猫との出会い
ふと眠りから目醒めると、そこは深い森の中だった。木々は黒に近い緑色をしていて鬱蒼と茂っている為、空がどんな色をしているのか判らない。
上空からは、奇妙な鳥らしきものの鳴き声が響き渡り、獣たちが動き回っている気配がする。
少年は、自分が寝かされているのが柔らかい木の枝を編み込んで作られたベッドだと言うことに気が付いた。どれくらい眠っていたのか分からないが体が酷く重い。しかもあちこちが痛んで、起き上がることができない。
必死の思いで腕を上げると、かすり傷だらけで血が滲んでいた。骨という骨がさっきまで折れていたような気さえする。
それでもなんとか体を起こしてみると「うぅ」という自分自身のくぐもった声が聞こえてきた。頭が痛い。もしかして頭蓋骨が割れているんじゃないだろうかとさえ思える。
少年はゆっくりと首を捻り辺りを見回してみる。森はどこまでも暗く、獣道の奥は夜の闇よりも遥かに深い。
「無理しちゃだめだよ」
驚いて声のほうを振り返ると、背中が繋がっている双子の少女達が立っていた。二人はそれぞれ水で濡らした葉っぱと、ツンとした香りの薬草らしきものを練った薬を持っていて、ニコニコしながら少年に近付いて来る。そして再び少年に寝転がるように促し、薬を塗りつけ、患部を冷やし始めた。恐らく彼女達は少年をこうして看病し続けている。
「ここから動いちゃだめよ」
双子の片方が言った。
「傷が癒えるまでは危険だわ」
もう一人も言った。少年は目で頷く。少女達は微笑み直すと立ち上がり森の奥へと消えていった。
さっきより、痛みが楽になった気がする。あの薬草のせいだろうかと、少年は思う。
意識が朦朧としたまま時間が過ぎていく。ーーといっても、時間が進んでいるのかは定かでない。空は見えないし、光も差し込んでこない。その割りになぜ明るいのかと言えば、木の幹に取り付けられたランプのおかげの様だ。炎は怪しげに揺らめきながらこの暗い森に光を与えている。もしこれが消えてしまったら本当に真っ暗だ。
突然木の幹を、何か小さい生き物が登っていった。虫か? しかし、羽毛で覆われた羽を付けている。奇妙な生き物だ。それは素早くランプの中に入り込み、自ら燃えて無くなった。さっきより炎が強くなる。少年の背筋にぞくりと冷たいものが走った。
ふいに足元を見ると、きのこを帽子にした白いうさぎがこちらを見つめている。なぜか耳が糸で縛られていて、とても痛々しい。
「逃げたほうがいいよ。逃げたほうがいいよ」
小さな声でうさぎが言った。聞き返そうと思うが、痛みで口が開かない。
「猫が来るよ。猫が来るよ」
猫? 少年は首を捻った。どうして猫が来るから逃げたほうがいいのか、さっぱり分からない。
「殺されちゃうよ。ころ」
少年の視界の上のほうから灰色の毛に覆われた手が伸びてきたかと思うと、それはひょいとうさぎをつまみ上げ、耳を切り裂いた。同時にギャーという叫び声と血飛沫が上がり、うさぎは飛び跳ねて闇の中へと姿をくらませて行った。その手は背広の胸ポケットから白いナプキンを取り出し、自らの腕に散ったうさぎの血糊を拭った。そして再びポケットへとしまうと「まったく、おしゃべりうさぎめ」と、悪態を吐いた。
その灰色の毛の生えた手の持ち主は、一歩下がると少年に丁寧にお辞儀をした。
「こんにちは。私、ミディー・イントレリア・アールムと申します。見ての通り、猫でございます。あなた様をお迎えに上がりました。あなたは、リーズンに会わなければなりません。さあ、行きましょう。こんな辛気臭いところにいては、お体に障ります」
少年は顔を上げた。そこには紛れもない猫が立っていた。しかも背広を着て二本の足で人間のように立ち上がっている。
木陰からは、体の繋がった双子と耳を切り裂かれたうさぎが心配そうにこちらを見ている。
「さあ、時間がありません。ミスター・ケイ。立ち上がるのです。あなた様のその脚は、あそこにいる双子に治療させましたから、もう充分使い物になるはずです」
猫の物言いには、有無を言わせない強さがあった。それに、さっきうさぎの耳を切り裂いた光景が脳裏に焼きついていて恐ろしくなり、恐る恐る少年は力を込めて立ち上がった。
一瞬よろめいた体を猫が支えた。腕に毛の滑らかな感触が伝わり鳥肌が立つ。
「そうです。上出来です。その口も、もうしばらくすれば、利けるようになるでしょう」
双子が、気の杖を持ってきて、少年に差し出した。それを受け取り、唇の形で「ありがとう」というと、双子は顔を赤らめて目を伏せた。
「行きましょう、ミスター・ケイ。リーズンに会わなければ」
少年は訳の分からないまま猫に背中を押され、暗闇のほうへと歩き出した。奇妙な鳥の鳴き声が、一層大きくなっていく。森全体がざわめいているようだ。
猫と共に奥深くに消えていく少年の後ろ姿を、双子と耳を切り裂かれたうさぎが、いつまでも見守っていた。




