花綻びる水底の晶つ宮・一
「花綻びる水底の晶つ宮」は2014.11.23発行同人誌内容のWEB掲載版であり、加筆修正などは行っておりません。
悪しからずご了承くださいませ。
その昔、神代のこと。
水底に栄えた都の奥つ城には、万病に効く霊薬の花が咲いていたという――
* * *
大陸の南方――翠珠王国の東、ホヴォロニカ連邦の南に位置する王国の名前を、メリノットという。その国土の八割は平地と緩やかな丘陵に占められ、気候も温暖、四番目の月――飛鳥の月にもなれば、ほとんど夏のようだった。
それでも、この春から私が住むようになった翠珠に比べると、格段に過ごしやすい。砂漠の国である翠珠は、一年通して暑いのだ。隣だとは言え、やっぱり違う国なのだと今更に実感する。
「アスセナ」
後ろから呼ぶ声がして、はっと我に返る。呼ばれた名前が自分のことだと気が付くのに、一瞬の間。
アスセナ・リーリオ・フレスノ。それが、私の今の名前だ。
元々の私の名前は天沢直生といって、この大陸では珍しい響きに聞こえるものだった。それもそのはず、私はこの大陸がある世界とは文化も言葉も全く違う、日本という国で生まれ育った。それがちょうど一年ばかり前、問答無用でこちらの世界に連れて来られて、色々な事情や騒動に巻き込まれた。その大変な騒ぎを解決するのに大体半年くらい掛かって、去年の終わり頃に日本に帰り――十六歳の誕生日を目前にした今年の初めにまた、この大陸に戻ってきたという訳なのだ。
その時に名前を改める必要があって、この新しい名前をくれたのが――
「はい、何ですかベイルさん」
振り向いた先の、私より頭二つ分は背の高い男の人。
黒髪に黒い眼、更には肌まで浅黒い私とは全く違う、短い金髪に眇めたように細い藍色の眼の、その人こそが「アスセナ」の名付け親にして後見人であり、「直生」の生涯の恩人だ。
ベイルさんは、フルネームをジョシュア・ベイルという。いつもベイルとしか名乗らないので、フルネームを知ったのは、実はつい最近だ……というのは余談なのだけれど。
ベイルさんは私が日本に帰る手助けをしてくれた人で、その時の縁で今も私の面倒を見てくれている。翠珠の王家にも縁の深いアルトゥール商会という会社? に所属する傭兵で、十五ある傭兵部隊の第一部隊の隊長を務めるくらいに腕が立ち、その上とんでもなく博識であるという、そりゃーもう反則というくらいのすごい人なのである。私より十五年上だそうだけれど、十五年経っても同じようになれる気は、全くしない。
また、この大陸で言う「傭兵」は、もちろん雇われて戦う人なのだけれど、用心棒や賞金稼ぎであったり、危険地帯の探索者であったり、広い意味を持ってもいる。ベイルさんは「仕事だと言われりゃ、何であろうとやるだけだ」と言うけれど、ここ数ヶ月お仕事に同行させてもらった結果、何となく遺跡とかそういったものの探索が好きなんじゃないかなあと思わなくもない。
「じきに依頼主の村に着く。依頼内容は覚えてるかい」
そのベイルさんは、いつも無表情で、抑揚のない声で話す。
それは商会での会議の時も、依頼主との交渉の時も、鬱蒼とした森の中に敷かれた道を目的地に向かって進む今でも、全く変わることがない。
「ええと、湖の底に旧時代の都市の遺跡? があって、そこの探索……ですよね」
「60点」
「え? 他に何かありましたっけ!?」
「正しくは湖底都市の探索でなく、そこに咲く花の採取だ」
「あ……そうでした。花を摘む、んですよね。湖の底の、遺跡の中にしか咲かない花。採取には専用の保存容器が必要で、それは依頼主の人から貸してもらえる」
「正解。依頼主の住む村と、探索先の湖の名前は?」
「村はエカイユ村で、湖の名前はラコンテ湖」
「合格」
背後から伸びてきた手が、ぐしゃりと頭を撫でる。大きな手でそうされるのが、実は結構好きなのだとは、恥ずかしくて言えないのだけれど。
ベイルさんは私がこの大陸での新生活に慣れてきた頃――一番目の早花の月が終わろうとしている時から、こうして私を傭兵の仕事に同行させてくれるようになった。さっきの問答も、いつもお決まりの確認だ。
