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トランクィル・タワー【旧版】  作者: 奈木
第六章
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最果てに至り・十一

「すみません」

 震える声で謝りながら、知っている術を全て尽くして治療を始める。ベイルさんの背中は、凄惨に焼け爛れていた。どうにか傷は癒せても、きっと、その痕までも消すことはできない。

「何を謝る。俺が礼を言うことはあっても、お前が謝ることはねえだろう」

「いいえ。剣を向けました。義手を壊して、この傷も」

「これは俺の手落ちだ」

 助かった、とベイルさんが身体を起こす。その動作には少しの淀みもない。けれど、

「あ、まだ」

「もういい、十分だ」

 立ち上がったベイルさんが腰を屈めて手を差し伸べる。少し躊躇ったけれど、素直にその手を借りて私も立ち上がった。

「ハーデの攻撃が止まってるな」

「ハイレインさんが止めててくれたみたいです。エンデもそれを察知して、先に向かってくれて」

「そうかい。――で、もしかしねえでも、全部覚えてるかい」

 何を、とは言わない。それでも、分かった。

「兵器に心はいらない。心を壊すなら、目を背けさせては意味がないでしょう」

 苦笑して言えば、そうだな、と溜息。

「気にするな、と言っても無駄かい」

「無駄ですねえ。義手は、いつかきっとその分を返しますから、他に何か考えておいてください。償いになること」

「嫌」

「っていうのは、なしで」

 先回りして言うと、ベイルさんが眉間に皺を寄せる。

「お願いしますね」

「はいはい」

 明らかに気のない返事は、どうにも信憑性が薄かったけれど。ともかく、周囲に漂う魔力に干渉、身体を宙に浮かせる。宙を走り出して目指すのは、当然エンデが先行している戦場だ。

「やっぱり、強いですよね。ハーデさん」

 ああ、と並走するベイルさんが頷く。

「それでも、私は一人で戦いたかった」

「身の程知らずにも」

 淡々とした響きの、厳しい言葉。また、苦笑するしかなった。

「そうですね。身の程知らずにも、です」

「舐められたもんだ」

「そういうつもりじゃ、なかったんですけど。ただ、」

 辛い思いや、苦しい思いをして欲しくなかったのだ。その為なら、多少の無茶や無謀も試みずにはいられない。

 ――そんな気持ちを、何と呼ぶかは知らないけれど。

「ただ?」

「何でもないです」

「……一時の感情で、戦場を眺める目を曇らせるな」

「です、ね。それで失敗したら、それこそどうしようもないですもんね。……なので、少し妥協することにしたんです」

「ほう」

「一緒に、戦ってください」

 傍らを見上げて、言う。つ、と持ち上げられる口角。少しシニカルな笑い方。暖かな右手が、ぐしゃりと頭を撫でた。

「最初っから、そう言っときゃ良かったんだ」

 その言葉が嬉しくて、私もただ笑った。



 吹き荒れる暴風が骨竜の身体を軋ませ、自由を奪う。その一瞬を突いて、エンデの放った鏃が横合いから鼻面を力任せに弾き飛ばした。やっとで生まれた間隙を縫って、私とベイルさんは骨竜の守りの奥へと跳ぶ。

 迎撃に迸る黒い炎。隣を窺えば、頷きが返された。前へ跳ぶ。鱗で鎧われ、刃に似た爪を備えた左腕を翳す。

夜明けの光り(イラキ・オネ・カォー)朝焼けの兆しイサズ・イコ・ネカヤサ払暁の刻にイニ・コト・ネ・カォー夜は去り(イラ・サ・フロィ)

 銀に煌めいて迸る水流が、黒炎を巻き込んでゆく。押し返そうとする炎を、量に物を言わせて押し切った。

 渦が奔った後には、ぽっかりとした空間が残り、

『露払いご苦労』

 絹糸のような白金の髪をなびかせて、漆黒の影が駆けてゆく。間合いを詰めたベイルさんの剣は、いきなりハーデさんの左肩を断った。けれど、落ちた左腕はまたひとりでに癒着し、血の一滴すら流すことはない。ハーデさんが両手に黒炎を携えて振りかぶる。その瞬間、艶めく糸が両肩に絡んだ。この気配は――玄鳥さんだ。黒銀の鋼線は炎が放たれる寸前に腕を切断し、暴発した炎が視界を汚す。目を凝らして炎を透かし見ようとしていると、

