(NO.quattro――蕩ける バーチョ
程好い体温、太陽の匂い、柔らかい感触、脈打つ鼓動、荒い息、たどたどしい舌使い、か弱き抵抗、彼女のすべてが情欲をそそり神経を狂わせる。自制などしていられない。
『ンッ、ふ……っ、んん!』
小さく喘ぐ大神は官能的で、容易く俺の躊躇いや理性を吹き飛ばした。甘く震える身体にぞくりと背筋がおののく。
『……も、……やっ』
『ダメだよ。ほら口、しっかり開けて。牙が当たっちゃう』
『……ん……っ、リト……』
好きな女――初めて愛した女の前では、俺もただの男だ。いつしか蕩ける口づけは激しさを増し、俺は大神が『帰る!』と言うまで熱いキスをし続けた。
「はあ……、もっと一緒にいたかったな」
幸せの時間はあっという間だ。脳裏に儚く残る彼女の別れ際の顔が頭から離れない。
「……大神」
愛しい名を呼ぶ現在、自分の自室で寝転がる俺は淡い寂寥感を噛み締めている。大神が隣にいない空間は孤独も同然だ。
そこへ突然、ドアが前触れなく開いた。同時にカツカツ足音が近づいてくる。
「――兄さん」
「やあ、来たのかい」
漂う気配でわかっていた。馴染み深い声音はやはりリュカーオーン家、五十一兄妹の――自称十七歳――俺が唯一気を許す末っ子のロトだ。
「来たのかい、じゃないよ兄さん。三匹、銀の鎖を巻いて切り刻んだって?」
「……ふうん父の差し金か、俺の監視役で見張りに来たのがお前で良かったよロト」
どうやら、お節介な同胞が『一件の処罰』を父に密告したらしい。しかし面妖な結果のみの報告だろう、何せ主要な原因を知る者は俺が躊躇なく消した。
(残念だったね、父さん)
いくらロトを寄越したところで無駄だ。不確定な情報が得られる可能性は皆無に等しい。
「珍しいね」
「うん?」
ロトがベットの隅に座り、振り向くや否ややんわり目を細めた。容姿も動作も逐一、幼い頃の自分とよく似ている。
「兄さんが機嫌を損ねるの、一世紀に一度あるかないかだよ」
「ハハッ、大袈裟だな」
「誤魔化さないで兄さん、いったい何が兄さんの逆鱗に触れたの? 要因は?」
「…………」
単刀直入な質問に答えるか迷った。ロトに物理的信用、精神的信頼はあるが世に絶対はない。
「約束する、父さんや『家族』に言わないよ。絶対にナイショ……、ねえ教えて兄さん」
「……鋭い子で参ったね」
けれど一瞬の沈黙で見透かされ、安全性の懸念は杞憂に終わる。ロトの催促に俺は苦く笑い、重い口調で端的に告げた。
「好きな子ができたんだよ」
「――――」
その言葉にロトが瞠目する。無理はない。俺は数世紀、色恋に無縁な長男だ。
「ウチの『飼い犬三匹』に襲われ逃げていた人の子と……、たまたま居合わせ助けたのがキッカケでね。俗に言う一目惚れってやつさ……、まあ三匹を嬲り殺した理由はこれで伝わったかな」
「……うん、驚いた」
俺の説明にロトは口元を押さえ、面を食らった様子で呟いた。継いでロトが訊ねてくる。
「同胞はおろか純血種の『愛』さえ拒絶する兄さんが……、本気で人の子を好きに?」
「違うよロト、一族が俺に向ける利欲と嫉妬は愛じゃない。口を揃えて『リトア様』と慕うのは本能で主従関係を保ってるに過ぎない」
「兄さん……」
「浮かんでは埋没する時の流れでやっと見つけた愛しい子……、俺が彼女に対する気持ちは本物だよ」
「……そっか」
淡々と返答した俺にロトは相槌を打ち、相変わらずの順応性で一先ず納得したようだ。告げた内容に弟は不服を唱えない。
「お前はいい子だねロト、人の子と聞いても雰囲気が剣呑にならない」
「父さんや家族じゃいんだ、人の子を『下等な人間』扱いはしないよ」
ロトは肩を竦め、ははっと鼻先で笑った。そして新たな疑問を投げてくる。
「ねえ、人の子はどこに住んでいるの? 兄さんの正体は話した? ああっ、名前は!?」
興味津々の語調だ。間断なく問われ、俺は逡巡せず彼女の素性を明らかにした。
「名前は大神と書いてアカギ、俺が人間じゃないことは……まあ話す必要はないね。彼女は血族の陰影隊だ、カイン家の所有地に住んでいるよ」
「陰影隊!?」
さすがのロトも平静を失う。僅かに声を荒げ、狼狽えた表情で黙り込んだ。
(至極当然の反応だな)
恋を始めた俺に立ちはだかる壁は高い。だが登らない選択肢は――ない。
いまはこの言葉に尽きる。
「頑張るよ、大好きな彼女とね」
俺は大神との明るい未来を信じ、一族を危険に晒す恋だけど譲れない意志を表した。
(聞き捨ててくれて構わないさ)
そう心中で独りごちた直後、ロトがおもむろに口を開き意外な発言をする。
「――俺もいるよ。フォローは任せて」
「ロト……お前……」
「兄さんが好きになった女性だ、弟が応援しなくてどうするの。俺が味方じゃ不満?」
「……いや、ありがとう。心強いよロト」
圧倒されつつ礼を述べた。嬉しい限りだ。
「うん! 今度、紹介してね! はい指きり!」
「ああ、もちろん」
弟の笑顔が胸にしみる。首肯した俺は起き上がり、ロトの差し出す小指に自分の小指を絡ませ約束をしたのだった。