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トランクィル・タワー【旧版】  作者: 奈木
第一章
9/69

見知らぬ街で・九

「そんなことは、問うまでもなく知っているだろう? 私を訪ねてきたのだからね」

 少年から老婆へ、姿も声も変えながら、その人が笑う。

 ベイルさんが溜息を吐き、屈んでいた腰を伸ばす。身体を抱えていた手が離れていく。胸を過った心細さは、きっと気のせいだと思うことにして、歯を食い縛って、ベイルさんの隣に並ぶ。

「ハイレイン――解呪師で間違いねえかい」

「是、確かに私はハイレインという名だ。己を解呪師と、そのような名称で示すつもりはないけれどね。呪いを解くことはできるけれど。ともあれ、依頼内容は何かな?」

「解呪を。対象を徐々に消耗させ、命を奪う呪いだ」

「ふむ、極めて深い怨嗟の込められた呪いだね。なるほど、確かに並の術師では太刀打ちもできまいよ」

「それと、この娘に何か呪いが掛けられていねえか――」

「診て欲しい? 健康体に見えるけれど、何か懸念でも?」

「念の為、だ」

 そう、とハイレインさんは吐息のような呟きを落とした。滑らかな動作で立ち上がり、おどけるように両腕を広げた。

「さすがは〈鵺〉――いいや、アルトゥ・バジィの今は無き最大戦力、と言うべきかな? 中々に鋭い」

「生憎と、俺は無駄口に付き合ってやるほど暇じゃねえ」

「そして挑発にも乗らない、と。ますます興味深いね」

「御託はいい。お前は何者だ。この娘の、何を知ってる」

「発生した状況の、およそ全てを。もっとも、その思惑に興味はないけれどね。私達から見れば、ヒトは余りに小さく儚い。瞬きの間に消えてしまうものだから」

「――ああ、そうかい」

 応じる、苦々しげな響きにどきりとする。ベイルさんの吐き捨てる声音は、これまでの落ち着いた様子からは信じられないくらい、まるで抜き身の刃のように鋭く、冷たかった。

「神にも肩を並べる竜族が、その小さく脆いヒトの身を模して、一体何のお遊びだ」

「いやいや、私は真面目さ。この上もなく、ね。……事の発端は、いかばかり前になるだろうか」

 緩く首を横に振ると、ハイレインさんは静かに語り始めた。

「私には、妻がいた。高潔にして才恵まれた、水を司る善き竜。何よりも愛しい妻だった。しかし、妻は先年、永久の眠りについた。私は、その眠りを守り暮らすと誓った」

 だが、と呟くハイレインさんの顔には、一転して滴り落ちそうなほどに色濃い憎しみが染み出していた。ここではないどこかを見据えるような眼で、震えた声で言う。

「あろうことか、愚昧なるヒトの侵略により、その誓いは反故になった。挙句、その愚か者は妻の左腕を持ち去った!」

 その言葉が脳に届いた瞬間、

「い、ぅっ!?」

 ずくん、と何かが左腕の中で疼いた。

「まさか」

 これまでにない、緊張を帯びた声音。その出所を見上げると、ベイルさんが目を見開いて私を見下ろしていた。

「ああ、そうとも。その通り! あの痴れ者はあろうことか、私から奪った亡骸(つま)を、ヒト()の子に埋めたのさ!」

 ハイレインさんが、髪を振り乱さんばかりの形相で叫ぶ。

 まるで、重いもので頭を殴られたようだった。心の底から震え上がる。語られたことの意味も、重大さも、何一つ分からないはずなのに、底抜けの恐怖が膝を砕いた。

「……それで、目的は何だ。これはどこまでが思惑の内だ」

 けれど、転倒寸前の身体を、胴に回る腕が支えてくれた。恐怖に震える私は、お礼すら言えなかったけれど。

「そう買い被らないでおくれ。私は痕跡を追い、やっとこの街に辿り着いたところでね。この街で最も勢力を誇るのは、君達のようだから、接触を図ろうとしていたところに――」

