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トランクィル・タワー【旧版】  作者: 奈木
幕間・二
68/69

花綻びる水底の晶つ宮・二

「うわあ、すごい透き通ってますねえ!」

 森の中を抜けて到着した湖は、水底の岩陰まで見通せるほど透き通っていた。よく晴れた空が水面に綺麗に映り込んでいて、カメラを持っていたら写真に撮っておきたいくらいの絶景だ。

「大きいなー。対岸、うっすらとしか見えないや」

 街一つ沈んでいるだけあってか、その予想を大きく超えた広さは、湖でなく海を見ているような気分にすらなる。そして、その規模からすれば当然のことなのか、畔からでは水底にあるという遺跡は、影も形も見えなかった。

「その分、探索の手間が掛かるがな」

 溜息混じりに言って、ベイルさんは近くに生えていた木の根元に鞄を下ろす。鞄を開けて取り出されるのは、水中での呼吸を可能にする魔導具のネックレスと、同じように水中での身動きを助ける靴で、二揃いのうちの一つが私に投げてよこされた。二つの魔導具の効果については、もちろん確認済みだ。

 持っていた箱を地面に置いて、受け取った靴に履き替える。ネックレスを首に掛けてから、髪飾りと髪留めを外して鞄の中に入れた。ベイルさんはそんなに脆いものじゃないと言っていたけれど、やっぱり身に着けたまま水に入る気にはなれない。折角もらったものなのだから、やっぱり大事に使いたい。

 とりあえず、これで大まかな準備は済んだ。この大陸には水着のようなものはないらしいので、ブラウスの上に羽織っていた上着を脱いでしまえば、もう終わりだ。

 さて、ベイルさんは――と思って顔を向けてみれば、普通に上を全部脱ごうとしていたので、

「ちょ、ちょっと待ったぁあああ!!」

 慌てて飛び付いて、脱ぎきられる前の服を掴む羽目になった。

「いきなり何だ、じゃれつきたいなら後にしろ」

「違いますーって言うか、分かってて言ってますよねえ!?」

 割と必死になって言い募ってみると、普通に舌打ちされた。

「えええ、その反応……」

「濡れるものは少ねえ方が、手間が掛からねえだろう」

 そりゃあもう、思いっきり面倒臭そうな顔で言われたので、溜息を吐くしかなかった。いくら何でも、こんな時までそんな合理主義を発揮してくれなくても……。

「じゃあ、その分は私が洗って干しますから……」

「へいへい」

 気のない返事をしながら、ベイルさんは脱ごうとしていたシャツを着直す。それから、念の為に盗難防止の結界を荷物の周辺に張り巡らせると、地面に置きっぱなしだった箱を取り上げた。長い腕が、軽々と小脇に抱える。

「あ、ベイルさん、箱」

 持っていきますよ、と言おうとすると、それよりも早く右手が差し出された。ぽかんとしていると、差し出された手が更に伸びてきて、私の左手を掴む。大きくて硬い手に、握られる。

「水の中を進むのは、初めてだろう」

「へ? あ、はい、そうですけど」

「だったら、どうせ荷物持ちをするような余裕はねえさ。大人しく手を引かれてついてこい」

 そう言って、ベイルさんは湖に足を踏み入れる。繋いだ手に引っ張られるように、私も透明な水の中に踏み込んだ。少しずつ深くなっていく浅瀬を、ベイルさんは無造作に進んでいく。

「でも、それ、私に任せるって――」

「さっき、俺はお前の要求を呑んだ。お前も一つ受け入れるのが道理ってもんだろう」

 取り付く島もない。ベイルさんは何だかんだ言って、いつも私が荷物を持とうとすると、それを取り上げてしまう。

「私、荷物も持てないほど貧弱じゃないと思うんですけど」

「そうだな」

「じゃあ、偶には」

「却下」

「……ベイルさんって、時々すごく頑固ですよね」

「お前にそれを言われるのは心外だな」

「ええ? 何ですかそれ」

 ものすごく抗議したい気分になったものの、いよいよ水が腰を過ぎて、肩が浸かるところまできてしまった。水に浸かっても呼吸はできると分かっていても、通常なら自殺行為そのものの状況に、ぞっとする。抗議がどうのこうのなんて考えは、一瞬でどこかに消えてなくなってしまった。

