見知らぬ街で・六
そもそも粋蓮の特殊な状況があったからこそ、アルトゥール商会は生まれたのだと、シェルさんは語りだした。
「スィレンの治安維持にまつわる問題、それを片付けることを対価に王家の援助を受け、商会は設立された。場合によっては、王家の尖兵として働くこともある」
その事情から、いかなる国家からも干渉を受けない、完全に独立した組織であることを目指す傭兵ギルドとは、微妙な関係にあるらしい。ギルドに加入をせず、あくまで提携という形を取っているのには、そういう理由もあるそうだ。
「もっとも、あくまでも本業は傭兵の管理と派遣だが」
「傭兵というお仕事は、主に何をするんですか?」
「魔物の討伐や護衛、危険地帯の探索等だな。まあ、依頼次第で何でもするのが実情だ。上手く伝わらんかも知れんが」
「あ、大丈夫です。何となく、分かった気がします」
そう答えると、ヒューゴさんが大きく伸びをした。
「んじゃ、話が一段落したとこで、茶でも飲もうぜ」
「……それは、俺に淹れろということか?」
シェルさんの渋い表情も意に介さず、ヒューゴさんはにんまりと「そういうこと」と笑った。溜息を吐きながら、それでもシェルさんは立ち上がる。
「手伝いましょうか」
「いや、構わん。そこの横着者の相手でもしてやってくれ」
ヒューゴさんを指さして、シェルさんは部屋の奥へと消えていった。そちらにキッチンか何かがあるのかもしれない。
「つー訳だ。ちょいとお喋りでもしてようぜ。ちゃんと名乗ってもなかったろ。急いで名前教えただけでよ」
言われてみれば、ヒューゴさんのことも名前しか知らない。
「ヒューゴさんも傭兵なんですか?」
「ああ。商会にゃ入ってねえけどな。傭兵ギルドだけに登録してて――あ、ギルドってのは……まあ、なんだ。商会がやってる仕事を、大陸規模でやってる組織っつーか。とにかく、大陸中に支部があるんで、あっちこっち好きに旅するにはうってつけでよ。……で、そっちの話は訊かねえ方がいいんだよな?」
問い掛けに、後ろめたい気分で「すみません」と頷く。
「謝るこっちゃねえさ。誰にだって、突っ込まれたくねえ事情の一つ二つある。そーすっと……普通、自己紹介って何話すよ?」
「ええと、年齢とか、趣味、特技……ですかねえ」
「ほーう。んじゃ、俺は質問に答えたから、そっちな?」
「へ? あ、はい。歳は十五で、趣味は読書と料理です。特技は……えー、足は速い方だと思いますけども」
「何だ、炊事洗濯家事万能ってか?」
「そこまでじゃないですけど、一応、一通りは」
「シェルみてえだなあ」
シェルさん? どういうことだろうか。首を捻る、と――
「俺がどうしたと?」
お盆を手に持って、シェルさんが戻ってきた。お盆の上には、ティーセットとお茶菓子らしきものが載せられている。
「茶は、湯が沸くまで少し待て」
「あ、いえ、お構いなく……」
「気にするな。客はもてなすものだ。不法侵入者はともかく」
「わざわざ俺を見ながら言うなよ」
「お前に言っているんだ。それで? 俺がどうしたと」
「ああ、ナオが家事一通りできるってんで、お前と同じだなって話してただけだ」
「その歳でか? 大したものだな」
言いながら、シェルさんはテーブルの上にお盆を置き、お菓子を載せたお皿を配った。お礼を言って、受け取る。
「私は別に――必要だっただけですから」
「謙遜することはないだろう」
「そうだそうだ。――っつー訳で、自己紹介つーもんをしてたんだよ。ヤカン鳴るまで、お前も喋ってけ」
「具体的には、何をだ」
「年齢、趣味、特技だったか。あ、俺は歳二十六で、趣味は鍛練と昼寝な。特技は……狩りと釣り?」
「……サバイバルですね?」
「自慢じゃねえが、野営もうまいぜ」
へっへっへ、とヒューゴさんが笑う。確かに、ヒューゴさんは山や川を縦横無尽に走り回る姿が似合う気がする。
「おら、次はお前だ」
「歳は二十八。趣味と特技は……」
何故か、シェルさんの言葉はそこで止まった。
「そこで止まんなよ。先言えって」
ヒューゴさんが急かすものの、返事は沈黙のみ。やがてあった答えも、シェルさんではなく沸騰したヤカンのそれだった。
「む、湯が沸いたようだ」
「ちょ、おま、逃げんなよ!」
ヒューゴさんが吼えるも、シェルさんは答えることなく、さっさと部屋の奥へ消えてしまった。
「全く、潔くねえな」
「話したくないことなら、無理に聞くことは……」
「んにゃ、単に出し渋ってるだけだ。どうせこの後話すしな」
にやり、とヒューゴさんが笑う。再び戻ってきたシェルさんは片手にはヤカンを持っていて、テキパキとお茶を淹れ始めた。
