★NO.otto――蕩けるキスを アンコーラ ウナ ヴォルタ
「突然すみません。ええそうです、お借りした恩をすぐに返したく思っての行動です」
『――よかろう、三日だ』
「ありがとうございます。では三日後、朝月夜の刻に」
俺は電話を切り、壁に寄りかかる。ジョバンニ・カインへの報告は無事済んだ、あとは大神の回復をただ願い待つのみだ。
* * *
「睫毛長いなあ、うわー頬っぺたすごくすべすべだよ。オマケに柔らかいね、人の子は不思議だなあ。ウサギみたい」
「ちょっとロト、大神に気安く触らないでよ」
「ふうん意外な発見、兄さんは独占欲が強い男なんだね。へえ……」
「……俺をからかってるのかい?」
「ジョーダンジョーダン、怒らないでよ兄さん降参だ」
ベットから離れ、ロトがわざとがましく両手を上げる。直後、クスクス笑う声がした。
「ああほらロトが突いたせいだよ、ごめん起こしてしまったね」
「丁度目が覚めたの、平気よ」
そうは言うものの、人間が持つ自然治癒力はウフルと比べ遅い。傷口が塞がりきっていない身体はつらいはずだ。
「無理しちゃダメだよ」
俺は余っているクッションを手繰り寄せ、起き上がった大神の背中に当てる。
「ありがとう、えっと……」
「大丈夫、『彼』に俺の居る屋敷でキミを二日預かる報告はしたよ。喉は渇いてない?」
「……あ、うん……ほんの少し」
遠慮がちに大神が首肯した。謙虚な態度は相変わらず可愛い。
「OK、水でいいよね?」
ロトが誰の返事も待つことなくサイドボードに置いてあるガラス製の水差しに手を伸ばし、手慣れた動作で一つのコップにコポコポ白湯を注ぎ入れ大神に手渡した。
「はい、どうぞ」
「ありがとう……ございます。……ロ、ロトさんあの……先日は失礼致しました」
受け取る大神が礼を告げ、掠れたか細い声音で謝罪を添える。ちらちら弟の様子を窺う仕草は、兄として些か面白くない。
(好きな子なら余計に、ね)
先日――つまり、フェスティーノが催された夜の話だ。彼女はロトの挨拶を度外視し――挙句、俺に別れを切り出した。忘れたくても忘れられない忌まわしき思い出だ。
(久々に会えて俺は……、嬉しいのに……)
大神にはむしろ、後者を気にかけてほしい。俺はここ一週間ずっと会いたかった、だけど漆黒の瞳は自分ではなくロトを捉えている。
(俺ばかりだね……)
悔しい。歯痒い。いつもいつも、自分ばかりが意識し翻弄されている。理不尽な法則で恋は惚れたほうが負けと聞くが、彼女に依存する俺は「本当だな」と痛感した。
(お門違いなヤキモチだってわかってる)
弟は関係ない、逆に彼は自分の味方だ。だが胸の奥で黒い渦が螺旋する。
――意外、兄さんは独占欲が強い男なんだね。
(……うん、意外だよ俺自身も)
ロトの言った冗談は強ち外れていない。俺は零れる自嘲的な笑みを指先で隠した。
しかし、ふとロトとばっちり目が合う。どうやら見られていたらしい。
「謝る必要はないよ。キミがいい子なのは兄さんに聞いて知っているしね、じゃあそろそろお邪魔虫の俺は失礼するよ」
ごゆっくり、などと俺に目まぜするロトは心底楽しげな表情で部屋を出ていった。
ドアが閉まると同時に案の定、不安と緊張の入り混じった沈黙が訪れる。けれどつい先程まで自分の内側にあったモヤモヤはない、ロトの気配りのお陰で躊躇いは一気に吹っ飛んだ。
「…………」
ギシリと唸るベット、俺は無言のまま彼女の傍に腰を下ろした。突然の接近で驚く大神を意に介さず、ある瞬間で染まった真っ赤な耳に触れる。
「~~~~ッ」
「……ねえ、大神」
俺は見逃さなかった。ロトが何気なく使った『お邪魔虫』の単語で狼狽えた彼女を、しかとこの両眼で見届けた。そんな反応をされては期待せざるを得ない。
「俺はキミを」
「――リトア」
やんわり言葉を遮られる。真っ直ぐ向けられた眼差しに眩暈を覚え、息を呑んだ。
「……っ、なに?」
「私は人間なの……、リトアと同じ時間は歩めない。私よりもっと相応しい良い人が――」
「大神」
先は言わせない。華奢な身体を優しく抱き締め、今度は俺が大神の言葉を遮断した。
(そっか……、悩ませていたんだね)
大神が別れを告げた理由、それは曲げられない種族の『寿命』だ。彼女は俺の未来を見据えた結果、別離を選んだのだろう。
確かに孤独は未だ怖い、記憶が朽ちるほどの永遠は寂しい。でも俺は出逢ってしまった。
(護るべき……、愛すべき彼女に)
天上神が雷を落そうが手放せない。どうしようもない執着、どうしようもない渇望、大神のいない世界は地獄も同然だ。
「キミに流れる血が何であろうと俺は恋をしたよ。俺はね大神、ただキミが、大神が大好きなんだ。恋しくてたまらない……、お願い大神、俺を好きになって……お願い」
抑えられない想いを述べ、ぎゅっと腕に力を込める。刹那、大神が俺の服を掴んできた。胸元に感じる激しい脈拍は、すでに限界の理性をさらに煽り立ててくる。
「……ご、めんねリトア……。私も……好き、リトアが好きだよ……、好き、好き……」
「アカ、ギ……?」
「好き、なの……大好き、なの」
望んだ愛が、一度は失いかけた愛が、涙声で紡がれた。繰り返し告げられる『好き』に自制が取り去られる、我慢できない。
「――――ッ」
俺は大神の手首をベットに縫いつけた。絡み合う視線、互いの距離がゆっくり縮まる。
「俺の全部を大神にあげるよ、だからキミの全部を俺に頂戴……」
弱さを埋め合い、愛を分かち合いたい。その日、俺たちは初めて身体を重ねたのだった。