「うう、やっぱり手を繋いでもらって良かったです……」

 思わず、うめく。情けないけれど、そのお陰で大分気が楽だ。

「怖けりゃ、しばらく抱えてっても構わねえが」

「それはちょっと情けなさ過ぎるので、頑張ります……」

「変なところで妙な意地を張るな、お前は」

 呆れたような溜息。そのくせ、握った手を離す代わりに腰に腕を回して、抱き上げてくれちゃったりしてくれるのだから。ああもう、ほんとに――

「ベイルさんは頑固ですけど、それ以上に私を甘やかし過ぎですよね……」

 ここまで来てしまうと、さすがにこう、恥ずかしいというか、照れるというか、何というか。

「お前が甘やかさねえ分、釣り合いが取れてちょうどいいさ」

 さらりと言って、ベイルさんは器用に私を抱え直す。腕に座るような格好にされて、

「首にでも掴まってろ」

 ぐうの音も出ないとは、こういうことを言うに違いない。

 ほとんど自棄になって、ベイルさんの首に腕を回す。お陰で抱き上げてもらっているというより、抱き着いているような格好になってしまったけれど、水に沈んでいく恐ろしさに比べたら小さなことだ。……小さなことだと、思う。ことにする。

 恐ろしさが薄まった代わりに、ひどくうるさく鳴る心臓を抱えて、私は水の中に沈んでいった。




 湖の中は、しんと静まり返っていた。陽の光が燦々と差し込んでいるお陰で、少しも暗くない。降り注ぐ光はオーロラのようにきらきらと輝きながら水中を揺らめいて、その帯の中を銀の魚が泳いでいく光景は、幻想的ですらあった。

 見上げれば、水面はもう随分と遠い。ベイルさんの腕から下りて、その代わりにまた手を繋いでもらって。時々水草や砂に足を取られそうになるのを助けてもらいながら、ひたすらに明るい水底を歩いて――もう、どれくらい経っただろうか。

『不思議ですね』

 呼吸はできても声は届かないので、精神感応で話し掛ける。

『もう随分歩いてきたのに、全然暗くなってないです』

『並外れて透明度が高いからな。……いや、それも仕込みのうちか。水底に街を造るんじゃ、どうしたって地上よりも陽の光が届きづらくなる。街を造った奴は、それを解決する為に湖そのものに細工をしたのかもな』

『日光がよく届くように?』

『ああ。さすがに水底で農耕をしようとは考えちゃなかったろうが、何にしても陽の光は届くに越したことはねえからな』

『へえ……そう言えば、水の中に棲む魔物もいますよね?』

『中にはいるが、今回は心配する必要はねえ。この湖は、まだ旧い神の影響力が随分と残ってるらしい。神は殊更自分の領域を侵されるのを嫌うからな』

『勝手に排除してくれちゃう感じですか』

『そんな感じだな』

 のんびりと話をしながら、ひたすら進んでいく。

 水面を見上げても、遠すぎて何がどうなっているのか分からないくらい深くまで来ても、相変わらず辺りは明るかった。

『――あれか』

 ふと、ベイルさんが低く言った。握った手が持ち上げられて、前を示される。見てみれば、地上でもよくある街ごとぐるりと囲う壁と、そこに設けられた門が大きな岩の傍に広がっていた。

『かつては街を守る結界に保護されてたんだろうが、今となっちゃ見る影もねえな』

 ベイルさんの言う通り、壁も門も浸食が進んでいた。門には既に扉もなく、支えるもののない門柱だけが寂しく佇んでいる。近付いてみれば、壁も門柱も地上で見たどんな街よりも大きく重厚であることが分かった。だからこそ、旧時代から今に至るまで形を保っていられたのかもしれない。

 門柱の間を通り、街の中へと足を進める。通りの石畳はあちこちが水草や藻に覆われていたけれど、それでも歩けないほどでなく、敷石自体も大部分が砕けもせずに残っていた。

『ひえー、本当に街なんですねえ』

 通りの両脇に軒を連ねる建物は白い石造りで、地上の街並みとほとんど変わったところがない。門に近いこの辺りは、住宅街と言うよりも宿やお店が多かったところなのだろう。建物はどこかしら開放的な佇まいをしていた。

『旧時代って、何千年も前のことなんですよね。よくその頃のものがこんなにちゃんと残ってますよねえ』

『かつての神域だからな。ここまで来ても十二分明るいように、いくらか物理法則も改変を受けてるんだろうよ。――それはさて置き、どうだ。疲れたかい』

『あ、まだ大丈夫です。余裕!』

『そりゃ良かった。目的地は、街の中央の宮城だ。もうしばらく歩くぞ』

 大通りを真っ直ぐに進んでしばらくすると、また門に行き当たった。やっぱり扉はなくなってしまっていたけれど、最初に通ってきた門に比べても見劣りしないどころか、随分と立派なもののようだ。浸食が進んでぼやけたところはあるものの、門柱には細かい彫刻が施されている。柱から続く壁も、街を囲む外壁に比べると薄く、装飾性が強かった。絵が描いてあったらしい様子が窺えたり、色とりどりの石が嵌め込まれたりしている。