「ヒューゴ、お前の後ろの棚から、白い箱を取ってくれ」
これか、とヒューゴさんが背後の棚から取り出したのは、細かな蔦模様が彫り込まれた白い木箱だった。箱を見つめていると、目の前に淡い橙色のお茶の注がれたカップが置かれる。
「まずは、冷めんうちに飲め」
「ありがとうございます」
軽く頭を下げて、カップを手に取る。口をつけると、かすかな花の匂いがした。紅茶と似ているようで違う、不思議な味だ。上目に見ると、ヒューゴさんも黙ってお茶を飲んでいる。
「抗魔術の術式を付与した魔道具は、幸い一つ残っている。これで完全に安心という訳にはいかんが、マシにはなるだろう」
シェルさんが箱を開けて、何かを取り出す。手の甲まで白い毛に覆われた手がテーブルに置いたのは、薄紅色の結晶で作られた薔薇のネックレスだった。銀の鎖に通された、細やかに形作られた薔薇はまるで本物のようで、装飾品にして使うのが勿体なくすら思えてくる。
「わあ、綺麗! 凄いなあ……これ、お借りしていいんですか?」
「いや、持っていていい。やる」
「え? でも、私、代金を――」
「構わん。元々暇潰しに作ったものだ」
さらりと告げられた衝撃の事実に、かぱっと目と口が開く。目を丸くしたままシェルさんへ顔を向けると、「しまった!」とでも言いたげな顔をしていた。
「分かったか? これがこいつの趣味で、特技な訳だ」
物凄くにやにやしているヒューゴさんが、言う。
「そ、そうだったんですか! ひゃー、凄いですねえ!」
「……とにかく。それはやるから、役立てるといい」
「ほ、本当に、いいんですか」
シェルさんが頷いてくれるので、ドキドキとうるさい鼓動をなだめ、そうっと薄紅の薔薇を手に取ってみる。軽い重み。
「あ、ありがとうございます」
頭を下げる。銀の鎖を首に回してを身につけると、何だかくすぐったいような気分がした。つい、にへらと頬が緩む。
「――にしても、清々しく嬉しそうだな」
「だって、凄く綺麗じゃないですか」
「ほーう。……だってよ」
「その胡散臭い笑い方を止めろ。……ひとまず、これで役目は一つ果たした訳だが。ヒューゴ、お前は誰に訊いてここに来た? ベイルには会ったか」
「んにゃ、会長のおっさんに報告した後、カレルヴォに訊いた。ベイルはさっき、おっかねえ顔で転移室と通信室を行ったり来たりしてんの見たぜ。カレルヴォから聞いたけどよ、解呪師探しに大慌てなんだってな? ご苦労なこったぜ」
やれやれ、とヒューゴさんが肩をすくめる。そして、「一応説明しとくと」と前置きして、更に続けた。
「解呪師ってのは、呪いを解くのを専門にしてる術師だ。天性の素質が必要なんで、数がそう多くねえ。んでもって、呪いは魔術の一種じゃあるんだが、主に対象に災いや不利益をなすように束縛する類の術式のことを言うな。その逆が祝福で」
そこまでヒューゴさんが説明すると、今度はシェルさんが近くの棚から、また違う箱を取り出した。その箱からは七つの石が取り出され、テーブルの上に並べられる。
「何だ、魔石なんか取り出して。何すんだ?」
「話の流れついでに、魔術について話してしまおうと思ってな」
「ああ、さっき言ってた奴か。そりゃ確かに必要だな。てめえの能力くらいは把握できてねえと」
その通りだ、と頷いて、シェルさんはテーブルの上の石を並べ替える。円を描くように配置された石は、赤、青、緑、琥珀色、白、黒、それから透明の七色だった。
「魔術には七つの属性――系統がある。火、水、風、地、光、闇、無。この世に存在するものは、必ずいずれかの属性の魔力を秘めている。因みに、俺は地属で、ヒューゴは火属だ」
「おうよ。ベイルの奴は、風属だったっけかな」
「ああ。だが、地属と水属だけは、更にその内で二種に分類される。鉱物と植物、流水と結氷だ。俺は鉱物系に属する。その他、無属は例外的に属性に関係なく、魔力がありさえすれば行使できる魔術系統全般を指す。ナオ、手を出せ」
右手を出すと、掌に透き通った欠片が落とされた。
「握って、一呼吸置いてから開け」
言われるままに、指を開閉する。すると、いつの間にか石は淡い青色に変わっていた。少し紫色が混じっているような気がしないでもないけれど、分類としては青だろう。
「ふむ……少し妙な色だが、水属だろう。青は水属の象徴色だ。白混じりの青が結氷だと言うから、流水だな」
言いながら、シェルさんは青く染まった欠片を摘み上げ、箱に投げ入れた。
