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トランクィル・タワー【旧版】  作者: 奈木
第六章
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最果てに至り・五

 目を覚ますと、また朝になっていた。保存庫から持ち出した食料で食事をとり、手早く出発の準備をする。ジヴルが用意しておいてくれたのか、ちょうどいい大きさのコートや手袋もあった。

 元通りにならない覚悟はしていたけれど、爛れた左手の掌は見事に毒々しく変色してしまっていた。自分の手であっても、さすがにこれは気味が悪い。さっさと手袋で隠してしまうことにすると、ベイルさんが渋い表情でこちらを見ていることに気付く。

「どうかしました?」

「どうか、じゃねえだろう」

 苦虫を噛み潰したような顔で、低い声が言う。

「済まなかった。もっと早く、見つけ出すべきだった」

「へ? これは別に、私が上手く戦えなかっただけですけど」

「護衛対象に自衛の戦闘を強いた。その時点で、護衛としては失格だ。改めて言うが、お前には俺を糾弾する権利がある」

 ベイルさんの声は、いつになく真剣だった。どこか恐ろしくなって、私は首を横に振った。

「直生。糺し許すことと、無かったことにすることは違う」

「でも、権利は使わないって選択肢もありますよね。私はちゃんと生き延びたし、探し出してもらえて嬉しかったから、それでいいです。それだけで、十分です」

「相変わらず、甘い」

 溜息を吐いて、ベイルさんは囲炉裏の火を消す。

「出るぞ」

 静かな声に、頷く。刀を差し直し、ベイルさんの後について岩屋を出る。

「ベイルさんは、ハーデさんと戦うつもりですか?」

「そうだが」

 返事はすっぱりと明快な即答で、それ以外の選択は考えてもいないかのような口振りだった。でも、私はそもそもベイルさんをハーデさんに会わせたくすらないのだ。……どう説得しよう。

「言われる前に言っとくが、お前が俺の代わりにハーデと戦うのは却下だ」

「な、何で!?」

「どうせ、かつて仲間だった者同士を戦わせるのは云々、考えてるんだろう。その気遣いは別の機会にとっとけ。……ハーデは俺に怒り、俺を憎んでる」

 岩屋から出ると、晴れた空に輝く太陽の光が薄闇に慣れた目に突き刺さり、冷たい空気が顔を撫でた。その為だけでなく言葉を失った私を振り返り、ベイルさんは肩を竦める。

「部隊が解散になって別れる時、言われた。このまま従うのではなく、今一度剣を取って報いを受けさせるべきだと」

 その言い分は、今も変わっていない。あの主張は、五年前からハーデさんが抱き続けていたものなのだ。

「俺はそれに取り合わなかった。ハーデは、怒り狂った」

「でも、それは禁止されていたんじゃないんですか?」

 処刑されようとしていたグナイゼナウ部隊が、ただ解放されるはない。国や軍を恨んで攻撃したりしないように、何らかの条件だとか、呪いなんかによる制約が、絶対にあったはずだ。

「まあ、そうだな。少将との取り決めで、国に刃向おうもののなら、今度こそ死罪になると。……それに」

「それに?」

「言い訳するつもりじゃねえが、俺はかつての部下と一定以上の接触を持つことを禁じられてる。グナイゼナウ部隊が余所の国で再構築されることを、アルトは恐れた」

 だから、とベイルさんは息を吐く。白い呼気が青い空へ散ってゆく。ひどく寒々しい気分だった。

「ここで決着をつけるのも、かつてあいつを従えた俺の役目だろうよ」

「それでも、私が戦うと言ったら」

「言わねえさ、お前は」

「……どうして、そう言い切れるんです?」

「お前は概ね誰にも甘いが、俺には一等甘いからな」

 思いもよらない言葉に、反発心は一瞬で吹き飛んでしまった。顔が熱い。火が出そうだ。何も言い返せずに、魚のように口をぱくぱくさせていると、これ見よがしに低く笑う声が聞こえた。自棄になって目の前の背中をぼすんと叩けば、更に鼻で笑われる。

「俺の心配をするなんざ、十年は早い。――さて、そろそろ行かねえとな。これで、最後だ」

 そう膨れるなよ、と差し出される手を、渋々という風で取ってみせる。ぎゅっと握ると、無言で握り返してくれたのが嬉しかった。それだけで沈んだ気分も浮き上がってしまうのだから、私って奴は本当に単純だ。

「準備はいいな?」

 頷き返せば、周囲で精密な転移術式が展開し始める。ほのかな浮遊感に包まれ、そうして私は雪山から旅立った。

 最果ての地――この旅が、終わる場所を目指して。


   ◇ ◇ ◇


 雪と氷とで真っ白に覆われているはずの湖は今や、爆炎と土煙で赤黒く汚されていた。背後で起きた爆発から間一髪逃れ、岩陰に飛び込んだヒューゴは、重苦しい溜息を吐いた。

 状況は一向に改善されない。昨夜から、一体どれほどの魔物を葬り続けてきたことか。

「駄目だ、さっぱり減りやしねえ。潰す端からまた召喚され直すんじゃ、キリねーぜ」

「しかし、数を減らさなければ押し切られるぞ」

「……ジヴルが来なきゃ、結構まずかったな」

 ああ、と先んじて岩陰に潜んでいたシェルが頷く。その体躯は分厚い鋼で鎧われていた。金属の生成に特化した術者であるシェルは、攻守にわたってその術を遺憾なく発揮する。

「未だに俺をガキ扱いするのは許せねーが、心強い援軍にゃ代わりねえからな」

 煤で頬を汚したヒューゴが目を向ける先では、また爆炎が上がっていた。ジヴルの爆撃は純粋な破壊力の点で、到底シェルやヒューゴでは及ばない。その助力が無ければ、今ほど余裕を保っていられたかどうか。だが、どうにも狙いが粗いのが問題で、爆発に巻き込まれかけ、慌てて逃げる羽目になったのも二度や三度のことではなかった。

