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トランクィル・タワー【旧版】  作者: 奈木
第六章
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最果てに至り・八

 一目散に直生の元へと駆けた玄鳥の足取りを遡ること、およそ十数分。その地点でもまた、戦端が開かれていた。

 空を呑むかの如くに燃え上がる紅蓮の炎の中を、総身を鋼で鎧った巨躯が駆ける。足元から岩を隆起させ、強引に炎を散らすと、シェルは隆起の勢いに乗って空高く跳躍した。地上から炎の弾幕が張られたが、巨大な岩塊を生成、その質量でもって力任せに破る。岩と共に重い音を響かせて着地した時には、狙撃手との間合いはごくわずかにまで詰まっていた。落下の余韻を感じさせない、滑らかな動作で上体を起こし、狙撃手めがけて突進する。

 対峙するのは、子供に等しい年頃の少年だった。茶鳥は険しい表情で剣を振りかざす。振り下ろす動作で放たれたのは、巨大な火球だ。シェルと少年の間には、根本的な能力の差が存在する。故に、少年はひたすら接近を拒んだ。であればこそ、シェルの採る作戦も自ずと定められる。

「白皙の守り手、母なるシムリア、いと美しきものよ――我が祈り、聞き届け給え」

 すなわち――突貫あるのみ。光輝く守護の祝福を纏ったシェルは、一段と強く地を蹴った。真っ向から火の渦に突っ込む。少年の表情が強張り、一秒、二秒と空白の時が流れる。辺りには火炎の爆ぜる音ばかりが流れ、紅蓮の業火はひたすらに燃え盛る。その内には、塵ほどの影も見通せない。

やった(ザイェン)!」

 己の勝利を確信し、少年は拳を作って快哉を叫ぶ。

 その途端、燃え盛る炎が不自然に揺らめいた。ぎょっとして色を失う少年の目前で、紅色が弾け飛ぶ。乱れ散る極彩色の中、焼け焦げた地面を踏み、猛然と駆ける影があった。

 既に勝利を過信していた少年に、成す術はない。

「ミスミも長い平和に爛熟したか――それとも、未だ熟さんものが逸って一人駆けをしたか。存外、鈍らだな」

 やれやれ、と溜息の落ちる間に、勝負は決していた。

 突進から繰り出された正拳の直撃を受け、少年は大きく吹き飛ばされた。結晶細工のような白い木々を薙ぎ倒し、派手な雪煙を上げて転がる。二度三度と跳ねたところで、どうやら雪だまりに嵌ったらしい。しんとした静寂が落ちた。

 シェルは少年の描いた軌跡を注意深く追った。案の定、窪地の雪だまりに矮躯が埋もれている。少年が意識を失っていることを確認してから、シェルはその襟首を掴み上げ、頭を巡らせた。少しばかり西に離れた場所では、絶えず激しく衝突する二つの気配がある。ヒューゴの選んだ相手は、少なくとも〈花禽〉の名に恥じぬ程度には腕が立つようだった。


   ◇ ◇ ◇


 捉えられたら終わりだと、感覚的に理解していた。氷雪を操る青鳥の術式は巧妙に操作されている。雪上を蛇のように這い蠢く術式に捕まったが最後、全身が凍結させられるに違いない。

 縦横無尽に駆け回りながら、それでいて慎重にヒューゴは進路を見極めていた。

「〈青薇〉の名は伊達ではない、と。実に上手く逃げる」

「ヘッ、逃げて生き延びることにかけちゃあ、早々遅れは取らねえってもんよ」

 黒髪のひょろりとした男――青鳥の軽口に笑って返しながら、ヒューゴは穂先に炎を灯した槍を振るった。鞭の如く帯を成し、うねり飛んでくる雪の筋を炎で溶かし、その奥から斉射される矢のような氷礫を打ち払う。

 ふとその時、これまで断続して聞こえていた爆音と空を赤く染めていた轟炎が絶えていることに気付いた。雪原に佇む青鳥までもが、「おや」と声を上げる。

「茶鳥も、全く……もう少しくらい、粘ってもらわないと」

「何だ、分かんのかよ」

「おや、お分かりでない?」

「俺は探査ができねえんだ」

「なんともまあ――あなたはおかしな人ですね」

 弱みを明かすなんて、と青鳥はさも面白げに笑う。

「その手腕には、微塵の油断も隙もない。だというのに、言動はひどく迂闊だ。いや、訂正しましょう。とても面白い。ますます凍らせてみたくなりました」

「知ってっか。そーゆーのを、悪趣味ってんだ」

「ご理解頂けない?」

「全然」

「その割には、楽しんでいるようにお見受けしますがね」

「俺は、強え奴と戦うのが好きなだけだ」

「同じことです」

「どうだかな。――ま、てめえが強いのは認めるがよ。どうも、そうゆっくりはしてられねえみてえだ」

 会話の最中も絶えず放たれ続けていた雪塊を槍の一振りで打ち払うと、ヒューゴは突如進路を変えた。真っ向から青鳥へと向かい、走り出す。にんまりと笑った青鳥は、一斉掃射で迎え撃った。雪を従え、霰を成してのつるべ打ち。ひゅう、とヒューゴは口笛を吹いた。やはり強者との戦闘は昂揚する。雪上を這う呪いが足元に接近してきた瞬間、楽しげにヒューゴは跳んだ。