この大陸には魔物という、人や動物を襲う危険種がいて、国同士の戦いや盗賊や山賊との遭遇も、恐ろしいことにそれほど珍しくはない。だから、戦えるに越したことはなくて、ベイルさんが仕事に一緒に連れて行ってくれるのも、社会勉強と鍛錬を兼ねてのことなのだろうと思う。……多分。
「今回の依頼の期日は十日後。その後から七日ばかり休みを取ってきたから、とっとと終わらせて休暇に入るぞ」
「な、七日!? そんなお休みもらって、大丈夫なんですか?」
ベイルさんは第一部隊の部隊長をしているので、もちろん忙しい。それに第一部隊は不得手のない、総合的に能力の高い人が揃っているので、何かと難しい依頼が回ってくる傾向もある。ベイルさんは回されてきた依頼の振り分けや管理が特に上手だから、管理部――持ってこられた依頼や報酬を管理する部署だ――の人達は、今頃頭を抱えてるんじゃないだろうか。
しかも、達成期限にかこつけて、早く依頼を終わらせることで実質的に休暇を増やしてしまおうという魂胆。この思惑全てを知ったら、管理部の人はいよいよ卒倒してしまうかもしれない。
「管理部の人に、何かこう、注意とかされませんでした?」
「今まで休んでなかった分休んだところで、文句を言われる筋合いはねえな」
しれっと、ベイルさんは言い放つ。
要するに、それは文句を言われたけど無視した、ということなのではないだろうか。うーん、これはきっと、かなり恨まれている気がする……!
「……許してもらえるか分かりませんけど、お土産、いっぱい買っていきましょうね」
「別に許してもらわなくとも構わねえが」
「駄目ですってば!」
「へいへい。――ああ、湖が見えてきたな」
微妙どころじゃなく話を変えられたのは分かっていたけれど、指で示された方を見れば、確かに森の開けた先に広大な水面が輝いているのが見えた。
エカイユ村は、湖のすぐ近くにある小さな村だった。
子供達の遊ぶ声が村の外にまで聞こえてきていて、こういう状況を牧歌的と言うのだろうな、とちらり思う。村の外周はぐるりと木の柵で囲まれているものの、その柵に連なる門を守る人達にも緊張した風は見られず、身分を明かして村長さんに取り次ぎをお願いすると、すぐに対応してもらえた。
門番の人は二人いて、案内を請け負ってくれたのは壮年の人の方だった。門番の人の先導で案内されたのは、村の一番奥に構えられた大きな家で、その軒先では一人のおばあさんが花壇の花に水をやっていた。門番の人はおばあさんの姿を見つけると、ぴしりと姿勢を正してから呼び掛けた。
「村長、来客です」
あら、とおばあさんが驚いたように手を止める。
「依頼でいらっしゃった、傭兵の方かしら」
「はい、翠珠から来たと」
「それなら、間違いありませんね。――申し訳ありません、お出迎えもせずに。ようこそ、エカイユへお出でくださいました」
丁寧な所作で私達に向き直り、おばあさんは頭を下げる。
どうやら、このおばあさんが村長さん――依頼主らしい。真白い髪を結い上げた、背中のしゃんと伸びた姿の綺麗な人だった。
「アルトゥール商会の、傭兵殿ですね。私はこの村の村長を務めております、フェリシーと申します」
「翠珠王国は粋蓮島、アルトゥール商会から派遣された、ベイルと申す。これは助手のアスセナと」
これは、と指で示されたので、合せてお辞儀をしてみる。
「あらまあ、これは可愛らしいお嬢さんですこと。よろしくお願いしますね、アスセナさん」
変わらない笑顔で、村長さんはそう言ってくれた。可愛らしいお嬢さん、の言葉に、思わず少しにやけそうになる。
非常に残念なことに、私はこれまで男子に間違えられることが多かった。それはあんまり起伏に富んでくれない体型のせいだったのかもしれないし、短かった髪のせいだったのかもしれない。本当のところは分からないし、知りたくもないけれど、十六歳の誕生日にベイルさんに「髪でも伸ばしてみたらどうだ」という提案を受けたこともあって試みてみたところ、効果は劇的で、男子に間違えられる回数は驚くほど減った。