『注意力散漫。頭を下げろ』

 頭の中に直接飛び込んできた指示。慌てて背中を丸めると、頭上を紅蓮の炎が焼いた。燃え盛る赤色を従えた、流星のように奔る青い槍。心臓を穿ち、ハーデさんの細い身体を炎で押し包む。

「鬱陶――しい!」

 ハーデさんの怒号。切断された両腕が元に戻るや、払い除ける仕草一つで、炎は跡形もなく霧散した。苛立った表情で胸から槍を抜くと、流れるような動作で投げ返す。

「――おわっ、シェル、受け止めろ!」

「後始末を人に任せるな」

 どこか緊張感の欠けた会話に、つい笑ってしまう。探査術式によれば、どうやら槍もシェルさんの作った岩に突き刺さって、被害は出ずに済んだみたいだ。飛行手段を持たない三人が飛んでいるのは、ハイレインさんのお陰だろうか。

「形勢逆転、だな?」

 笑い含みの声。ハーデさんの背後に現れ、その腹部を手刀で貫いた、長い二角を抱いた影。

「魔祇ごときが、笑わせる!」

 ハーデさんの身体から黒い炎が迸る。さすがにジヴルも手を引いて逃げるしかなく、大きく跳躍して距離を取った。

「この程度で、私を追い詰めたって? 舐めないで欲しいね」

 暗く、翡翠の双眸が光る。骨竜が吼える。迸るのは、空を一面塗り潰す黒色。暗雲じみたその色彩から、無数の魔物が産み落とされる。途方もない規模の転移術式。

『まだこれだけの余力を残していたなんて――いけない、アーディンが! 何人か借りるよ!』

 ハイレインさんが叫び、シェルさんとヒューゴさん、玄鳥さんの気配が離れた。暴れる骨竜は、魔祇の二人が抑えている。そして、ベイルさんは――敢えて確かめなかった。

 憎悪の具現、呪いじみた魔力の奔流を恐れて、逸ったのだと思ってくれればいい。うなじを突く精神感応術式に気付かなかった振りをして、跳ぶ。ベイルさんの頭上を越えて、その向こうへ。

「君が、私を滅ぼすか!」

 爛々と光る眼で嗤い、ハーデさんが待ち受ける。

「いいえ。ただ、あなたを止めたい」

「戯言を。正面からとは――玉砕覚悟かな」

 迫る黒炎を断ち斬り、突進。

 命を捨ててなんかいない。惜しくない訳じゃない。

「死ぬつもりはありません。でも、退かない」

「私だって、そうさ。目的の為には!」

「でも――だから、譲り合うことはできない。戦うしか、ないんでしょう」

 視界を覆う黒い炎を、左手の爪で引き裂く。雨あられと放たれる炎の弾幕を、強引に突っ切る。追い付かれる前に、辿り着かなくっちゃ。

「君はどうして、いつも諦めない? 私が消えても、君が得てしまったものは消えない。恐ろしくはないのかい」

「恐ろしいです。死んだ方がいいのかとも、思いました」

「ならば、何故!」

 大きな炎の塊が、左肩を打つ。ごきり、と嫌な音がした。ぶらりと感覚を失って垂れ下がる腕へ魔力を注ぎ込み、無理矢理動かす。痛みなんて、知らない。

「死ぬのも怖い、のもあります。けど、生きたいと思って、それを許してくれる人がいたので」

「……惚気じゃないか」

 溜息のような呟き。その瞬間、ほんの少しだけ弾幕が薄くなった。痛む左腕を伸ばして、痩せた肩を掴む。長く伸びた爪が食い込んだ。その時、ハーデさんが初めて、痛そうな顔をした。

「でも、たった一人でもそう言ってくれる人がいるなら、生きていけると思うんです。そんな人、いませんか?」

「知らないね、そんなこと。……全く、いつも君はきれいな言葉ばかり口にする。憎んだことは無いのかい。世界も、国も、何もかもが私は憎いよ、憎くて堪らない。私達を虐げ、使い潰し、挙句、彼女を――」

