(NO.due――魅惑の フィオーレ
「よいしょ、っと」
ふかふかした草の上に腰を下ろし、手に持つ一輪の花を天高い太陽に翳した。一枚一枚の花弁が万華鏡みたく色を変え、眩しい煌めきが華やぐ心を包み込んでくれる。
「今日は来てくれるかな」
俺はここ一週間、とある『秘密の場所』へ毎日欠かさず通っていた。そこは偶然見つけた――大神に別れを告げられた場所だ。
「届いていたよね、俺の言葉」
俺はきっと大丈夫、と呟くけれど現実が首を振る。実のところ、あれから一度も彼女とは会えていない。
明日こそは、明後日こそは、そんな儚い期待を抱いて毎日を繰り返していたら一週間経っていたわけだ。
「……来てよ、大神」
本当は薄々わかっている、恐らく大神は二度と俺の前には現れない。
彼女は血族の陰影隊だ。俺がリュカーオーン家の子息と知った以上、余計な紐づくを絶ってくるのが至極当然だろう。
その点は人間と狼の隔たり云々の問題だ。俺同様に彼女も又、逆らえない規則や理念、抗えない歴史や捻じ曲げれない運命に縛られている――だから――わかっていた。
(それでも大神、キミに握手を求められた瞬間……俺はね)
数世紀の永き道程で無くした欠片、いつしか段々薄れていった感覚、生きていると言う実感が湧いたのだ。無垢で純粋な眼差しに鼓動が跳ね、力強く脈打つ氷の心臓は大神の温かさで溶かされた。忘れられない、募る想いは天上神さえ止められない。
「……会いたい」
心の声が漏れ出る。直後、辺りに咲く猛毒・ベラドンナの臭いが甘い香りで和らいだ。
「――こんにちは」
「――――」
聞き覚えのある鈴のような可愛い声音に驚いて振り向けば、降り注ぐ太陽の下に待ち焦がれていた人物の姿があった。個性的な黒いポンチョと、赤いマフラー、長い深緑の髪が風で揺れている。
「来てくれたんだね、嬉しいよ」
俺はにっこり、前触れなく現れた大神に微笑んだ。すぐさま駆け寄って抱き締める、この衝動をぐっと堪えた自分を褒めてやりたい。
数秒の沈黙が流れ、大神がポツリ呟いた。
「ずっと待たれたんじゃ、私が虐めているみたいで気分が悪いんだもの」
「……何度か来てくれていたのかい?」
予想だにしない発言に俺が聞き返すと、大神は一瞬動きを止める。しまったと言わんばかりの表情だ。
「誰が何度も、……一回よ一回」
そう口を尖らせ、大神が顔を背けた。俺は緩む口元を指先で隠し、お礼を言いつつ手招きする。
「ありがとう、ほらせっかく来たんだこっちにおいで大神」
自分の隣をぽんぽん叩き、傍に来るよう催促する。大神はぶんぶん首を振るものの、譲らない俺にとうとう折れてくれた。
小さなため息を吐き、渋々、大神が距離を詰めてくる。用心深い足取りだが、顔色に『恐怖』は微塵もない。
「……さっさと用件を言ってちょういだい」
一人分のスペースを空け、大神が横座りした。横目で促され、俺は微笑し訊ねる。
「身体は平気?」
「……ええ、お陰様で傷は塞がったわ」
「良かった、安心したよ。ウチの連中がごめんね、キミを傷つけた罰は与えたよ。死よりツライ罰を、ね」
処罰の内容は敢えて告げず謝罪の意を込めて再度、「ごめんね」と添えた俺に大神は唖然たる面持ちで口を開いた。
「ちょっとまさか……、それが用件なの?」
「用件はないよ? いやもちろん心配はあったケドね、ただ大神とまた会いたかったんだ。一度で『さよなら』はしたくなかった、単なる俺の我儘だよ」
大神の問いかけに答る。格好悪い理由だけど嘘はつきたくない。
「……短絡的な動機ね。何か計算や目論見があって私を待っていたとばかり……、ほんと変わり者ね」
「ハハッ、よく言われるよ。大神は俺が嫌いかい?」
「嫌いよ」
「素直だね……」
軽い調子で聞いた質問に、真顔で即答された。更に大神が言葉を連ねてくる。
「私はリュカーオーン家が許せない。たくさんの仲間を目の前で……、彼らの率いるウルフに噛み殺されたのよ」
「…………」
反論はない。狼族の庇い立てもできない。
俺は目を伏せ、詰られる覚悟をした。しかし、聞こえてきたのは意外にも大神の柔らかい声だ。
「……まあアナタが戦争に関わっていないのは既知の事実、アナタに文句を言っても仕方がないわね。助けられた恩もあるし、……でもやっぱりアナタは嫌いよ。私が陰影隊と知って握手に応じるなんて……、性格が悪いわ。嫌いよ嫌い」
「ごめんね大神、ありがとう」
嫌いと言っている割に口調は優しい。大神の慈悲に満ちた性格が垣間見える。
「……お礼を言われる筋合いないわよ」
「膨れた頬も可愛いね」
「…………」
褒めたらジト目で睨まれた。照れているのかほんのり耳が赤い。
(――あ)
ふと、大事な『贈り物』を思い出した。
「大神、キミにプレゼントだよ」
俺は渡しそびれていた花を差し出す。目を丸くした大神は俺と花を交互に見つめ、そっと受け取ってくれた。刹那、大神の顔が綻んだ。
「……シュッコンタバコね珍しい、ありがとう凄く綺麗だわ」
「笑顔が見れて嬉しいよ」
「ふふっ、本当に変わり者ね……リトアは」
「――――ッ」
強烈な眩暈に襲われる、呼吸もままならない。眉をハの字に笑う大神の表情は無論、間延びして呼ばれた名前に俺は二の句が継げなかった。