翼里
鐘が鳴った。兄者達は次々と、一階の張り見世へと移動する。格子が掛かっていて、外から見物出来るようになっているその場所に男達は並んで座った。色とりどりの着物が鮮やかに見世と呼ばれるその空間を飾る。
少し経つと、外に人だかりが出来始めた。ざわざわと浮わついた声が聞こえる。ケイは恐る恐る屏風の影からその様子を伺った。
冷やかしで声を掛けるものが殆んどだった。時折玄関から客が上がってきて、さっきまで退屈そうに座っていた蜂がいそいそと動いている。呼び込みをしたり、台帳に名前を書き込んだりしてとても忙しない。
上がってきた客は、太っていたり、年老いていたり、お金を持っていそうな女ばかりだった。そして、名指しされた雲や雨が、客と共に大階段を登っていく。いったい何が行われるのか、ケイは想像して気分が悪くなった。
二度目の鐘が鳴る。
ケイは慌てて二の間に戻った。
部屋では初春が待ち構えていて、手取り足取り、床の準備の仕方を教えてくれる。しかし、全く頭に入ってこない。
「いいね、彗星。くれぐれも、粗相のないように」
初春はにっこりと笑いながらも、少し心配そうにケイの背中を押した。そしてさっさと一階へ下りてしまった。
部屋の中央にある襖を、そっと開く。
ぼんやりとランプが灯りを点し、翼里が畳の上に胡座を掻いている。
ケイは両手をつき、頭を垂れた。
「し、失礼致します。今宵は、わ、私が御守りを仰せつかいました。どうぞよい夢を」
これは、ここでの決まり文句だと初春が教えてくれた。
翼里は何も言わず、ただケイを見詰めた。片手には、上等な煙管が遊んでいる。
「おい、彗星」
ケイは自分が呼ばれたことに一瞬気が付かず、遅れて返事をした。
「な、なんでしょう」
「お前も、やはり猫に連れて来られたのか」
低い声が、木の壁に反響する。
「……はい」
「そうか。サルビア様への手土産は何だった?」
「ヤモリの尻尾です……」
ケイは素直に答えた。
翼里の顔がひきつる。何か悪いことを言ってしまったのかと狼狽えるが、見当がつかない。ただ――この人は、あのヤモリを知っているのかもしれない。ふと思い、ケイは探るような目で翼里を見た。兄者は、あぁ、と溜め息を漏らした。
「ヤモリを知っているんですか?」
おそるおそる言葉を投げ掛けると、突然翼里は煙管を火鉢にカンと叩き付けた。そして、短い沈黙を蓄える。
「知ってるよ」
えっ、と短く叫んだあと、ケイは息を飲んだ。
「彼も堕ちたもんだ。依然はここで名を馳せていた。竜鋭と呼ばれた名妓でね、サルビア様にも可愛がられていたんだよ」
ランプの火が、僅かに揺れた。ここのランプは、虫が犠牲になっているわけではなさそうだが、単純な炎とも思えない。
「彼が事件を起こしたせいで、宮殿からの出入りがやけに厳しくなった。今では俺たちは、ただ監禁される者だ。約束の羽だって、いつ貰えるか分かりゃしないよ」
翼里は寂しそうな目をして、口許で笑った。
「しかし……。どちらが自由なのか分からないな。鳥籠の中で動き回ることが出来るか、鳥籠の外で足枷を付けられているか、どちらの小鳥が幸せだと思う?」
自分は、どっちなんだろうかと考えてみる。どちらも、きっと心底幸せとは言えないと思う。選ぶとしたら、僕は……。
アハハハと、高らかな笑い声が響いた。ケイは思わず顔をひきつらせる。
「時期尚早な質問だったな。坊や。まぁそう深く考えなさんな」
翼里が腹を抱えて笑うものだから、ケイはムッとした。
「お前は兎に角、仕事を覚えるんだね。今夕の俺の座敷を見て勉強しな。いずれ筆下ろしの時期が来る。そうすれば雨に格上げされて、着物から身の回りの小物から、ずっと良いものを揃えて貰えるさ」