 肩を掴む腕から、流れ込む記憶。

 血に染まって散らばった、滑らかな緑色の髪。悲しげな細面の死に顔。その亡骸に縋り、慟哭するのは紅い髪の、

「それがお前の妄執か」

 背後から響いた声に、はっと我に返る。抵抗を許さない強さで襟首が引っ張られて、ハーデさんから引き剥がされた。

「竜を従えて、あれを蘇らせでもするつもりか」

「そんなことに興味はありません。彼女の結末を覆すのは、彼女への侮辱だ。私の目的は、今も昔も変わりはしない。何もかも壊し滅ぼし尽くしてやる。五帝が目覚めようが、不知火の国が溢れようが、そんなことはどうでもいい。人が生きるのに犠牲が要るとして、どうしてそれを私達だけが背負わねばならないのか。そんな不条理を、決して許しはしない」

 滴り落ちそうな憎悪の言葉は、禍々しい悪意を孕んだ風となった。奔る暴風は、いとも容易く私達を放り出す。どうやら、まず私達を粉砕することにしたらしい。降り注ぐ漆黒の炎があるかと思えば、あろうことか二人の魔祇を振り払った骨竜が、その顎をこちらへ向けようとしている。溜息交じりに、私を抱えたままベイルさんが姿勢を立て直そうして、

「本当、悪趣味だわ」

 聞こえるはずのない声が聞こえた。

 ひょう、と音を立てて流れた風が、竜の頭を殴りつける。上空からの容赦ない一撃に、竜は均衡を失って大きく頭を泳がせた。

「ヒメナさん!?」

 ぎょっとして振り返れば、艶やかに微笑む美しい人。

『増援か、ナオ?』

 竜を追い駆け、追いついてきたジヴルの問い掛けに、肯定の思念を送り返す。ヒメナさんのことを知っているエンデは、既に竜への猛攻を再開していた。巨大な骨を地面へと縫い付けるかのように、巨大な杭が打ち付けられる。

 その光景を横目に、ヒメナさんは「少しは話す余裕もありそうね」と片頬で笑う。

「ごめんなさいね。本当なら、もっと早くに駆け付けるべきだったのだけれど」

『隊長、遅くなって申し訳ありません、助太刀です』

 頭の中に響くのは、テオドロさんの声。

 沈黙を保っているベイルさんと、まだ状況を飲み込めない私を見比べると、何故かヒメナさんはにっこりと笑った。

「……何をニヤニヤしてやがる」

「別にい?」

 おどけるように言うと、一転してヒメナさんは骨竜へ鋭い眼差しを向けた。二人の魔祇の猛攻撃で、戦況は再び一進一退の膠着状態に戻っている。ハーデさんの追撃がないのも、テオドロさんのお陰でハイレインさんに余裕が出てきたからだろうか。

「ほんと、この上なく冒涜的な光景よね」

『何があいつをここまで駆り立てたんだろうな』

「知らないわよ。それをこれから訊くんじゃない」

『頼むよ。俺はヒューゴ君達と一緒に、卵を守りきるから』

 それきり、テオドロさんの声は途切れた。ええ、と自らの伴侶の言葉に頷き、ヒメナさんが足を踏み出す。その姿を見て、ようやくこれが夢や幻でないのだと実感できた。

「あ、あの! 〈ヒラソール〉は、大丈夫なんですか? それに、どうしてここが」

 二人には、目的地をバドギオンとしか言っていない。それに、守るものがあるから死ねないと、テオドロさんも言っていた。

「酒場と娼館は、自然と情報が集まるものなのよ。翠珠の上の方で怪しい動きがあるなんてすぐに伝わるし、王家直属の使者がアイオニオンに向かうルートを虱潰しに探してると聞けば、さすがに察せるってものじゃない?」

 それにね、とヒメナさんは嬉しそうに笑った。

「どうも、私もテオも腹芸って奴が苦手らしいのよね。どこかの誰かと違って。ここのところずっと上の空で、皆に怒られちゃったのよ。しばらくはどうにかやってみせるから、気がかりを解消して来いって」

 いいでしょう、とにこやかに問われて、思わず頷く。

「ありがとうございます。心強モガ」

 何故口を塞ぎますかベイルさん。

『加わるなら、指示に従ってもらう』

「分かってるわよ」

『状況は決め手に欠ける。作ることはできるが、講じるには手間がかかる。放つまでの時間を稼げ』

「はいはい」

 軽やかに頷いて、ヒメナさんは駆けてゆく。私は口を塞ぐ手を外して、その背中に向かって叫んだ。

「ヒメナさん、お気をつけて!」

「そっちこそ、頼むわよ!」

 そう言って笑う姿は、やっぱりとても美しかった。

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