「属性には相性がある。火は水、水は地、地は風、風は火に弱い。光と闇は互いに反目するが、他の四つに対して強弱はないな。この相性は、二重属性の成立にも関わるそうだ。ミスミ国軍の魔術部隊長は地と光の二重属性だが、火と水や、地と風では淘汰関係にある為、二重属性として成立せんらしい」
「じゃあ、私はシェルさんに弱いんですね」
「まーな。単純に、火力や質量で覆されることもあるけどよ」
「およそ倍の力があれば、不利な属性にも勝てるな。また、外界の魔力の様子を感じ取る感覚、これを魔導感覚と呼ぶ……が」
「まあ、皆略してんだわ。俺が言った閉じる閉じねえは、これのことって訳よ。これはとにかく、持ってる魔力が多けりゃ多いほど、周りのことを細かく広く探れると覚えときゃいい」
「あ、それが『感覚』なんですね。やっと分かりました」
「そういうことだ。ひとまず、自分が何をできるのかは把握せねばな。水属の流水系ならば、文字通り流水を扱うことになるが」
「他のことはできない、んでしょうか」
「無属性以外は、無理だわな。水属なら水を生むだけ、火属なら火を生むだけだ。無属は治癒とか解呪とか……まあ、他六属性以外全部ってことだ、つまり」
割と大雑把な分類だったらしい。少し意外な気がしていると、シェルさんが厳かに言う。
「魔術とは、魔力をもって意のままに世界を改竄する術だ。そこに無いものを作り出す術。使い方を誤ってはならん」
緩みのない声に、気も引き締まる。頷き返すと、
「後、魔力も使い過ぎるとぶっ倒れるから、気い付けてな」
直後に呑気な声が響き、一瞬にして漂っていた緊張感は消えてしまった。はあ、とシェルさんが深い溜息を吐く。
「まあ、いい。長話にも疲れたろう」
空になったカップに、シェルさんがお茶を注ぎ直してくれる。お礼を言って口をつけると、ほっと息が漏れた。
「しかし」
ポットをお盆に置き、ぽつりとシェルさんが呟く。カップを持ったまま目を向けると、シェルさんは何か思案するような素振りを見せていた。ヒューゴさんが眉間に皺を寄せる。
「何だよ。勿体ぶらねえで、はっきり言えよ」
「……いや、ベイルの真意は何かと思ってな」
「袖振り合うも多生の縁て奴じゃねえのか。こんだけの素質をそこらで利用されちゃ、お前らだって嬉しくねえだろ」
「それはそうだが……ヒューゴ、ベイルは自分からナオを連れてきたのか? それとも、ナオに助けを求められてか?」
「言い出したのは、あいつだ。最初は……確か、ウスガレで一悶着あったんだよな?」
「あ、はい。助けてもらいました」
「穿角鳥が出るまでは、ヘイズに預けるつもりだったらしい。その後、いきなり砦に連れてけって方針変えだ。何でかは分からねえけどよ、それがどうした? どっかおかしいか?」
「おかしくはない――かもしれん。だが、ベイルは自分から他人にそこまで関わる奴か? あいつが、お前の言うような理屈で動くと、本当にそう思うか」
シェルさんが言うと、ヒューゴさんも口を閉じ、しんと沈黙が落ちた。しばらくして、ヒューゴさんが「いいや」と呟く。
「そんな訳はねえな。傍からは面倒見はいいように見えるかもしれねえが、ありゃ単に断るのが面倒だから相手してるだけだ。自分で言っといて間抜けだが、そもそも商会やてめえの立場が悪くなるのを心配して動くようなタマじゃねえ」
「だろう。だから、その辺りが少し解せん」
橙と紫の視線が、私を見つめる。心当たりはないのか、と言外に問う眼差し。私はただ、首を横に振るしかなかった。
「そか。ま、だったら考えても仕方ねえやな。俺達が悩んで分かるこっちゃねえし、後であいつに直接訊くのが一番だ」
「そうだな」
「さて、そんじゃあ、ナオ。休憩ついでに砦見物に出ねえか。ずっと部屋ん中に籠ってちゃ、気詰まりだろ」
椅子から腰を上げながら、ヒューゴさんが言う。けれど、シェルさんは「ひとまず休憩」と言っていた。なら、まだ続きがあるということじゃないんだろうか。シェルさんを見ると、テーブルの石を箱に放り込み、元の棚へと戻しながら、
「ヒューゴの言にも一理ある。が、時間を掛け過ぎるなよ。ベイルと行き違いになっては困る」
「あ? 何言ってんだ、お前も来るんだよ。ここはお前の住処だろ。お前が案内しねえで、誰がすんだ」
「……見物に出ようと誘いを掛けたのは、お前だろう」
「案内するとは言ってねえ!」
清々しいまでの断言。一拍の空白の後、シェルさんが溜息を吐く。諦めにも近い哀愁が漂っていた。
「そう時間は掛けんからな」
……結局、あれやこれやと請け負ってくれる辺り、シェルさんは本当にいい人なのだろうと思う。