「んで、ベイルとナオは、本当に来れんのかね」

「分からん。ナオの傷がそう深くなければいいが」

「ジヴルが治したんなら、治ったんだろーけど……なあ」

 あの魔祇が「ひどい状態だった」と顔を顰めるほどの状態にあったとなれば、暢気に喜ぶこともできない。その原因の一端が自分達にもあるとなれば、余計に気分は重くなる。

「兎にも角にも、この場を切り抜け、収めるのが最大の償いだろう。……ああ、またエンディスが突出している」

「おいおい、またかよ。自分に腹立つのは分かるけどよ、そんで自棄になって自滅してもしゃーねえだろに」

 ハーデの手により宿主から引き剥がされ、この地に放り出された蛇の魔祇は、まさに憤死しかねない態であった。それを思い止まらせ、魔物の殲滅こそが今の役目と言い聞かせるのに費やした苦労は、思い出すだに溜息が出る。

 やれやれ、と何度目とも知れない溜息を吐きながら、シェルとヒューゴは腰を上げる。

「俺はジヴルの方手伝ってくら。そっちは、あの猪突猛進をどーにかしてくれ。俺あ説得とか苦手だかんな」

「仕方がない、請け負おう」

 竜とその敵がいかなる戦いを繰り広げているのかは、この場からは分からない。しかし、すべきことは山積しており、放置しては自らの命にも関わる。迅速に動かねばならない。

「うっし、そんじゃまた何かあったらここで落ち合おうぜ」

 軽く拳をぶつけ合い、戦場に戻るべく岩陰から跳び出さんとしたその時。――雷鳴が轟いた。


   ◇ ◇ ◇


 私達が転移したのは、青い空の真っ只中だった。

「直生、探査」

 私を抱え直して飛行を開始するベイルさんの指示に従って、術式を展開。辺り一帯の様子を探っていくと、とんでもない情報ばかりが頭の中に飛び込んできた。

「凄い数の魔物です。百や二百じゃなくて、ひょっとしたら千に近いかも」

「なら、あれもその一部か」

 ハーデさんの指示か、それとも単に新しい気配に釣られてきたのか。前方から、魔物が押し寄せて来ようとしていた。

「多分、そうだと思います」

 答える間にも、迸る雷光が一息に魔物の群れを薙ぎ払う。黒焦げになって墜落していく魔物を、つい目で追ってしまうと、自然と地上の惨状もまた目に入った。

 永久凍湖、アイオニオン。その異名の通り、真白く凍った湖からは無数の氷柱が突き出している。湖を取り囲む木々も、氷でできているかのように白い。辺り一面ひたすらに白く、ただ空だけが青い。きっと、それは美しく幻想的な風景だったのだろう。

 けれど、白い木々は今や倒れ、ねじ切れ、焼け焦げていた。氷柱もほとんどが砕け、湖に張った氷はあちこちで断層を作っている。たなびく爆煙も見えた。もう、ここはただの戦場だった。

 不意に、遠く高らかな咆哮が響き渡った。今までに聞いた、どんな獣のものとも違う。震えるほどに澄んで美しく、凛と冴えた――もしかして、あれが竜の声なのだろうか。

 ……って、余計なことに気を取られている場合じゃなかった。

「あっ、ヒューゴさんとシェルさんがいました! 北東二キロ先の岩陰で、二人とも一緒にいます。ジヴルはヒューゴさん達の位置から西に三キロ。エンデは更にその南――」

 言いかけたその時、高速で接近する気配に気付く。

其に抗う事能わず(カノ)――!」

 叫んだ声は青い炎となり、飛来する矢を熔かした。

「知り合いかい」

 あくまでも淡々とした風の問いに、頷く。

「任せても?」

「……仕方ないので、任されます」

 不満たっぷりな声を作って答えてみたら、普通に「そりゃ助かる」と笑われた。相変わらず掌の上で転がされている感じで、何だかとても悔しい。負け惜しみの溜息を吐いてから、胴を抱える腕の中から出る。

 力ある水竜が住処とし、今もその亡骸の眠る湖は、この世で最も水属性の魔力の強い場所の一つだろう。水を作るまでもなく、魔力を収束させるだけで空中に立つことができた。

「勝って、すぐに追い駆けますからね」

「それまでに仕留めろ、って訳かい。仕方がねえ、精々努力してみるさ。後でまた泣きっ面するなよ」

「しませ――って、またって何ですかまたって!」

 さらりと言うだけ言って、ベイルさんは風を踏んで駆けて行った。その後姿を見送って、接近する影に目を向ける。

あの人は風の魔術を織り込んだローブで宙を舞い、籠手に仕込んだ弓で鋼の矢を撃つ。そうでありながら――

「満ちよ、 万象覆う天なる恵(ラグズ)

 本来の属性は光で、変則的な遠隔射撃を得意とするのだから厄介だ。連射される光の矢は、拡散させた霧で無効化する。これだけ派手にやれば、彼女も気付くだろう。

「ナオ!」

 ほうら、きた。背後へ転移して現れる、よく知った気配。

「ナオ、私は――」

「湖の防衛お疲れさま、ありがとね」

「……済まぬ」

「何で謝るの。それより、もう少し一緒にいてくれる?」

「そなたの為とあらば、如何程にでも!」

 気配が消え、代わりに左手に鋭角な花の紋章が戻る。霧の向こうから射られる矢を、エンデの礫が撃ち落としてくれた。

 ――これで、準備は万全だ。

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