。

 頭の中を、予感が走り抜ける。

 振り向くともう少女は姿を消していた。

 気のせいか……。何故だか、彼女は、302号室に関係がありそうな気がしたのだ。この仕事をしていると、妙にそんな勘が働くことがある。

 梓は軽く息を吐き出すと、仕事に戻ることにした。


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