「目的が自分から転がり込んできた、か。……で? 腕を取り返そうって腹かい」

「だとしたら、どうするんだい? 邪魔しようと言うのかな」

 ハイレインさんが試すように、挑むように言う。ひく、と喉が震えた。怖くて怖くて、どうにかなってしまいそうだった。

 このひとは、その気になれば私なんか一瞬で文字通りの塵に変えてしまえる。それは火や雷を前にして、教えられなくてもその破壊性を感じるような、直感的な理解だった。

「腕を奪われたのは貴様の落ち度だろう。それを棚上げにして、この娘を害すると言うのならば、させん」

 それでも、傍らから上がった声はどこまでも揺るがず、冷え切っていた。真っ先に感じたのは、純粋な驚きだった。ベイルさんだってハイレインさんの異質さや強大さを、分かっていないはずはない。なのに、今日知り合ったばかりの私を、どうしてここまで庇ってくれるのか。そんな義務も、見返りだってないのに。

「ふむ? 抗おうと言うのだね、この――竜たる私に。その意味が分からない訳でもないだろうに?」

「俺は物の意味が分からぬほど暗愚ではないが、矜持を持たぬ畜生の類でもない」

「その覚悟に免じて、退いてやろう。……だなんて、ご都合主義を期待してはいるまいね」

「ほざけ。楽観的な傭兵が、この世のどこにいる」

 応じる声は、強い。――でも、駄目だと思った。

 ハイレインさんには、どうやっても勝てない。ヒトがヒトである以上、絶対的に勝ち得ない。そういうものであると、予め定められている。そして、何よりもこれ以上、ベイルさんを、関係のない人を巻き込む訳にはいかない。

「待って、下さい」

 ありったけの意地と気力を掻き集めて、声を上げた。

 絞り出した言葉は、ひどく震えていた。情けないけれど、今だけはなけなしの意地を張ってみせなければならない。膝の笑う足を動かして、無理矢理に立ち上がる。

「……すみません、ありがとうございました」

 囁いた言葉への答えを聞くよりも早く、身体を支える腕から抜け出す。軽く息を吐き、顔を上げて、くっと胸を張る。

 見据えるのは、一時とて姿の定まらぬ、彼岸のひと。

「私が目的なら、私と話をして下さい。無関係の人を、巻き込まないで下さい」

 震えた声でも、どうにか注意を引くことはできたらしい。ハイレインさんが、深い緑色の双眸で私を見る。全てを見透かす神の目――そんな言葉を連想してしまう、眼だった。

ふと、ハイレインさんが切なげな表情で目を伏せた。

「名前は、お嬢さん」

「天沢、直生です」

 そう、とハイレインさんがかすかな声で呟く。再び私を見据えると、歌うように、祈るように続けた。

「聡明なお嬢さん、異界のお嬢さん。君の高潔さは、儚く美しい。それが君の命を奪わぬよう、私は祈るばかりだ」

 凛とした、一分の迷いもない口調。目が見開く。

 今、この人は「異界」と――紛れもなく、そう言った。どうしてそれを知っているのだろう。私の疑問を読み取ったのか、ハイレインさんは小さく笑って見せた。

「言ったろう? 私は君の身の上に起こった、およそ全てを知っていると。その上で、君に問おう。――取引をしないか」

「取、引?」

「そう、取引。怯えなくとも、私は君を害しはしないよ。君は被害者なのだからね。哀れにも異界から攫って来られ、優秀な――有用な兵器たれと虐げられ、地獄のような日々を生き抜いた」

 束の間、呼吸を忘れた。

 兵器。聞き慣れない、聞き慣れたくもない言葉。それが、私だと? 信じられない――信じたくなかった。

「本当に、よく生き延びてくれた。今、君を目の前にして、奇跡を見るような思いだよ」

 ハイレインさんの声は真実痛ましげで、慈しみに満ちていた。だからこそ、私は理解せざるを得なかった。このひとの話していることは、全て本当なのだと。

「亡骸になったとて、私達は膨大な魔力を持つ。用いれば、ヒトの国の一つ二つ、滅ぼすのも容易だろう。――けれど、私達がそんなものに力を貸す義理など、ありはしない。そもそも、死者を辱め、無辜の子供を虐げることが、どうして許されよう?」

