★NO.due――魅惑の フィオーレ
大神side――。
暗い曇天の下、私は全速力で里へ戻っていた。
「簡単な任務に手古摺るなんて、どうしよう間に合わないかも」
今日は、遠征から忍頭が帰還する特別な日だ。S級任務以外の各忍は寅の刻までには揃うよう、陰影隊長にきつく言われている。
私も忍の一人だ、どんな理由であれ基準の刻限は超えられない。しかし現実は厳しく、時間は待ってはくれない。
(……う~ん)
正直な話、現状を打開する方法は一つあった。けれど七月の間、危険を伴う『そこ』は通ってはいけない決まりだ。
「……しょうがない! 大丈夫、忍具は持ってるし!」
自分の腕にも自信はある。悩んだ末、私は進路変更した。
――いま思えば、その安易な選択が誤りだったのだ。
(まさか……、こんな……)
己の実力を過信した自分が憎い。私は血の滲んだ脇腹を押さえ、後悔の念に駆られていた。同時に悔しい感情が湧き上がる。
急いでいた私はあのとき、里への道が近い神隠しの森に踏み込んだ。海の如く広大無辺に広がる森林は神隠しの森と呼ばれ、足場が悪く方位磁石も効かないため地元の人間はまず立ち寄らない。
普段は人っ子一人いない静かな場所だ。だが毎年七月十五日、『フェスティーノ』が催される月だけは違った。
(わかっていたのに……!)
七月は我ら陰影隊の主――カイン家当主と同じく神に呪いを受けた一族、狼族の始祖リュカーオーン家が特例で滞在する魔の期間だ。そして現在、神隠しの森は行動範囲の許された『ヤツら』の縄張りになっている。
両一族は良き間柄でないものの、最重要なイベントの際はいらぬ波風を立てない。それは我らが主の希望でもあり、従って血族及び陰影隊は『神隠しの森』に近寄ってはならない決まりだった。
(なのに私は……)
規定を破った挙句、純血のウルフ三匹と遭遇し交戦した。結果は案の定と言うべきだろう、惨敗だ。
狼特有の鋭く堅い爪で負傷した私は遁走に精一杯、形振り構わず森を駆け抜けた結果――呆気なく気絶した。薄れゆく意識の中で私は死を覚悟した、にも拘わらずこうして心臓は脈打ち生きている。
――誰のお陰か?
(……アイツに)
脳裏に焼きついた男の涼しげな表情、私を助けてくれた人物はリュカーオーンの子息・リトアであった。
リュカーオーン家で唯一、戦争を忌み嫌う長男のリトアは戦場に現れない。故に陰影隊で彼の素顔を知る人物は数少ない。
(人間離れした端整な顔立ち、黄金の瞳、垣間見えた犬牙らしき……、何で……、疑わなかったのよ)
抜き難い錯覚は恐ろしい。もちろん私も例外でなく、完全に獣の気配を経ったリトアをエッセレ・ウマーノと思い込んだ。正体に気づいたのは本人が名乗った瞬間である。
「悔しい……!」
リトアの澱みない眼差しは、私が陰影隊の『忍』だと見抜いてた。見抜いていながら、私の求めた握手に応じた。
――何故?
(わからない……)
血族・陰影隊を毛嫌う一族が――意図不明の、到底、理解できない状況だ。困惑した私は当然、自分から求めた握手を一瞬で拒絶した。軽視されているのかと憤りに下唇を噛み、考えが読めないリトアを目上に睨み拒んだ。
狼族は主を苦しめる、狼族は仲間を食い殺す。狼族は許せない。
『ねえ大神、俺は――』
『さようなら』
暗く沈んだ黄金の瞳に惑わされず、私は有無を言わせない態度で場を去った。躊躇わず木から木に渡り、走って走って、飛んで――いまに至る。
(ハア……、お叱りを受けるわね。言い訳を考えなきゃ)
里の入口は目の前、息を整えつつ私は耳に残ったリトアの意外な返事に苦笑した。
「信じられない……、アイツ変わり者よ」
* * *
あれから三日後、リトアの言葉が気がかりで私は再び神隠しの森へと足を運んだ。リトアと別れた場所は近くに滝があり、くすんだ紫の花――ベラドンナで囲まれている。
猛毒を含んだベラドンナの甘い果実は、どんな動物も食さない。ここに獣がいない理由は一目瞭然だった。
「――あ」
ふと、一輪の花が目に留まる。近寄って手に取ってみた、幻の花ブルーポピーだ。
(何でブルーポピーが……、あれ?)
きょろきょろ辺りを見渡せば、不自然に置かれていた花は一つではない。すでに萎れているが、二三本はある。
「……本当、信じられない」
薄い水色の花弁を撫で、私は失笑した。リトアは本気だったらしい。
「――――ッ」
刹那、巻き上がる風で甲高い耳鳴りに襲われ何も聞こえなくなる。無音の空間、痺れた耳奥で蘇るのはリトアの囁き声だった。
『待ってるよ、この場所で』