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筆下ろし

 来る日も来る日も、ケイは翼里の御守りをした。毎晩男女の交わりを見聞きしているうちに、感覚が麻痺してきたのか、平然としていられるようになった。説明のつかない欲望も押さえられるようになってきた。

 初春はあれ以来、ケイを憐れむことが無くなり、とても厳しい。その分翼里や犂月が情けを掛けてくれるが、辛かった。




「お前の筆下ろしの相手が決まったよ」


 ある日女王蜂のサルビアに呼び出され、久しぶりに王室へ入った。忌々しい記憶が蘇る。猫は、やはり一度もケイに接触して来ない。


「いいかい。お前は今日から、一人前になるんだ。体だけじゃ駄目だよ。精神まで満足させるのさ。翼里のを見て、手練手管はしっかり身に着いてるよねぇ。楽しみだよ」


 女王蜂はなめ回すようにケイを眺めている。冗談じゃない。どうして、こんなことーー。

 ケイが唇を噛み締めていると、女王蜂が言った。


「逃げ出そうなんて考えるんじゃないよ」


 女王蜂の刺すような視線が、身体から自由を奪った。


「鐘までは自由だから、犂月から手解きを受けておくといい。初春は何やら機嫌を損ねているみたいだからね。分かったら、お行き」


 結局何も言い返せないまま、蜂に引きずり出された。


「彗星、大丈夫かい?」


 不安に震えるケイの肩を犂月は優しく抱いた。


「初春がここのところ手厳しかったからなぁ。随分辛かったろう」


 その手は大きくて、人を包み込んだことのあるもののような気がした。いつぶりだろうか。誰かの温もりに触れて心が弛み、ケイは思わず嗚咽を漏らす。犂月は足組をしたまま、何も言わずに隣にいる。


「ウシオ……」


 大きな目を細めて、遠くを見た。ケイは耳を傾ける。


「僕に残されていたのは、ウシオと言う名前だけだった」 


 ケイは袖で涙を拭き、犂月の整った横顔を見上げた。


「リーズンに会うように、猫にそそのかされ、気が付くとここにいたんだ。そんな連中ばかりだよ。初春だって例外ではない。あいつ、筆下ろしの相手が厄介でね。ひどい目に遭わされて、未だに心に傷が着いてる。だから、リーズンの話しはご法度なんだよ。――リーズンに会うことが出来たとしても、それを受け入れる事が出来なければ、魂を食い尽くされて空になってしまうのさ。身体はただの入れ物同然さ。サルビアに食われるか、リーズンに食われるか。それとも、何にも食われず、流れるように生きていくか。どうするのか決めるのは自分自身。とても難しい話だ」


 初春の筆下ろしの相手が、彼が会うべきリーズンだったということか。ケイは身震いした。


「それでも突き進む勇気と強さがあるのなら、前を向き、運命を受け入れるがいいよ。僕や翼里兄さんは、もうここに永くいることにしている。随分強くなったし、色々なものを見て来た。だからこそ、ここでいいと思っている。客の相手も、嫌じゃないしね。――チャンスを待つんだ、彗星。女王蜂の晩餐会。いつか開かれる。その時にチャンスは訪れる。それまで待つんだ。強くなれ。いいね」


 ケイはしっかりと頷いた。本当の自分を教えてくれたこの人は、きっと信用していいはずだ。


「僕の名は、ケイです。猫がそう呼んだんです。それしか分からないけど……」


 精一杯の、誠意だった。今のところケイにはそれしか真実は存在しない。

 犂月は優しく微笑むと、ケイの首筋に口付けた。ケイは驚き、後ずさる。


「怖がらないで。今から手解きをするよ。ここで生き残りたいなら、お客を喜ばせないと」




 ランプの灯りが、暗闇を照らす。初めてのお客は、自分よりもかなり年上のような見た目をした、綺麗な女だった。まだ皺はない。 


「ねぇ、猫は好き?」


 女は訊ねる。


「あまり……。でも、なぜか嫌いにもなれません」


 ケイは、正直に答えた。

 女はふふ、と短く笑うと、ケイの手を握った。柔らかい。


「私もよ」


 そう言って見開いた瞳は澄んでいて、吸い込まれそうになる。ケイは犂月に教わった通りに、事を進めた。

 僕は、強くなるんだ。猫にも、何にも頼らない。そしていつか進むべき道が見えたら、そこに向かって走る。

――チャンスを待つんだ。

 女の体温に身を任せた瞬間、ケイの目の前はパァっと目映い光に包まれた。


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