「竜なら、手前でその目論みを潰しゃ良かっただろうに」

 ベイルさんの言葉に、ハイレインさんは緩く首を振った。

「あの痴れ者は、今や我らに匹敵する。口惜しいことに、空蝉では力が足りないのだよ。あくまでも、これは君達のような異種族と接触する為の分身であり、私そのものではない。そして、今の私は住処を離れることもできない状況にある」

「それで? 話は簡潔に済ませて欲しいもんだが」

「直生には、私の元へ足労願いたい。無事に妻の腕を運んできてくれれば、それと引き換えに元の世界に帰してあげよう。望むなら、願いを二つ三つ叶えてもいい」

 どうかな、とハイレインさんが首を傾ける。

「……分かりました。取引に乗ります」

 頷いて見せると、ハイレインさんは「ありがとう」と笑った。

 怖くてどうしようもないけれど、他に方法もないし、逃げることもできそうにない。逆に、こうして分かり易く、手っ取り早い解決策を出してもらえただけ、運がいいと思わないと。

「そして、〈鵺〉の君よ。君には直生の護衛を依頼したい。君の力は、私とて一目置くに値する。依頼が成功した暁には、君にも望む褒美を授けよう」

「依頼を受けるのはいいが、お前はどうする気だ。事態の元凶の一端を担いながら、知らん振りを決め込むつもりかい」

「そのつもりはないけれど、私も忙しいんだよ。あれが動き始めたからね。周りの被害を気にするような良心もないようだし。余計な被害を防ぐ為にも、色々と動かなければならないんだ」

 ……その言葉を聞いた瞬間、ある考えが閃いた。反射的に「ハイレインさん」と呼ぶ。緑色の双眸が、はっと私を見た。

「それ、もしかして、昼間のことですか? ……だったら、あれは、私を――竜の亡骸を狙ってたんだ」

 返事はない。でも、肯定がない代わりに、否定もなかった。

「お願いします、教えて下さい。私はどうしてこの街にいるんですか。自分で来られたはず、ないですよね」

 考えてみれば、ハイレインさんの話には、始めから不可解なところがあった。私がこの街に来る前、どこかで兵器としての訓練を受けていたとしても、自力で逃げ出せたはずがない。ハイレインさんですら手を焼く相手を、私が出し抜けたとは考えにくい。

「……私にも、分からないんだよ」

 溜息を吐いて、ハイレインさんは話しだした。

「私はずっとあれを監視し、君と妻を取り返そうとしていた。けれど、君を縛す呪いは強力で、手出しができなかったんだ。本当に、申し訳ないことだけれど」

「だが、今の直生は何も縛られちゃいねえだろう」

「つい先日、あれ自身が解いたんだよ。そして何を思ったか、いきなり君をこの島へ転移させた」

「何? そりゃ、自分から逃がしたってことかい」

「その通り。でも、妙なのはそれだけじゃない。直生、君はこの街に来るまでのことを覚えていないね?」

 唐突に挟まれた問いに驚きつつも、頷きを返す。

「やはり、君はあれの下で得た知識も記憶も、全て封じられているようだ。私には、あれの考えが分からないよ。自分で逃がしておきながら、自分でまた追っているんだから。それも周囲への被害を全く顧みないほど、形振り構わず」

 苦々しげに言うハイレインさんを見ていると、胃が軋むように痛んだ。嬉しくないけど、やっぱり推測は間違っていなかった。

「全く、大層な話だな」

 ベイルさんが呆れたように溜息を吐く。

「依頼は受けるが、商会にも話を通しておいた方が良さそうだ。説明責任もある、砦まで同行してもらうぞ」

「分かっているよ。元々、そのつもりだったからね。……話は終わったし、時間も惜しい。私は先に行くよ」

 そう言うや、ハイレインさんの姿は煙のように消え去った。跡形もなく。先に砦へ向かった。のかな……?