『ここから先が、宮城の敷地ですか?』

『らしいな』

 門の向こうには、これまでと同じように石畳の通路が敷かれた広い庭があり、噴水や花壇の跡があった。

『花の咲く場所は、壁も屋根もすべて透明な結晶でできた宮だというが……さて、どんなもんだかな』

 依頼を受けるにあたって、これまでに採取に来た人達が代々書き足し、修正しながら作ってきた地図をもらってある。

 その地図によれば、この街の中心部に位置するお城は、主に三つの建物で構成されている。街を守る兵士達の居場所である西の騎士塔、街を管理する官吏達の居場所である東の官吏塔、そして王であった神やその眷属達の住まう中央の王城。左右の塔――塔という名前ではあるものの、実際にはお城だ――も中央の城も、多少崩れているとはいえ、まだほとんどその形を留めていた。

『そのお宮、真ん中のお城の一番奥にあるんですよね。ここからじゃ、さすがに影も形も見えませんねえ』

『ま、さほど時間が押してる訳でなし。急がずにいくさ』

『はーい』

 とりあえず、左右の塔には関わらずにおくことにして、真ん中のお城に向かうことになった。探索してみたい気はしないでもないけれど、今回はそれが目的でもないし、我慢しておく。

近付いてみると、正門の鍵は壊れているらしく、扉は半開きになっていた。狭い隙間を擦り抜けるようにして、中に入り込む。

『ベイルさん、これも魔術ですか?』

 思わずそう訊いてしまうほど、お城の中は整然としていた。壁や床に色褪せた風はあるけれど、脆くなったりだとか、朽ちている様子は少しも見られない。

『魔術と言うよりは、主の遺志だろうよ。単に己の居場所をそのまま留めておきたかったのか、それともいずれ戻る腹積もりでいたのかは分からねえが』

 言いながら、ベイルさんは私の手を引いて廊下を進んでいく。十字路や丁字路に差し掛かった時も、その歩みには少しの淀みもなかった。もらった地図の内容なんて、とっくに頭の中に全部入れてしまっているのだろう。

『花の咲いてるお宮は、確か、玉座の間の近くでしたよね』

『ああ。玉座の裏を抜ければ、すぐだとは書いてあったな』

『敢えて玉座の間からってことは、やっぱり『万病に効く霊薬』だから、大事にされてたんでしょうか』

『さて、その話もどれだけ本当のことやら分かったもんじゃねえが。単に趣味だったんじゃねえか、城主の』

『実益を兼ねた』

 かもな、と言って、ベイルさんは足を止めた。

『ここが玉座の間だ』

 目の前には、今まで通り過ぎてきたどの扉よりも大きな扉があった。正門と同じように、私達を誘うかのように、少しだけ開いている。扉の隙間から中に入ると、真っ先に真っ青な光が目に付いた。思わず目を細めてしまうくらいの、煌々とした輝き。

 薄く透き通った白い結晶で形作られた玉座の、その向こう。壁の中ほどから高い天井までの一面に青いステンドグラスが嵌め込まれていた。大きな花が咲いたような構図は、ヨーロッパの教会にでも迷い込んでしまったような気分にさせる。

 青と白の濃淡だけで描かれた青い大輪の花は、光を集める魔術が掛かっているのか、それとも自ら光っているのか、眩いばかりに玉座の間を照らし出していた。

『ちょっと眩し過ぎますけど、綺麗ですねえ』

『眩し過ぎて邪魔だ』

 ばっさりと切り捨てる言葉に苦笑しながら、ベイルさんの手を離して、玉座に近寄ってみる。見上げた青い光に照らされた白い椅子は、内側から光っているようにも見えた。

 玉座は雛壇のような段の上に据えられていて、床より大分高いところにある。王様が座るのだから、やっぱり他の人と同じところにある訳にはいかなかったのだろうか。

『ここに、神様は座ってたんでしょうか』

『その可能性は高いんじゃねえか』

 ベイルさんは玉座に見向きもせず、ステンドグラスの壁に近付いていく。何やら探しているようだったので、その辺りに花のある宮へ続く道が隠されているのかもしれない。

『ベイルさん、お手伝いしますかー?』

『いや、そこにいていい。しばらく休憩だ。好きにしてろ』

 その言葉は、要するに「玉座が気になるなら見ていていい」ということなのだろう。ベイルさんはいつも、大体私の考えていることはお見通しだ。嬉しいやら悔しいやら、ちょっとだけ複雑な気分、という本音は、まあ、今は呑み込んでおくことにして。

