女王蜂
宮殿の門は少し屈んで通らなければならなかった。猫とケイはほとんど同じ身長なので、やっぱりケイも屈んで潜り抜けた。
門は厳重な警備が守っていて、分厚い鉄扉が二枚、大理石のような石で出来た石版が一枚、取り付けられている。それぞれ朱と黄色で妖艶に飾りが施されていて、門を潜るだけで不思議な空間に足を踏み入れるような感覚がした。
「お帰りなさいませ、アールム閣下」
あちこちで兵隊蜂が頭を下げて列を為す。そして決まって蔑んだ視線がケイを突き刺した。
木の幹の中は豪華絢爛で、磨き上げられた美しい和洋折衷の調度品が飾られ、踏み心地のいい絨毯には艶やかな柄が描かれている。窓はないが閉塞感は感じられないのは、突き抜けるように天井が高いせいだろう。外から見る限り木の幹は二メートルほどの幅だったのに、何故だろう、その何倍もの空間になっている。長い廊下には、白やピンクの花が飾られていて柔らかな香りがする。
そこを通り抜けるとかなり広いフロアに出た。キッチンがあり、忙しなく料理が作られている。美味しそうないい匂いが鼻をくすぐる。そういえば、空腹を感じたのは久しぶりだ。その手前が食堂になっていて三十ほどのテーブル席が設けてある。ふと反対側を見渡すとカウンターの様なものがあり、暇をもて余すように蜂が一匹座っている。休憩時間なのだろうか。ーー見渡す限り視界に飛び込んで来るのは、どれも蜂だ。
猫はその間をすり抜けて、もう一つ向こう側の部屋へ移動した。右側には小部屋があり、ガラス張りになっていて、三百六十度見張れるようになっている。反対側には大きな階段があって血のように赤い絨毯が敷かれている。階段の向こう側には、鉄格子が着いた部屋が大きな出窓のようにくっ付いていて、薄紫の屏風で間仕切りされていた。そこには誰もいない。
ガラス張りの部屋から、一匹の蜂がやって来た。
「アールム閣下、お戻りになったんですね」
猫は素っ気なく首を左右に捻って見せ、鼻をフンと鳴らした。
「サルビア女王がお待ちで御座いますよ」
「その五月蝿い羽音をなんとかしなさい」
猫が鋭い目付きで睨むと、蜂はいやらしく微笑んだ。
「いやはや、申し訳ございません。我々は飛んで移動する生き物に御座ります」
「話をする時は、お止まりなさい。無礼だ」
蜂はブンブンと飛ぶのを止め、足でその場に立った。そして、ケイをじっと品定めするようにその視線を這わせる。
「なかなかの上物ですな。さすが御目が高い。ささ、三階で女王がお待ちですよ」
猫は身を翻し、階段を登っていく。門を潜ってから、一度もケイに話し掛けて来ない。ケイは得体の知れない恐怖が身体に這い上がってくるのを感じた。
階段を登り、三階へ。正面には金色の扉があり、兵が脇に一匹ずつ就いている。二匹は猫に敬礼をした。
「サルビア様に取り次いで頂きたい」
「ようこそ、閣下。お待ちかねです」
ギイ、と門が開かれる。向こうの方に、玉座が見えた。猫は躊躇することなく突き進んでいく。ケイは内心おどおどしながらそれを追った。
玉座には、妖しげで美しい女が座っていた。蜂ではない。人間の顔をしている。すらりと伸びた手足は色白で、切れ長の目、紅い唇は薄く、鼻筋が通った綺麗な顔立ちをしている。髪はエレガントに巻かれていて、前髪を纏めた頭頂部にきらびやかな鼈甲の簪が四本刺されている。
「お帰り。よく帰ったねぇ」
猫は彼女の手を取り、口付けた。
「御機嫌麗しゅう」
ふふ、と女王蜂が笑った。
「お前のお陰だよ、ミディー。お前が迷子の人間を連れて来てくれるから私は永遠の美を手に入れることが出来るのさ」
女王蜂は台の上にあった煙管を手に取ると優雅に一服した。
「それで? 今回は、この子かい?」
猫はケイの手首を掴むと、女王蜂の前に引きずり出した。ケイは目を白黒させて驚いた。身体中が警戒したらりと冷や汗が流れる。
「サルビア様。こいつぁ上物です。二度と手に入らないほど強く輝くものを持っていますよ」
猫は、地獄からの使者のような形相をして言った。
「あ、そうでした。これはお土産物です」
猫はポケットから茶色い尻尾を取り出し、女王蜂に差し出した。女王蜂はじっとそれを見詰めると、不気味に声を上げて笑った。
「裏切り者の尻尾だねぇ」
そして猫から尻尾奪い取ると愛しそうに頬擦りした。
「あんな蛇のような女に現を抜かすからこんなことになるんだよ」
先っぽを指で摘まむと、持ち上げて、大口を開けて飲み込んでしまった。そして、薄紫色をしたレースのナプキンで口許を拭う。一息吐いてから再び煙管を手に取り、ケイに煙を吹き掛けながら言った。
「坊や、ヤモリってのはね」
ケイは怯えながらも、女王蜂に向かい合う。
「家を守るから、ヤモリって呼ばれてる。あの子は、そういう星の下に生まれた魂なのさ。可哀想だけど、仕方ないじゃない」
女王蜂は、斜め上の方を見上げ、目を細めた。
「大人しく言うことを聞いていれば、本当のヤモリにならずに済んだのに。愚かよ、人間などね」
女王蜂が玉座から下りる。赤いドレスのスカートが不自然に膨らんでいて異様だ。ケイの側へ来ると、細い指で顎をぐいと持ち上げた。ひんやりとしていて、気持ちが悪い。まるで血が通っていないようだ。
「いいわ。二年よ。ミディー。年季があけたら羽をやる。それでいいかしら」
猫は真顔でしっかりと頷いた。