★NO.uno――君と出逢った イル ボスコ
「今日も空が重たいね」
シチリア州の州都パレルモ――シチリア島北海岸中部に位置した中世シチリア王国の古都はここ数日間天気が悪い。
俺は瑞々しく恵んだ森の中心で佇み、樹木の隙間から曇り空を見上げた。
「アルカディアは晴れているかな」
瞼を閉じ、数日前までいた故郷の青空を思い出す。国際豊かな他国に比べ文化は発展していないけれど、自分の生まれ育った土地はどの国より美しく平和だ。できるなら即刻に戻りたい、が帰郷は許されない。
そもそも何故、血族の始祖が所有する領地に狼族の始祖・リュカーオーンの息子である俺がいるのか。それは、毎年七月十五日――フェスティーノと呼ばれる聖ロザリアを祝福する祭りに出席しなければならないからだ。
(まあ暫くの我慢だね、一族のために顔くらい出さなきゃ)
特段の事情で招待状など貰っていないものの、呪いを身に宿す一族が守護聖人に関連した行事を看過することはできない。
そこは受けた呪いは違えど同じ立場に存在する血族も理解を示しており、故に重要なイベントが催される場合は特例で滞在許可がもらえる。今回はその特例にあたり行動範囲を絞られた上での逗留、逆もまた然りだ。
「文句は言えないな」
そう独りごち、軽く息を吐いて目を開けた。風にそよぐ葉がおりなす光と影の万華鏡は心が安らぐ、しかし突如吹き荒れた強烈な突風で場の空気が一転する。
「……何だ? 人間の……血の臭い」
鼻に纏わりつく独特の香りは不純が混じっていない。狼やましてや吸血鬼は有り得ない、紛れもなく下界で最も天上神に愛された人間のモノだ。
(どっちに……)
深手か浅手か、どちらにしろ怪我を負っている可能性が高い。この森は危険だ、肉食動物と比べようのない凶暴な『化物』が監視・警戒している。か弱き人間が迷い込んで良い場所ではない。
(方角は……)
集中し緩んだ神経を研ぎ澄ます。すると突然、頭上の木々がざわめき七色の星屑が零れ降ってきた。
(何だ?)
「――――ツッ!」
冷たい雫――見上げるや否や、黒い塊が目の前を通過する。垂直に落ちてきた物体は詰まる悲鳴を上げ、着地の際に捻ったであろう足首を押さえ微動だにしない。
「ええと……、大丈夫かい?」
成る丈、怖がらせぬよう声をかけた。黒いポンチョのフードでFaceを覆う怪しい後ろ姿だが恐らく、否、感じた確信は間違いなく自分が探そうとした手負いの人の子だ。
「――――ッ」
人の子はこちらの気配に気づいていなかった様子で身体を強張らせ、肩に力が入ったままゆっくり立ち上がる。
「あ、待って――」
支えるよ、と言いかけた言葉は途中で斬り裂かれた。人間の子が振り向くとほぼ同時に、手に握る短剣で襲いかかってきたのだ。
「――っと」
瞬時に背を逸らしギリギリで躱す。俺は右足を一歩下げる程度、だけど人間の子は力み過ぎたのか遠心力で前のめりに倒れかけた。
「…………ッ!」
挫いた足、もしくは体力が限界なのだろう、息を呑む人間の子を俺は咄嗟に抱きとめる。
「おっと危ない、平気?」
「――――」
「どこかぶつけた?」
「――――」
何度呼びかけても、人間の子は返事をしない。自分との接触でどこか痛めたのだろうか?
「俺の名はリトア、大丈夫キミを傷つけたりしないよ」
俺は声音に温度を含ませ、そっと俯いた顔を覗き込んだ。刹那、ふわり巻き上がる風で人間の子が被るフードが頭から離れた。
「わ……」
リボン結びの赤いマフラーが靡き、直後、しゅるんと一つに束ねられた長い髪の毛のお出ましだ。風景に劣らぬ深緑の髪色は幻想的で得も言われぬ艶がある。
「そっか……、道理で軽いワケだ」
露になった素顔――よくよく見れば忍服の下は苔色の前紐後紐で縛った赤と苔色の短いプリーツスカート、足元は苔色のハイソックスに赤いヒール、素肌は鎖帷子で防具しているけれど、どこからどう見ても人間の子は愛らしい女の子だった。眠る彼女は物言う花だ、小さな手でしっかり握る短刀は似合わない。
「……シノビか」
ポンチョの裏側に吊り並んだ武器を垣間見、先程の俊敏性や真新しい『爪痕』でシノビという結論に至った。
(うーん、参ったな)
カイン家に仕える陰影隊のシノビを、勝手な判断で屋敷に持ち帰れない。理由は簡単だ、両一族が友好的な間柄であれば悩みはしない。
「惨いことを……可哀相に」
左側腹の肉を若干、抉られている。鋭い狼の爪にもっていかれたのだろう。
「ごめんね……」
彼女を襲ったのは無論、自分の護衛で辺りに散らばった同胞たちだ。相手は情のない純血の狼、いかに戦いの場数を踏んだシノビと言え奮闘したに違いない。
(やっぱり放っては行けないよ)
数匹の狼が漂う残り香を辿り、ぐんぐん距離を縮めて来ている。もちろん、自分側にだ。
「俺が護ってあげなきゃ、まずは移動しよう」
敵味方関係なく、気絶した彼女を見捨てる残虐な選択はしたくない。俺は横抱きに彼女の身体を抱え、こびりつく躊躇いを潰す勢いで地面を蹴った。