「帰るぞ」

 淡々とした声が聞こえ、はっと我に返って目を向ければ、ベイルさんはもう部屋を出ようとしていた。状況は予断を許さない。早く砦に戻らなければならないのだろう。

 ――けれど、一つだけ。言わなければならないことがある。

「あの、すみません」

 声を上げると、扉の外の様子を窺っていたベイルさんが無言で振り向いた。その目を見返し、意を決して口を開く。

「大変なことに巻き込んでしまって、すみません」

「お前のせいじゃねえだろう。竜が証言した以上、お前は完全に被害者だ。……そう言や、ハイレインは、『異界から攫って来られた』とか言ってたな。『夢じゃない』と言ったのは、だからか」

 夢――薄昏でのことだろうか。そんなことも言った気がする。ただ、何と答えるべきか分からずに困っていると、ベイルさんが扉を閉めて近づいてきた。目の前で足を止めた人の、私より頭一つ以上高いところにある顔を見上げる。

「竜は創造神と共に、世界を拓いた種だという。秩序と真理の具現、途方もない魔力と膨大深遠な知識を持つ。連中は偽りをなさない。それが必要なほど、弱くも愚かでもないからだ。故に竜が口にするなら、それは真実――事実でしか有り得ない」

 ベイルさんが、床に片膝をつく。私を見上げて紡ぐ声は、厳かに聞こえるほど静かだった。

「お前は、この世界じゃない、どこかから来たんだな?」

 まっすぐに注がれる眼差しの(あお)さは、まるで海のようだ。その深さに、呑み込まれるように圧倒される。

 言葉が声にならず、ただ頷きだけを返した。そうか、と頷いた後で、ひそめられた声が噛んで含めるように言う。

「いいかい、お前の存在そのものが、ある種の連中にとっては極上の研究材料になる。そういう奴らは、大抵倫理も常識も意識の外にある。実験動物にされると言えば分かるかい」

「分かります。……想像したくもありませんけど」

「全くだな。だから、警戒にするに越したことはねえ。素性に関する情報の一切は、今後滅多なことでは明かすな」

 はい、と頷くと、ベイルさんもまた小さく頷いた。

「良し。ひとまずは、翠珠系のメリノット人ということにでもしとけ。魔物の呪いを解く為に商会を訪ねたとでも」

 分かりました、ともう一度頷いてみせる。ベイルさんは立ち上がり、頭を掻きながら呟いた。

「穿角鳥の鳴き声に中てられたのは、竜の腕を埋められたことで極端に体内の魔力が増えて、制御を失いでもしたからか。過去には、制御もしてたはずなんだろうが……」

 はあ、と相槌を打つ。その辺りの事情は、全く分からない。

「推測に過ぎねえが、お前は竜魔力を利用する為、一種の生物兵器として鍛えられたんだろう。竜は亡骸でも断片でも、ヒトの手には余る。ハイレインじゃねえが、よく生き延びたもんだ」

 しみじみとベイルさんが言う。その過去に実感の得られない私は、ぼんやりと相槌を打つだけだったけれど。

 ふと頭に鋭い痛みが走り、目を閉じる。閉じた瞼の裏に、知らない景色が映し出された。


 鬱蒼とした森の中。木々の合間に、私を見下ろす二つの眼。縦に細長い瞳孔、青とも紫ともつかない色――桔梗色の虹彩。

『そなたの在り様は、ひどく歪だ。――だが、だからこそ、尊く美しい。良し、この身はそなたに預けよう』

 涼やかに囁くのは、鈴の鳴るような女の人の声。


 唐突に、左手で烈しい痛みが弾けた。慌てて目を開ける。左手を見ると、掌を貫通する傷跡がくっきりと浮かんでいた。

「何だ、そりゃ」

 怪訝そうに、ベイルさんが私の掌を覗き込む。

「今までは無かったろう」

 どくどくとうるさい鼓動を聞きながら、頷く。一体、何が。

「記憶どころか傷跡まで消してたのか。何を考えてやがるんだが……いや、考えても仕方ねえな。とっとと帰るぞ」

 肩を叩かれて、気を取り直す。

 そうして、私は再び砦へと戻ることになった。

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