 高く跳躍したヒューゴへ集中砲火を浴びせながら、青鳥は内心で舌を巻いた。ヒューゴはまるで手足の延長のように槍を操る。放った術式は全て、完璧に焼き払われた。それでも笑みを浮かべたまま、青鳥は来たる攻撃に備える。悠然と防衛の結界を紡ぎかけ――予想に反したヒューゴの行動に瞠目した。その槍は、他でもない地面へと向いていたのだ。

「赫々たる鋒火――」

 白雪に突き立った槍の纏う術式が、紅蓮の炎を迸らせる。燃え広がる炎は雪を溶かし、這い回る凍結の呪いを焼き尽くした。更に、地面に突き刺さった槍は長大な間合いを一息に跳び越させる支点となって、担い手を運ぶ。

 振り子の如く青鳥の眼前に降り立ったヒューゴは、雷光もかくやの一撃を突き出した。心臓めがけて奔る槍を、青鳥は辛うじて身体を捻って避ける。

「玲瓏寂寂――」

 体勢を整える間も惜しく、唱える。紡ぎ歌うは奥の手、時は必殺の一撃を捌いた直後。そして、この至近距離。勝負を決するには、今をおいて他にない。

「寄る辺に従い、撃と爆ぜよ!」

 しかし、鋭く上がった声が歌を阻んだ。鼓膜をつんざく爆音が脳を揺らし、半身を焼いた灼熱に感覚が奪われる。ふらつく足をどうにか制御しようともがきながら、青鳥はようやく己の失策を悟った。あの詠唱は、呪いを焼く為ではなかったのだ。避けたと思っていた槍、その穂先で爆ぜた炎――それこそが、紡がれていたものだったのだろう。

「こんな大一番で、一発勝負になんざ出る訳ねえだろ」

 しれっとした声が言い、槍が横薙ぎに振り抜かれる。無防備な脇腹を長柄が直撃し、肋骨の圧し折られる、嫌な感触。投げ出され、地面を転がる青鳥は尚も起き上がろうとし、

「おっと、盛り上がってるところを申し訳ねェんですがね、ここいらで終いにして頂けやすかい」

 割り込む声に気付き、はたと動きを止めた。


 自分と青鳥との間に割って入った人影――玄鳥の姿に、ヒューゴは目を見開いた。

「何だよ、そっちはもうケリがついたってのか」

「ええ、お嬢は一足先に向かいました。なんで、身内の後始末にと。――青い鳥にゃ、茶と黄を連れ帰らせやす」

「おや、負傷の身に酷なことを命じられる」

 やれやれ、と言わんばかりの口振りでぼやく青鳥を、玄鳥は呆れ果てた眼差しで見下ろした。

「〈玄鳥〉の命令でやす。聞いてもらいやすぜ」

「心外ですね、上官の命令には逆らいませんよ。概ね」

「自分の趣味を邪魔されない限り、でやしょ。ったく、あんたはこの手の面倒には無関心だと思ってやしたがね」

「黄の鳥に、『給料分くらい働け』と言われまして」

「で、強い奴と戦えると目論んで同行したんでしょうが」

 ご明察、とあくまで飄々とした風を崩さない青鳥に、玄鳥は重々しい溜息を吐く。そうでありながら、次いで発された声音には、反論を許さない鋭さが秘められていた。

「〈青鳥〉、〈玄鳥〉の名を以て命ずる。〈茶鳥〉及び〈黄鳥〉を回収の後、王都へ進路を取れ」

「〈青鳥〉、了解。……仕方がないですね、茶鳥と黄鳥は?」

「そのサトとコートのどちらかは、これか」

 再び、新たな声が場に割り込む。三対の視線の向いた先には、ぐったりした茶鳥を片手に掴み、悠々と歩み寄ってくる銀色の甲冑――シェルの姿があった。

「ええ、ええ。それが茶鳥でやす。そいつの後始末は、この青鳥にさせますんで。どうぞお構いなく」

「茶鳥はここにいるとして、黄鳥はどこに?」

「竜のお嬢さんのとこでやす。そこまでは案内はしてやりやすから、そっから先は、とっとと帰りなさいよ」

「はいはい、信用のないことで」

「余計なことするから、なくなるんでやしょが」

 左様で、と生返事を返しながら、青鳥が立ち上がる。その動作には既に負傷の影響は見られず、ヒューゴはわずかに目を細めた。だが、今は青鳥にこだわっている場合ではない。

「じゃあ、俺達は先にナオに合流すんぜ」

「ええ、あっしもすぐに向かいやす」

 首肯を交わし、四つの影は走り出した。

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