『ありがとうございまーす』

 お礼を言って、歩き出す。目的地は、もちろん決まっている。

見上げた先の、青く光り輝くような白い椅子。おそらくは旧時代からそのまま残された、神々の遺物。

(こんな経験、二度とできないだろうし)

 そりゃあもう、座るしかないじゃないか、と。好奇心の権化となった私は思うのだ。と言うか、神様が座っていた、なんて言われたら、座ってみたいと思わないでいる方が無理だ。

 ひっそりと段を上り、いよいよ光り輝く椅子の前に立つ。近付いてみると、椅子の肘置きや背もたれには、細やかな彫刻が彫られた時そのままのように、くっきり残っていることが分かった。触ってみようかと思い、さすがにそこまで馴れ馴れしいことはいけないかと、今更なことを思い直して止める。

(失礼しまーす……)

 今やその言葉を聞くひともいないけれど、一応断ってから、白い椅子の端に座ってみる。――けれど、

(……。…………。……うーん)

 何と言うか、普通に普通だった。

 水の中に浸かっているからか、少しひんやりしてはいる。けれど、それだけで他は何の変哲もない、硬い石の感触。椅子以外の何物でもない、本当にただの椅子だった。神様が座っていた椅子だから、ひょっとしたら何かあるかもしれないと思いきや、

(期待は裏切られた)

 まあ、私が勝手に期待しただけなのだから、裏切られたも何もないのだけれど。それでこの玉座の価値が変わる訳でもないし。

 そんなことを考えながら、青く照らし出されている玉座の間を眺める。大昔に神様が見ていたものと同じ景色を見ていると考えると、座っている椅子自体の普通さとはまた別に、何とも言えない不思議な気分になった。

 この街を造ったという神様も、ここで青い光を浴びながら、謁見に来た人と話したりしたのだろうか。随分と大きな街だったようだから、その頃はきっと住人もいっぱいいたに違いない。毎日たくさんの人が、この間を訪ねてきたりしたのかも。その人達をこの玉座の主は、どんな顔をして迎えていたのだろう。

 ……まあ、少なくとも、私のように座って足がつかないということだけはなかったはずだ。大きな玉座は、まだ成長期が終わっていない――はずだと信じたい――私には、少し大き過ぎた。空しい気分で宙に浮いた足を揺らしていると、


「そうか、ついに彼の神も決断されたか」

「ええ、最早一刻の猶予も許されぬと」


 知らない声が、聞こえた。

 風なんか吹くはずもないのに、ざあっと風の流れた音を聞く。


「五帝――否、正しくは白帝の君を除いた四柱でございますが、その暴虐は目に余るとの仰せで。白帝の君も、神とそれに連なるものはこの地を荒らし過ぎた罪科故に、等しく眠りにつくが相応だとのお考えでいらっしゃいます」

「ならば、是非もない。我らも従おう。無念がなくはないが、裁定には従わねばならぬ。彼の神は、遍く全ての母にして最も高き神なる故に」


 その日、ラコンテ湖はよく晴れていて、この街も暖かな日差しに照らされていた。玉座の間を照らす青い光も、今日ほど眩くはなく、柔らかく優しく満ちていた。

 玉座に座る王は、まだ若い青年の姿をしていた。嘆きの色の濃い面差しで溜息を吐き、傍らに控える青年を見やる。


「民には、この街を放棄するよう伝えよ。我らが消えては、この街も長くは持たぬ。街と共に滅びては、決してならぬと命じよ」

「承りまして。――晶つ宮の花々は、如何なさいます」

「ああ……。そうだった、あれがあったな。あれは、遺しておこう。時と共に、いずれ霊薬の素としての力は薄れようが、癒しの力は消えはせぬ。後の世でも薬にはなるはずだ」

「では、後世に残せるよう手配を」

「そうしてくれ。くれぐれも、宜しく頼む。この地に勝手に都を造り、そして勝手に去る、至らぬ主からのせめてもの詫びだ」


 そう苦笑して、この街の主は忠実な片腕と共に去った。

 ――そんな光景を、幻視した。

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