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ラブホテル

 高村はベッドに座り込み、頭を抱えている。

 いくら勢いとはいえ、ここに来るしか選択肢はなかったのかと自分を責めている。

 彼女が風呂から上がったら、自分は本能を抑えられるだろうか。理性なんてぶっ飛んでしまいそうなシチュエーションだ。しかし、抑えなければ。やはり彼女を巻き込むわけにはいかない。


 どしゃ降りの雨の中。抱き締めた身体はとても温かかった。風邪を引くといけないからと近くのラブホテルに入った。服を乾かして風呂に入ったら、直ぐに出ようと思っていた。しかし、いい大人が二人して、そんなに呆気なく別れられるものだろうか。しかも、自分達には長い空白があり、やっと巡り会えた想い人なのだ。はい、さようならと言う訳にはいきそうもない。


 悶々としているうちに、風呂場のドアが開いてしまった。

 高村は思わず目を逸らす。


「お先。ごめんね」


と彼女が言った。

 いや、と呟いて立ち上がり、入れ替わりに中へ入る。

すれ違い様に目に入ってきたメイクを落とした彼女の顔は、当時とあまり変わらなかった。懐かしい疼きが蘇る。

 高村は熱いシャワーで全身を流した。


 二人は浴衣に身を包み、離れて座っている。この距離感は、まるで中学生だ。そして、人生で初めてラブホテルに入った日のようだ。

 どうしていいか分からず、高村はリモコンのスイッチを入れ、テレビを点けた。いきなりアダルトビデオが流れ、慌ててチャンネルを変える。


「あ」


 梓が言った。


「え?」


 高村は手を止めた。


「タイタニック」


 画面を暫く見てみると、レオナルド・ディカプリオ主演の映画「タイタニック」が流れていることに気が付いた。


「これさぁ、二人で観に行ったの覚えてる?」


 記憶の欠片が蘇る。確か、あれは初めてのデートだった。自転車を二人乗りし、二駅先の映画館へ行った。隣のシートに座り、並んでタイタニックを観た。感動して、毎晩の電話はその話題で持ち切りだった。


「覚えてるよ」


 高村は画面に目を向けたまま頷いた。


「ラストシーンで泣いたんだよね、私。あんな恋に憧れたな」


 梓はそっと目を閉じた。


「あの頃が一番幸せだったよ、俺」


 現実は余りに残酷だ。一瞬にして悪夢は蘇る。駄目だ。幸せになんて浸っている場合じゃない。梓を巻き込む訳にはいかないんだ。


「そろそろ出ようか。フロントに言って服を持ってきて貰おう」


 高村は立ち上がり、ピンク色のベッドの枕元にある受話器に手を伸ばそうとした。


「待って、吉井くん」


 ピクリと身体が反応する。

「そんなのずるいよ」


 梓の言葉に、手を引っ込めた。


「ここまで来て、逃げるの?」


 高村は頭を掻きながら、ベッドに腰を下ろした。

 これは、〃逃げ〃なのか――?


「私、何も隠さない。だから吉井くんも、隠さないで。私はここにいるよ。自分なりに覚悟して、あなたの隣にこんな情けない格好でいる。何があっても逃げない」


 たまらなくなって、高村は頭を抱えた。重い沈黙が時を支配する。何も言えず、ジレンマに捕らわれる。叫び出したい気分だ。本当は今すぐにでも抱き締めたいのに。

 もう一年早く再会出来ていたら。人を轢き殺す前に、君とここにいられたら。運命は大きく違っていただろうに。

 劇中では、沈み行くタイタニック号で、ジャックがローズを救命ボートに乗せている。しかしその直後、ローズは船に飛び乗りジャックの元に戻る。

 自分なら、どうするだろう。やはり同じ様に女をボートに乗せると思う。彼女は、どうだろう。やはり船に舞い戻るだろうか――。

 高村は梓の顔を見た。唇は固く結ばれ、強い意思を感じる。真っ直ぐな瞳は、濁りなくこちらを見詰めている。


“自分なりに覚悟して、あなたの隣にこんな情けない格好でいる”


 こんな台詞を女に言わせてしまうなんて、俺はどれだけ不甲斐ない男なのだ。


「吉井くん」 


 泣きそうな声で梓が呼ぶ。

 高村は堪えきれず、梓を抱き締めた。二人の体温が混ざり合っていく。


「ごめん。今日は、これぐらいしか出来ない……」


 梓は首を横に振った。今は、これでいい。そう言ってくれたように感じた。


 二人はベッドで蹲っている。高村の腕枕の中に梓はすっぽりと収まっている。呼吸を近くに感じる。

 高村は、梓の髪を撫で続けていた。艶があり、健康的な黒い色をしている。


「ねぇ、吉井くん」


 高村は手を止めた。


「吉井じゃないんだ、今」


 梓が目を丸くする。


「うちの両親、中学の頃立て続けに死んだろ? あれから親戚に引き取られて、一応形の上で養子になったから、今は吉井龍太じゃなくて高村龍太。ごめん。違和感あるだろうな」


 梓には、一方的に別れを告げて転校した。今思えば残酷だった。幼い自分にはそれしか選択肢がないように思えていたから、他の手立てなんて考え付かなかったし、気持ちはどん底へ堕ちていて、どうしようもなかった。


 この年にるまで色んな女の子と付き合ったけれど、いつだって梓は特別だった。どうして自分から手を放してしまったんだろう。


「ごめんな、入江」


「もう、謝り過ぎだって」


 梓が笑った。


「じゃあ吉井くんでは変だね。……龍太くんにしようか。あの頃は照れ臭くて名前でなんて呼べなかったけど」


 肉体労働で少し逞しさを増した腕で梓を強く抱き締めた。話してしまえば、楽になるだろうか。今度は梓が去って行くかもしれない。けれど、嘘を吐いくのはもっと辛い。


 高村は小さく決心をした。


「あのさ、入江。聞いてくれるかな」


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