(NO.tre――近づく二人の ディスタンツァ
大神side――。
パレルモから南西へ向かったモンレアーレにカイン家の所有する壮大な土地があり、そこにひっそり聳え立つ別荘の裏手に広がった深い森――濃い霧や木々で目視できない先に里の入口は存在する。
(…………)
神経を尖らせつつ周囲を見渡した。里はカイン家当主――ジョバンニ・カインが陰影隊に与えたささやかな休息の地であると共に、任務へ向かう者たちが万全の態勢を整える神聖な場所だ。いくら有利な領域であれ、万一のことを考えれば警戒は解けない。
私は緊張を保ったまま自然の咲き匂う道無き道を突き進み、乱雑に重なり合う岩の階段を飛び越えた。
「――っと」
上手く着地し、小走りする。手入れされた平らな地面はもちろん人工だ。
これといった境目はないものの、言わばここが里の玄関口である。
「ふう、ただいま」
更に煙った視界を抜けると、かやぶき屋根の並ぶ集落が姿を表した。鏡のような田んぼの水面は相変わらず美しい。
「一種の芸術よね」
ぼんやり呟きながら田んぼ道に逸れた私は、細い一本道でばったり幼馴染と遭遇し足を止めた。
「あら大神、いま帰り?」
自分と同じ忍服に身を包んだ、短髪の黒髪が特徴的なこの少女の名はイザナと言う。言うまでもなく陰影隊の仲間だ。
「うんまあ、イザナは任務?」
「そ、トワ隊長と主の護衛よ。ねえそれより大神、アンタ最近どこ行ってんのよ? 任務に限らず里を出てるでしょ」
「え――」
突然の質問に一瞬、思考が止まった。まさか、イザナは勘づいているのだろうか?
(バレ、て……? 『彼』との関係……)
不安が脳裏を過る。けれどイザナの目に猜疑心は滲んでおらず、むしろ心配げな表情だ。
(ううん……、大丈夫)
恐らく彼女は気づいていない。主観的な判断で結論づけた私は一拍置き、咄嗟に浮かんだ無難な単語で答える。
「――っとね、『鍛練』をしているの! まだまだ強くなりたいし! あははは……」
陰影隊にとって珍しくない理由だ。体力・能力・精神力、自分の至らない部分は鍛練で補う。私も日頃、心身を鍛えていた。強ち嘘ではない。
苦く笑って誤魔化す私に、イザナは口元を引き攣らせた。
「アンタ勇者? 先週、忍頭にこっ酷く怒られたばっかりでよくやるわね。間違っても神隠しの森に行っちゃダメよ、次は『うっかり入って転んだ』じゃ済まされないんだから」
「う、うん……気をつける」
あやふやな説明でウルフ遭遇の一連をどうにかこうにか濁した例の一件だ。幼馴染の優しい忠告に気が咎める。
「じゃ、私行くわね! トワ隊長、几帳面で遅刻に煩いのよ!」
そう刺々しい口調で言い、イザナはすれ違いざまに私の肩を軽く叩くと忙しなく去っていった。場に残る静寂は虚しい。
「はあ……」
ため息が零れ落ちる。我が主ジョバンニ・カイン、加え仲間に顔向けができない。陰影隊失格だ。
(……リトア)
先刻、私はリトア・リュカーオーンと一緒だった。実のところ、二度目に会った日から関係は続いている。
いったい何故か、それは彼が別れ際に必ず言う言葉にあった。
――また明日、会いたい。
リトアは恥ずかしい台詞を、躊躇なく平然と言ってのける。だけど声音は至極真剣で、直球の眼差しに偽りはない。故に邪険に扱えず、頷かざるを得ないのだ。
(わかってる……)
相手は狼族・始祖家系の長男、私は人間で血族・始祖家系の主に忠誠を誓った陰影隊、慣れ合う行為は裏切りに値する。
(わかってる……)
私は血も涙もないウルフが嫌いだ。一時的な感情に流されたりしない。
しかし顔を見合わせる度、彼の誠実さに触れる度、会いたい想いは一層痛いほど募っていった。黄金の瞳に映る自分は――いつしか忍の仮面を外していた。
リトアといると調子が狂う。自惚れかもしれない、時折、見え隠れする彼の孤独を埋めてあげたくなる。
(……わかってるの)
許されない矛盾を引き起こす想いの正体は恋心、私は知らず知らず恋に落ちていた。
『大神は綺麗だよ』
あの囁きが嘘でもいい。
『ハハッ、ありがとう』
あの笑顔が嘘でもいい。
(いいの、いい……)
生まれて初めての恋は真実だ。出逢わなければ――会いにいかなければ――そんな今更すぎる後悔で動き出した恋は止まらない。
「……ごめんなさい」
一人佇む私はポツリ、覚悟の謝罪を口にしたのだった。