……まあ、単にベイルさんが誕生日にくれた、緑の結晶細工の花の髪飾りのお陰とか。この前やっと髪留めが使えるくらいに伸びたからと買ってくれた、薄紅の石を使った髪飾りのお陰じゃないかと言われたら、それは全く否定できない気もするけれど。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
ともかく、緩みそうな頬を無理矢理引き締めて頭を下げると、村長さんは目じりの皺を深めて頷いてくれた。
「それでは、中で詳しいお話をさせて頂きましょうか。――アルバン、ここまで案内をありがとう。もう戻って大丈夫ですよ」
「いえ。それでは、仕事に戻ります」
軽く礼をしてみせると、門番さんは村の入り口へ戻って行く。門番さんを見送った後で、私達はいよいよ村長さんの家へ招かれることになった。
明るい陽光の差し込む窓辺には、花瓶で黄色い花が活けられていた。綺麗に整頓され、掃除の手の行き届いているらしいリビングは埃一つなく、ふわりと甘い花の匂いがする。部屋の中央に据えられた大きなテーブルを囲む形で、村長さんが自ら淹れてくれたお茶を頂きながら、打ち合わせは始まった。
「この辺りには、昔から言い伝えがありましてね。神代の頃、湖――水底の都には万病に効く霊薬の花が咲いていたと」
「ま、万病ですか?」
「ええ、言い伝えでは。ひょっとしたら、当時は本当に万病に効く霊薬になったのかもしれませんね」
穏やかに笑って、村長さんはお茶に口をつける。
「私どもでは万病に効く霊薬は作れませんが、この地方で流行る熱病の特効薬の原料として重宝されるのですよ。ですので、今の季節の内に採取をお願いしたいのです」
そういう次第で、依頼は出されたらしい。
一通りの説明が終わると、これまで黙ってお茶を飲んでいたベイルさんがカップを置いて、口を開いた。
「花はどれほどの数が入用で」
「保存容器に入るだけお願いしたいのですけれど、もしそれで採り尽くしてしまうようでしたら、自生している半分は残しておいてくださいな。花は根を残して、茎と葉ごとで」
そう言って村長さんは「失礼致しますね」と席を立ち、部屋の隅の小机の上に置かれていたものを持ってきた。
テーブルの上に置かれたのは、細長く四角い物体――透明な箱だった。ガラスなのか、他の何かなのか、全ての面が無色に透き通った材質で作られていて、角の繋ぎ目だけが金色の金属で補強されている。ざっと目で測ったところ、私なら両手でやっと抱えられるくらいの大きさで――つまり、かなり大きかった。
「こちらが、その保存容器です」
「これに入るだけの量、と」
「ええ、かなりの量になるでしょう。申し訳ありませんが、よろしくお願い致します」
「依頼として受諾した以上、完遂するのが我々の役目だ。謝罪は無用。委細、確かに承った。――アスセナ、行くぞ」
箱を一瞥したベイルさんが、席を立ちながら言う。村長さんが驚いた風で目を瞬かせた。
「今から向かわれますか? 今日はゆっくりお休みになってからの方が良いのでは」
「気遣い有難く頂戴するが、まだ昼を過ぎて間もない。活動するには充分な時間が残っている」
そう言うとベイルさんは座っていた椅子の足元に置いていた荷物鞄を私の分まで肩に掛け、ついでに机の上の箱まで持って、一礼してみせるや、外へ出て行ってしまった。目を白黒させる村長さんに、私も軽く頭を下げてから、立ち上がる。
「ええと、その、私達も旅には慣れていますから、本当にこれくらいどうってことないんです。なので、これで失礼して、湖の方に行ってきますね。お茶、ありがとうございました」
「え、ええ……では、お願いしますけれど、どうかご無理はなさらないでね」
はい、と頷き返して、私もベイルさんに続くべく家を出る。先に行かれてしまっていたらどうしよう、と思ったのだけれど、ベイルさんは玄関先で待っていてくれた。
「鞄か箱か、どっちか持ちましょうか?」
「なら、箱を頼む。落として割れるような造りにゃしてねえだろうが、一応落とすなよ」
「りょ、了解です」
そう言われると、何だか責任重大だ。慎重にベイルさんから箱を受け取り、来た道を二人並んで歩き出す。
門に向かうには、途中で中央広場を通る必要がある。小さな村では噂が広まるのも早いらしく、案の定、広場に差し掛かると物珍しげな視線があちこちから投げられた。遊んでいた子供達が、特に熱の篭った眼差しを投げているのは分かっていたけれど、ベイルさんがいつも通り全く関心を見せずに進んでいくので、私も足を動かすのに専念することにした。
背中に突き刺さる視線を振り切るように広場を抜け、窓の中から店主が首を伸ばして表を窺っている鍛冶屋と商店の前を通り過ぎて、やっと再びあの門の前へ到着する。
私達の姿を認めると、門番の人達は驚いた顔をしたものの、何も言わずに門を開けてくれた。目的の湖には、森の中の道を南へ十分も歩けば到着するのだと教えてもらって、村を出る。
森の中の道は、雑草を切り払い、地面を踏み固めただけのものながら、思いの外に広く、しっかりしていた。うっすらと轍の跡もあったので、荷車の行き来でもあるのかもしれない。
その道を、村の門が見えなくなるところまで進むと、
「……はあ」
自然、溜息が出た。
「どうした、溜息なんぞ吐いて」
「帰り道の注目され具合、ひどかったなあ、って」
疲れました、とぼやけば、隣で肩をすくめる気配。
「田舎で、娯楽が乏しいんだろう」
「だからって、ひとを娯楽にされても困りますけど」
「そういうものだと、割り切るより他にねえさ」
「そういうものですか……。あ、そうだ、ベイルさん」
「ん」
「旧時代って、そんなに今よりももっと魔術が発達? 進歩? してたんですか?」
危うく忘れるところだった質問を思い出し、問い掛ける。ベイルさんは私を見下ろすと、小さく首を傾げた。
「別に、そういう訳でもねえが――どうした、いきなり」
「だって、湖の底に遺跡……都でしたっけ、その跡があるってことは、そこで人が生活してたってことですよね?」
「ああ、なるほどな。今じゃそんな芸当できやしねえから、それをしてた昔の方が、ってことかい」
そういうことです、と答える代わりに頷くと、ベイルさんは私に向けていた目を前方へ戻して、少し考える素振りを見せた。
「さて、どう説明したもんか……。技術云々じゃなく、単に個人の能力の問題と言うかな――旧時代と今の、一番の違いが何かは分かるな?」
「神様がいるか、いないかですよね。旧時代は神様がいっぱいいて、その神様が全員封じられて、今の時代が始まった」
「そういうことだ。神と呼ばれる連中は、最下級でも竜に比肩する力を持つ。湖の底の都も、そいつらが造って維持してたんだろうさ。技術の劣化があった訳じゃねえ。その技術を使い得る奴がいなくなっただけのことだ」
「技術自体は、残ってるんですか?」
「残ってると言うか、どうやって作るか、維持するかだけなら、難しい話じゃねえだろうよ。例えば、湖底に街一つ抱え込めるだけの規模の結界を張って、内部の空間を整える。水と空気を入れ替えるだとかしてな。後はそれを維持し続けさえすりゃ、街を造ること自体は容易だろう。移動には転移が使えるからな」
「でも、結界の維持って、それ、毎日ですよね」
「当然。一日一月一年、常に休むことなく。さもなきゃ、水底の都は圧し潰されてぺしゃんこだ」
「……昔の神様は、それを一人でやれてたんですか?」
「それこそ、呼吸をするように容易く、って話じゃあるがな。伝承によれば」
「はー……とんでもないですねえ。そんなじゃ、今の時代にない訳ですよねえ。無理ですもん、そんなの」
今の時代でやるとしたら、凄腕の魔術師が十人いて、やっと湖の底に結界を張りきれるくらいだろう。街の造成には転移が使えると言っても、結界の維持をする魔術師の手を割くことはできないだろうから、また別の人員が必要になる。そこから先の長期的な維持となると、更にどれだけの人数が必要になるのか、見当もつかない。
「ま、そういうことだな。ヒトの手でやるなら、どうしたって膨大な資源を費やすことになる。維持すること自体も容易じゃねえし、それに見合う価値を上げられるかは怪しい」
「そんなに大変なのに、何で昔の神様は湖の底に街なんて造ったんでしょうねえ」
「さあな。単にやったらできた、って話でも驚かねえが」
「さすがに、それはないんじゃ……」
そう言ったところで、ベイルさんは「どうだかな」と肩をすくめるだけだった。相変わらず、神様や竜の話になると反応がいつにも増して素っ気ない。




